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近所の散歩コースにハナミズキが咲いたー2

4月30日       近所の散歩コースにハナミズキが咲いたー2
              4月23日の近所の散歩コース
コロナが怖くて外出自粛中に運動不足解消に歩いて来て?家内に家を追い出され、
20日に車で買出しに出てついでに新家長福寺へ花々を撮りに行って以来の外出だ、
20日の新家長福寺と三吉石塚古墳は殆ど歩けて無かったから、あれだけ?毎週2回
も3回も歩きに出てた人がこんな事では病気になるよと散々嫌味を言われて近所の
散歩コースへ目標10000歩で出た、私の万歩計は、8935歩で約5.3㎞歩いて来た。
高速道路の裏道
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郵便局の前で滝川を渡って
滝川の遊歩道を歩く
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滝川の小学校の方へ
途中から桜が丘の方へ向う、途中の畑脇にクローバー
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桜が丘の散歩道を西和消防署方向へ
八重桜やソメイヨシノが残ってて・・・
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ツツジが咲き出した
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コデマリ?
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ハナミズキの咲いてる道路へ出て
旧上牧高校、今は、西和養護学高
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ハナミズキの咲いてる道路沿いを・・・
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此処迄は、
近所の散歩コースにハナミズキが咲いたー1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
      https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-04-30
此処では、続きの道路下、池の前の公園の藤棚~について詳細を掲載します。
道路下、池の前の公園の藤棚
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道路沿いのハナミズキは未だ続く
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二郡大神+穴大神
上牧町下牧の、二本の幹線道路の交差点近くに鎮座する二郡大神と境内から
下ったところに穴大神があります。創建由緒等に関して不明、ご祭神も不明。
扁額には「二郡大神」と「二郡水」と二通りあり、水神が祀られていると思われ
ます。大きな池が隣接しているため、その守護神といったところでしょう。
「二郡」に関しては一切不明。葛下郡以外に隣接する郡はありません。また穴
大神に関しても不明です。
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ケーズ電器&ディオ方面へ向う
ゴミの中に大きな白い花?
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ケーズ電器横へ出て
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ケーズ電器横を過ぎ
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二上山ガ見える
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スギナが青々と・・・
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ディオへ買い物に入る
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町役場の方へ回る予定だったがディオでの
買出しで荷物が重くて滝川沿いを戻る事にした、10000歩超は歩けず・・・
私の万歩計は、8935歩で約5.3㎞歩いたことに。
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広陵町 復元・三吉石塚古墳&新木山古墳

4月28日      広陵町 復元・三吉石塚古墳&新木山古墳
              復元・三吉石塚古墳
4月20日に久し振りに食品の買い出しに近くのスーパーへ出かけて帰りに近所
の広陵町にある花の寺「桜御坊」とも言われる新家長福寺へ立ち寄ってみた、
近くの広陵町の図書館の駐車場が閉鎖されていた為、三吉石塚古墳の横の町の
墓地の駐車場へ車を入れてお寺へ、門前に有るの桜維持管理寄付金箱へコイン
投入して新家長福寺の花々と駐車場近くの新木山古墳と三吉石塚古墳を撮り歩
いて帰宅した。此の日の私の万歩計は、2450歩で約1.4㎞あるいた事に・・・
新家長福寺の観客は先客3名、三吉石塚古墳は無観客でコロナの心配無く鑑賞。

