8月19日の達磨寺~片岡城跡~貴船神社を歩く
8月23日 8月19日の達磨寺~片岡城跡~貴船神社を歩く
歩こう会11月例会のコース下見
数年前に奈良県ウオーキング協会主催のJRふれあいハイキングに参加して歩いた
コースを思い出し、知人のM吉さん、I本さん、K場さんと4名で王寺駅から・・・
もう一人、R得さんは途中のせせらぎ公園から参加し、5名でコース下見をした。
コースは、王寺駅10時集合で
王寺駅(10時スタート)~達磨寺~葛下川遊歩道・せせらぎ広場~片岡城跡~伊
邪那岐神社~滝川遊歩道~上牧町2000年会館・やすらぎ公園(昼食休憩)~貴船
神社~志都美駅(ゴール)
此の日の私の万歩計は、21627歩で約12.9㎞歩いた事に、疲れた非常に疲れた・・・
志都美駅
達磨寺・・・達磨信仰発祥の地
『日本書紀』によると、推古天皇21年( 613年)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せって
いた飢人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くな
りました。そのことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、
数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。
この飢人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。
このように、聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまった達磨寺には、今も本堂の下
に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。
これが、聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時
代にその上にお堂が建てられて、本尊として道内に聖徳太子像と達磨大師像が安置さ
れました。
葛下川遊歩道
せせらぎ広場
葛下橋
片岡城跡へ
片岡城跡・・・中世の山城「片岡城」
片岡城を築いたのは片岡国春。上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の
頂部分に中世の山城と伝えられる片岡城跡があります。片岡城は1550年頃に片岡
国春によって築かれたとされています。下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香
芝市の境界あたりにある小高い山、送迎(ひるめ)山の標高262mのところにありまし
た。この頃の葛城地方は片岡氏に続いて南のほうへ順に岡・万歳・布施・倶志羅・楢
原・吐田の六人が勢力を伸ばし、倶志羅氏以外の五氏はいずれも山城を築いており、
片岡国春の送迎山城も地理的に良く似たところにあります。片岡国春が上牧町内に
新たに築いた片岡城は高さ80mの丘城で、他の山城とは地形的に異なり、要害性に
は劣りますが、片岡谷を見下ろす位置にあり、政治・経済の中枢としての機能は送迎
山城より優れていたと考えられます。片岡城は葛下川を望む上牧第二中学校から葛
下川と滝川との合流点へ続く丘陵地帯に築かれた山城です。
城の西すそを流れる葛下川から見ますと48mの高さの位置にありますが、急な崖で
迫り、当時、すそを覆うように流れていた葛下川がたびたび氾濫を繰り返し、あたり一
面は湿地帯になっていました。また、城の東側にも滝川が流れそれが城の北側で葛
下川と合流、三方を自然の水濠で囲まれた、この近辺では屈指の要害に適した地形
になっていました。片岡氏から松永久秀に変わって・・・松永時代に完成した片岡城、
別々に機能していた曲輪と曲輪を共通に防御できるようになり、このときに片岡城が
完成したと考えられます。この年代は永禄12年から天正5年の8年間と限定できます。
※細川忠興15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳
天正5年(1577)の、松永久秀による信長への反乱に従い、松永久秀の与力である海老
名某も、河内国片岡城に立て籠もった。これに対し信長は、長岡(細川)藤孝父子、惟
任(明智)光秀、筒井順慶に「3人で押し寄せ、蹴散らせ」と命じた。
これにより十月朔日未明に、この3名による片岡城攻めが始まった。ここで、長岡藤孝
の嫡男與一郎(細川忠興)15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳の兄弟が真っ先に
駆け入った。織田勢は新手を入れ代わり立ち代わりに攻め立てさせた為、死傷者多く出
て残り少なくなると、「今や叶わじ」と思ったか、城主の海老名は腹を十文字に掻っ切
って伏せ、残る兵たちも、みな思い思いに自害して、同じ枕に臥した。
細川忠興・興元兄弟は、この戦いでの働きにより信長から直筆の感謝状をもらっている。
案内板の横のお地蔵さん
伊邪那岐神社
下牧と金富との間に横たわる山の頂にあり、祭神は伊邪那岐命です。
主神の伊邪那岐命を中央にして、相殿とし春日、八幡、住吉、稲荷の神をまつっています。
もと指定村社で、町内の神社では格式が高いとも言われていました。
神殿は流れ造りで明治12年(1879)の造営で昭和43年(1968)に改築されています。
もと東田口の忍山(しのんやま)にありましたが疫病が流行したので静寂の聖地をもとめ
て現在の地に移したといわれています。 旧地は現在住宅化している丘陵の中央で頂上
が平地になっていました。そのころは五社神社と言われていたようです。
また足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守護神と
してまつったという言い伝えもあります。『延書式巻九』の神名帳には、「葛下郡伊邪
奈岐神社」と書かれている神社がこれではないかといわれています。
また『大和国町村誌集』には「下牧、神社、伊邪奈岐神社」とあり、明治24年の『神社
明細帳』にも「伊財奈岐神社」とかかれていますが、今は伊邪那岐神社と書いています。
境内に末社はありませんが石灯篭が数多く並んでいて、信仰の篤さを示しています。
その石灯篭の中には寛文年号のものもあります。
片岡城跡
案内板の横のお地蔵さんへ戻る
滝川遊歩道~
上牧町2000年会館・やすらぎ広場(昼食休憩)
※虹の湯
神の牧温泉。泉質はナトリウムー塩化物温泉。
適応症
・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・間接のこわばり・うちみ・くじき
・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず
・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
現在は、スーパー銭湯形式で大野天風呂が魅力の「虹の湯」が営業しています。
貴船神社
智照寺山にあり、祭神は罔象女命(春日)、保食神(稲荷)、素盞鳴命(八坂)、
別雷神(加茂)を祀り、智照神社の奥の宮といわれてる。社殿は神明造りで、元は
上牧小学校の奉安殿であったのを移築する。この近くに葦田池があったと伝えられ、
地形上から延喜式内の古社「深溝神社」ではないかといわれている。
志都美駅へ皆さんを送って
歩こう会11月例会のコース下見
数年前に奈良県ウオーキング協会主催のJRふれあいハイキングに参加して歩いた
コースを思い出し、知人のM吉さん、I本さん、K場さんと4名で王寺駅から・・・
もう一人、R得さんは途中のせせらぎ公園から参加し、5名でコース下見をした。
コースは、王寺駅10時集合で
王寺駅(10時スタート)~達磨寺~葛下川遊歩道・せせらぎ広場~片岡城跡~伊
邪那岐神社~滝川遊歩道~上牧町2000年会館・やすらぎ公園(昼食休憩)~貴船
神社~志都美駅(ゴール)
此の日の私の万歩計は、21627歩で約12.9㎞歩いた事に、疲れた非常に疲れた・・・
志都美駅
達磨寺・・・達磨信仰発祥の地
『日本書紀』によると、推古天皇21年( 613年)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せって
いた飢人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くな
りました。そのことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、
数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。
この飢人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。
このように、聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまった達磨寺には、今も本堂の下
に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。
これが、聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時
代にその上にお堂が建てられて、本尊として道内に聖徳太子像と達磨大師像が安置さ
れました。
葛下川遊歩道
せせらぎ広場
葛下橋
片岡城跡へ
片岡城跡・・・中世の山城「片岡城」
片岡城を築いたのは片岡国春。上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の
頂部分に中世の山城と伝えられる片岡城跡があります。片岡城は1550年頃に片岡
国春によって築かれたとされています。下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香
芝市の境界あたりにある小高い山、送迎(ひるめ)山の標高262mのところにありまし
た。この頃の葛城地方は片岡氏に続いて南のほうへ順に岡・万歳・布施・倶志羅・楢