復元・三吉石塚古墳&新木山古墳

新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。
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三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が
施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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新家長福寺・・・長福寺沿革
天正元年(1573)、慶秀、大和国赤部に長福寺を開く。(長福寺の尊号を本山
より許される。)(寺伝書による)・元亀3年(1572)、19歳にして本願寺11
世顕如上人に謁し、随従帰敬し法名を得て慶秀と改める。その後、教如上人に
随い、京都堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号した。又、教如上人東本願
寺創立に際し慶秀は教如上人に随い大いに功があり、家康から箸尾城主に命じ
て大和国新家の山林を与えられた。長福寺第二代空円(第三代斉円とも)は、
拝領の地に新たに一宇を建立し、これも長福寺の号を戴いた(現在の新家長福
寺)長福寺第三代斉円没するに臨み、三長福寺を本願寺に寄付した。京都堀川
七条の長福寺を山科御坊と称し、新家の地の長福寺を本山の掛所とし、赤部の
地の長福寺を斉円に下付し持坊住職地と定めた。平成20年(2008)、慶秀400
回忌記念法要を勤め慶秀墓を修復し境内前庭に移設した。
山門&本堂
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ピンク系の八重桜
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境内のその他の花々
石楠花
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ボタン
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チューリップ
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新家長福寺の境内の花々についての詳細は、4月21日に下記へ投稿済です。
     広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2
    https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/2020-04-21

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広陵町「桜御坊」新家長福寺 藤の花

4月27日      広陵町「桜御坊」新家長福寺 藤の花
             紫の藤と白色の藤
4月20日に久し振りに食品の買い出しに近くのスーパーへ出かけて帰りに近所
の広陵町にある花の寺「桜御坊」とも言われる新家長福寺へ立ち寄ってみた、
近くの広陵町の図書館の駐車場が閉鎖されていた為、三吉石塚古墳の横の町の
墓地の駐車場へ車を入れてお寺へ、門前に有るの桜維持管理寄付金箱へコイン
投入して新家長福寺の花々と駐車場近くの新木山古墳と三吉石塚古墳を撮り歩
いて帰宅した。此の日の私の万歩計は、2450歩で約1.4㎞あるいた事に・・・
新家長福寺の観客は先客3名、三吉石塚古墳は無観客でコロナの心配無く鑑賞。

此処では、新家長福寺の藤の花

新家長福寺・・・長福寺沿革
天正元年(1573)、慶秀、大和国赤部に長福寺を開く。(長福寺の尊号を本山
より許される。)(寺伝書による)・元亀3年(1572)、19歳にして本願寺11
世顕如上人に謁し、随従帰敬し法名を得て慶秀と改める。その後、教如上人に
随い、京都堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号した。又、教如上人東本願
寺創立に際し慶秀は教如上人に随い大いに功があり、家康から箸尾城主に命じ
て大和国新家の山林を与えられた。長福寺第二代空円(第三代斉円とも)は、
拝領の地に新たに一宇を建立し、これも長福寺の号を戴いた(現在の新家長福
寺)長福寺第三代斉円没するに臨み、三長福寺を本願寺に寄付した。京都堀川
七条の長福寺を山科御坊と称し、新家の地の長福寺を本山の掛所とし、赤部の
地の長福寺を斉円に下付し持坊住職地と定めた。平成20年(2008)、慶秀400
回忌記念法要を勤め慶秀墓を修復し境内前庭に移設した。
山門&本堂
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ピンク系の八重桜
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境内のその他の花々
石楠花
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ボタン
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チューリップ
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新木山古墳と三吉石塚古墳に付いての詳細は、4月21日に投稿済です。
     広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2
    https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/2020-04-21
新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。
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三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が
施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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広陵町「桜御坊」新家長福寺(白色系)

4月25日      広陵町「桜御坊」新家長福寺(白色系)
             白色系の八重桜
4月20日に久し振りに食品の買い出しに近くのスーパーへ出かけて帰りに近所
の広陵町にある花の寺「桜御坊」とも言われる新家長福寺へ立ち寄ってみた、
近くの広陵町の図書館の駐車場が閉鎖されていた為、三吉石塚古墳の横の町の
墓地の駐車場へ車を入れてお寺へ、門前に有るの桜維持管理寄付金箱へコイン
投入して新家長福寺の花々と駐車場近くの新木山古墳と三吉石塚古墳を撮り歩
いて帰宅した。此の日の私の万歩計は、2450歩で約1.4㎞あるいた事に・・・
新家長福寺の観客は先客3名、三吉石塚古墳は無観客でコロナの心配無く鑑賞。
新家福寺境内の白色系の八重桜