原・吐田の六人が勢力を伸ばし、倶志羅氏以外の五氏はいずれも山城を築いており、
片岡国春の送迎山城も地理的に良く似たところにあります。片岡国春が上牧町内に
新たに築いた片岡城は高さ80mの丘城で、他の山城とは地形的に異なり、要害性に
は劣りますが、片岡谷を見下ろす位置にあり、政治・経済の中枢としての機能は送迎
山城より優れていたと考えられます。片岡城は葛下川を望む上牧第二中学校から葛
下川と滝川との合流点へ続く丘陵地帯に築かれた山城です。
城の西すそを流れる葛下川から見ますと48mの高さの位置にありますが、急な崖で
迫り、当時、すそを覆うように流れていた葛下川がたびたび氾濫を繰り返し、あたり一
面は湿地帯になっていました。また、城の東側にも滝川が流れそれが城の北側で葛
下川と合流、三方を自然の水濠で囲まれた、この近辺では屈指の要害に適した地形
になっていました。片岡氏から松永久秀に変わって・・・松永時代に完成した片岡城、
別々に機能していた曲輪と曲輪を共通に防御できるようになり、このときに片岡城が
完成したと考えられます。この年代は永禄12年から天正5年の8年間と限定できます。
※細川忠興15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳
天正5年(1577)の、松永久秀による信長への反乱に従い、松永久秀の与力である海老
名某も、河内国片岡城に立て籠もった。これに対し信長は、長岡(細川)藤孝父子、惟
任(明智)光秀、筒井順慶に「3人で押し寄せ、蹴散らせ」と命じた。
これにより十月朔日未明に、この3名による片岡城攻めが始まった。ここで、長岡藤孝
の嫡男與一郎(細川忠興)15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳の兄弟が真っ先に
駆け入った。織田勢は新手を入れ代わり立ち代わりに攻め立てさせた為、死傷者多く出
て残り少なくなると、「今や叶わじ」と思ったか、城主の海老名は腹を十文字に掻っ切
って伏せ、残る兵たちも、みな思い思いに自害して、同じ枕に臥した。
細川忠興・興元兄弟は、この戦いでの働きにより信長から直筆の感謝状をもらっている。
案内板の横のお地蔵さん
伊邪那岐神社
下牧と金富との間に横たわる山の頂にあり、祭神は伊邪那岐命です。
主神の伊邪那岐命を中央にして、相殿とし春日、八幡、住吉、稲荷の神をまつっています。
もと指定村社で、町内の神社では格式が高いとも言われていました。
神殿は流れ造りで明治12年(1879)の造営で昭和43年(1968)に改築されています。
もと東田口の忍山(しのんやま)にありましたが疫病が流行したので静寂の聖地をもとめ
て現在の地に移したといわれています。 旧地は現在住宅化している丘陵の中央で頂上
が平地になっていました。そのころは五社神社と言われていたようです。
また足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守護神と
してまつったという言い伝えもあります。『延書式巻九』の神名帳には、「葛下郡伊邪
奈岐神社」と書かれている神社がこれではないかといわれています。
また『大和国町村誌集』には「下牧、神社、伊邪奈岐神社」とあり、明治24年の『神社
明細帳』にも「伊財奈岐神社」とかかれていますが、今は伊邪那岐神社と書いています。
境内に末社はありませんが石灯篭が数多く並んでいて、信仰の篤さを示しています。
その石灯篭の中には寛文年号のものもあります。
片岡城跡
案内板の横のお地蔵さんへ戻る
滝川遊歩道~
上牧町2000年会館・やすらぎ広場(昼食休憩)
※虹の湯
神の牧温泉。泉質はナトリウムー塩化物温泉。
適応症
・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・間接のこわばり・うちみ・くじき
・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず
・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
現在は、スーパー銭湯形式で大野天風呂が魅力の「虹の湯」が営業しています。
貴船神社
智照寺山にあり、祭神は罔象女命(春日)、保食神(稲荷)、素盞鳴命(八坂)、
別雷神(加茂)を祀り、智照神社の奥の宮といわれてる。社殿は神明造りで、元は
上牧小学校の奉安殿であったのを移築する。この近くに葦田池があったと伝えられ、
地形上から延喜式内の古社「深溝神社」ではないかといわれている。
志都美駅へ皆さんを送って
8月12日の馬見丘陵公園の向日葵&百日紅-2
8月14日 8月12日の馬見丘陵公園の向日葵&百日紅-2
約10日間振りの馬見丘陵公園
11日の夜、あまりの暑さにいつも飲んでる常温の水に氷を入れて氷水にして飲むと
いきなり左右の奥歯に染みて奥歯から頭迄痛くなり、12日の朝は冷蔵庫の牛乳さえ
飲むのが怖くて行きつけの口腔外科へ電話して予約、10時前に診て貰い、処置して
貰った(冷風を吹き付けて検査して貰ったがさほど痛みは感じられず、何だった?)