新家長福寺・・・長福寺沿革
天正元年(1573)、慶秀、大和国赤部に長福寺を開く。(長福寺の尊号を本山
より許される。)(寺伝書による)・元亀3年(1572)、19歳にして本願寺11
世顕如上人に謁し、随従帰敬し法名を得て慶秀と改める。その後、教如上人に
随い、京都堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号した。又、教如上人東本願
寺創立に際し慶秀は教如上人に随い大いに功があり、家康から箸尾城主に命じ
て大和国新家の山林を与えられた。長福寺第二代空円(第三代斉円とも)は、
拝領の地に新たに一宇を建立し、これも長福寺の号を戴いた(現在の新家長福
寺)長福寺第三代斉円没するに臨み、三長福寺を本願寺に寄付した。京都堀川
七条の長福寺を山科御坊と称し、新家の地の長福寺を本山の掛所とし、赤部の
地の長福寺を斉円に下付し持坊住職地と定めた。平成20年(2008)、慶秀400
回忌記念法要を勤め慶秀墓を修復し境内前庭に移設した。
山門&本堂
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ピンク系の八重桜
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境内のその他の花々
石楠花
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ボタン
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藤棚
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チューリップ
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新木山古墳と三吉石塚古墳に付いての詳細は、4月21日に投稿済です。
     広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2
    https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/2020-04-21
新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。
DSC04543.JPG
三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が
施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺

4月24日      広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺
             ピンク系の八重桜
4月20日に久し振りに食品の買い出しに近くのスーパーへ出かけて帰りに近所
の広陵町にある花の寺「桜御坊」とも言われる新家長福寺へ立ち寄ってみた、
近くの広陵町の図書館の駐車場が閉鎖されていた為、三吉石塚古墳の横の町の
墓地の駐車場へ車を入れてお寺へ、門前に有るの桜維持管理寄付金箱へコイン
投入して新家長福寺の花々と駐車場近くの新木山古墳と三吉石塚古墳を撮り歩
いて帰宅した。此の日の私の万歩計は、2450歩で約1.4㎞あるいた事に・・・
新家長福寺の観客は先客3名、三吉石塚古墳は無観客でコロナの心配無く鑑賞。
新家福寺境内のピンク系の八重桜

新家長福寺・・・長福寺沿革
天正元年(1573)、慶秀、大和国赤部に長福寺を開く。(長福寺の尊号を本山
より許される。)(寺伝書による)・元亀3年(1572)、19歳にして本願寺11
世顕如上人に謁し、随従帰敬し法名を得て慶秀と改める。その後、教如上人に
随い、京都堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号した。又、教如上人東本願
寺創立に際し慶秀は教如上人に随い大いに功があり、家康から箸尾城主に命じ
て大和国新家の山林を与えられた。長福寺第二代空円(第三代斉円とも)は、
拝領の地に新たに一宇を建立し、これも長福寺の号を戴いた(現在の新家長福
寺)長福寺第三代斉円没するに臨み、三長福寺を本願寺に寄付した。京都堀川
七条の長福寺を山科御坊と称し、新家の地の長福寺を本山の掛所とし、赤部の
地の長福寺を斉円に下付し持坊住職地と定めた。平成20年(2008)、慶秀400
回忌記念法要を勤め慶秀墓を修復し境内前庭に移設した。
山門&本堂
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梵鐘
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境内のその他の花々
石楠花
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ボタン
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藤棚
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チューリップ
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新木山古墳と三吉石塚古墳に付いての詳細は、4月21日に投稿済です。
     広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2
    https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/2020-04-21
新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。
DSC04543.JPG
三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が
施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2

4月21日      広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー2
          20日の食品買い出しの帰りに立ち寄る
此の日は久し振りに食品の買い出しに近くのスーパーへ、その帰りに近所の
広陵町にある花の寺「桜御坊」とも言われる新家長福寺へ立ち寄ってみた、
近くの広陵町の図書館の駐車場が閉鎖されていたので近くの三吉石塚古墳の
横の町の墓地の駐車場へ車を入れてお寺へ、門前に有るの桜維持管理寄付金
箱へコイン投入、新家長福寺の花々と駐車場近くの新木山古墳と三吉石塚古
墳を撮り歩き、此の日の私の万歩計は、2450歩で約1.4㎞あるいた事に・・・
新家長福寺の先客は3名で三吉石塚古墳は無観客でコロナの心配無く鑑賞。
新家長福寺が見えてきた
垣根の外の八重桜、他の3本は既に葉桜になっていた・・・
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新家長福寺(しんけ・ちょうふくじ)山門
「赤長」(赤部長福寺)として親しまれています。慶秀さんのお寺です。境内
に桜が多く、地元の人からは「桜御坊」と呼ばれ、親しまれている。八重桜が
多い。
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※慶秀さん(1554~1609)(生没年は寺伝書により記す)
本願寺12世教如上人の教学的側近。・慶秀は慶長10年(1605)に『正信念仏
偈私記』を、翌年に『三帖和讃私記』を著わすなど、高倉学寮創立、以前から
教学・教化の先駆的な役割を果たしました。慶秀は教如上人から本願寺寺内の
堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号していました。寺跡は、後に山科本願
寺の跡地に再建するため移築され、現在の山科別院長福寺(京都市山科区)と
して継承。

新家長福寺・・・長福寺沿革
天正元年(1573)、慶秀、大和国赤部に長福寺を開く。(長福寺の尊号を本山
より許される。)(寺伝書による)・元亀3年(1572)、19歳にして本願寺11
世顕如上人に謁し、随従帰敬し法名を得て慶秀と改める。その後、教如上人に
随い、京都堀川七条に寺地を与えられ、長福寺と号した。又、教如上人東本願
寺創立に際し慶秀は教如上人に随い大いに功があり、家康から箸尾城主に命じ
て大和国新家の山林を与えられた。長福寺第二代空円(第三代斉円とも)は、
拝領の地に新たに一宇を建立し、これも長福寺の号を戴いた(現在の新家長福
寺)長福寺第三代斉円没するに臨み、三長福寺を本願寺に寄付した。京都堀川
七条の長福寺を山科御坊と称し、新家の地の長福寺を本山の掛所とし、赤部の
地の長福寺を斉円に下付し持坊住職地と定めた。平成20年(2008)、慶秀400
回忌記念法要を勤め慶秀墓を修復し境内前庭に移設した。
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山門~本堂の間に
石楠花が・・・
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本堂の左側から
山門入って右に塔、左側から裏庭へまわる・・・
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八重桜の足元にボタン
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ボタン
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八重桜
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紫藤
藤棚
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本堂裏の八重桜、足元にはボタン
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本堂の裏庭の赤芽
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此処までは、
広陵町 花の寺「桜御坊」新家長福寺ー1 として
     下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
    https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-04-21
此処では、続きの 未だ本堂の裏庭の八重桜~についての詳細を掲載します。
未だ本堂の裏庭の八重桜と足元のボタン
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花弁までもが緑色がかった八重桜も・・・
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本堂の前~本堂の右側
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白藤
藤棚
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本堂の右前
八重桜、足元のチューリップ、ボタン
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山門入って
直ぐ左側の鐘楼
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お寺を出て外からお寺を撮る
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駐車場、三吉石塚古墳へ向かう
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新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。
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三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が
施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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左奥の方に二上山ガ見える
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古墳塔頂部から新木山古墳を撮る
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環濠部
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4月19日の我が家のモミジの白い花

4月20日     4月19日の我が家のモミジの白い花
家の前のツツジ
蕾が多数、花も数輪咲いて
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今日の我が家のモミジ
気のせいか葉が少し緑色がかって見える?
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4月19日の我が家のモミジの白い花

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以前
4月10日の我が家のモミジ
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馬見丘陵公園 南エリアのチューリップ

4月17日      馬見丘陵公園 南エリアのチューリップ
4月11日の馬見丘陵公園 南エリア
巣山古墳前丘&春の花畑のチューリップ


巣山古墳前丘
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カリヨンの丘・春の花畑
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結びの広場
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中央南口
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4月の馬見丘陵公園北エリアのチューリップ

4月16日      4月の馬見丘陵公園北エリアのチューリップ
4月3日の馬見丘陵公園北エリア
集いの丘のチューリップ


北エリアの馬見花苑
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4月11日の馬見丘陵公園 南エリア-2

4月14日         4月11日の馬見丘陵公園 南エリア-2
                南エリア~中央エリア
GSへ灯油を買いに出たついでに馬見丘陵公園へ立ち寄ってみた、中央駐車場は
満車で中央臨時駐車場へ回ると此処も並んでいたのでスルーして隣接する竹取
公園の駐車場へ入れると此処は空いていた、多分中央エリア方面~北エリアの
チューリップは人出が多そうなので人込みを避けて、南エリアのダダオシ池~
三吉2号墳~いにしえの丘~巣山古墳前を通り狐塚古墳前~河津桜並木を左手に
みて巣山古墳前丘と巣山古墳の間のチューリップ畑を撮り、巣山古墳前丘~カリ
ヨンの丘・春の花畑へ墳観橋を渡り、カリヨンの丘のチューリップ畑、梅林前へ
出て狐塚古墳前を通り上池、リキュウバイ、トキワマンサク、リラの花~森のウ
ッドデッキでシャクナゲ、ヤマザクラ~カエルの前をミツバツツジやソメイヨシ
ノの陽だまり広場、上池~結びの広場から睡蓮池迄行ってUターン、結びの広場、
ナガレ山古墳前、中央臨時駐車場の前を通り、竹取公園駐車場へ戻る。
此の日の私の万歩計は、5564歩で約3.3㎞歩いた事に・・・
竹取公園の駐車場へ車を入れて
竹取公園

馬見丘陵公園
南エリアのダダオシ池
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三吉2号墳、八重桜
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いにしえの丘
枝垂れ桜
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巣山古墳・・・未だ中へは入れない
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巣山古墳前を通り
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狐塚古墳
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河津桜並木を左手に見て
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巣山古墳前丘と巣山古墳の間の色とりどりのチューリップ畑を撮る
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巣山古墳前丘
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カリヨンの丘・春の花畑へ墳観橋を渡り
カリヨンの丘のチューリップ畑
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梅林前へ出て
ツツジ
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狐塚古墳前を通り
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枝垂れ桜、クヌギ
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なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)新芽、上池
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リキュウバイ、リラの花(ライラック)、トキワマンサク(紅花 白花)
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此処までは、
4月11日の馬見丘陵公園 南エリア-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
      https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-04-14
此処では、続きの 森のウッドデッキ~ についての詳細を掲載します。
森のウッドデッキでシャクナゲ、ヤマザクラ
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カエルの前
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ミツバツツジやソメイヨシノの陽だまり広場
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モミジの新葉
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上池
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結びの広場へ向かう
陽だまり広場の桜
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結びの広場
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睡蓮池、シャガ、タンポポ
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睡蓮池迄行ってUターン
結びの広場とアジサイの道の間のチューリップとタンポポ
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ナガレ山古墳前から上池とナガレ山古墳、ツツジ
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中央臨時駐車場の前を通り
ドウダンツツジ
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馬見丘陵公園中央南口
チュウ―リップとネモフイラとユリノキの新芽
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百日紅は未だ枯れ木
竹取公園駐車場へ向かう
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