歯の根元に歯と歯茎の隙間に詰め物をしてる箇所が外れている事も無かったが各々
隙間が出来て来て其のせいで冷たい物が染みて痛んだ?歯石除去もしながら様子を
見ていく事にした。10時に治療を終え馬見のGSへ行き、其のまま馬見丘陵公園へ
入り、2時間弱で此の日の私の万歩計は、4540歩で約2.7㎞の公園散策となった。
中央駐車場に車をいれて
公園館から芝生の丘へ
芝生の丘
前回の8月1日は向日葵も百日紅も咲いていなかったが今日は満開
向日葵は同じ方向を向いてる
百日紅は此れからだ
睡蓮池
下池へ向かう
別所下古墳、木陰は風があって涼しい
上池の土手
彼岸花がしおれている
下池
ムクゲ
ムクゲ(憲法で定められてるわけではないが韓国の国花と言われる、ムグンファ)
百日紅
古墳の丘
カタビ古墳群
古墳の丘~見る
下池 ウッド橋
古墳の丘
菖蒲園横の
マサキ&栗の木
バラ園
此処までは、
8月12日の馬見丘陵公園の向日葵&百日紅-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-08-14-1
此処では、続きの バラ園の向日葵の途中~ についての詳細を掲載します。
バラ園の向日葵の途中~
花弁が落ちて種だけの向日葵
花の道
チャイニーズイエローバナナ
花の道を
公園館へ向かう
花の道
バラ園の百日紅
公園館前
百日紅
約10日間振りの馬見丘陵公園
11日の夜、あまりの暑さにいつも飲んでる常温の水に氷を入れて氷水にして飲むと
いきなり左右の奥歯に染みて奥歯から頭迄痛くなり、12日の朝は冷蔵庫の牛乳さえ
飲むのが怖くて行きつけの口腔外科へ電話して予約、10時前に診て貰い、処置して
貰った(冷風を吹き付けて検査して貰ったがさほど痛みは感じられず、何だった?)
歯の根元に歯と歯茎の隙間に詰め物をしてる箇所が外れている事も無かったが各々
隙間が出来て来て其のせいで冷たい物が染みて痛んだ?歯石除去もしながら様子を
見ていく事にした。10時に治療を終え馬見のGSへ行き、其のまま馬見丘陵公園へ
入り、2時間弱で此の日の私の万歩計は、4540歩で約2.7㎞の公園散策となった。
中央駐車場に車をいれて
公園館から芝生の丘へ
芝生の丘
前回の8月1日は向日葵も百日紅も咲いていなかったが今日は満開
向日葵は同じ方向を向いてる
百日紅は此れからだ
睡蓮池
下池へ向かう
別所下古墳、木陰は風があって涼しい
上池の土手
彼岸花がしおれている
下池
ムクゲ
ムクゲ(憲法で定められてるわけではないが韓国の国花と言われる、ムグンファ)
百日紅
古墳の丘
カタビ古墳群
古墳の丘~見る
下池 ウッド橋
古墳の丘
菖蒲園横の
マサキ&栗の木
バラ園
此処までは、
8月12日の馬見丘陵公園の向日葵&百日紅-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-08-14-1
此処では、続きの バラ園の向日葵の途中~ についての詳細を掲載します。
バラ園の向日葵の途中~
花弁が落ちて種だけの向日葵
花の道
チャイニーズイエローバナナ
花の道を
公園館へ向かう
花の道
バラ園の百日紅
公園館前
百日紅
8月1日の馬見丘陵公園の向日葵祭り他-2
8月8日 8月1日の馬見丘陵公園の向日葵祭り他-2
巣山古墳前丘下の向日葵畑を・・・
今回は、1人でゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
公園館
芝生の丘
此方の向日葵は殆どが未だ蕾固くて咲いていない・・・
睡蓮池
ナガレ山古墳下の溜池
結びの広場
ナガレ山古墳
久し振りに上ってみる
中央南口
竹取公園への連絡橋
ユリノキ
此処の
百日紅は未だ一枝しか咲いていない
ダダオシ池
三吉2号墳・彼岸花
巣山古墳
巣山古墳前・百日紅
狐塚古墳
巣山古墳前丘下の
向日葵畑へ
巣山古墳前丘
巣山古墳前丘~巣山古墳
墳観橋を渡り
カリヨンの丘のコキア畑
倉塚古墳
一本松古墳
上池
上池土手の彼岸花
下池のムクゲ・百日紅
中央
ムクゲ・百日紅
古墳の丘
此処の百日紅未だ咲いていない
下池ウッド橋
古墳の丘
菖蒲園
マサキ~栗の木
バラ園
アメリカ芙蓉・マーガレット他・向日葵
花の道・チャイニーズイエローバナナ
北エリアへ連絡隧道を通り
ルドベキア・向日葵
ダリア園
向日葵・ルドベキア・夏の花・百日紅
集いの丘
向日葵・百日紅・夏の花
此処までは、
8月1日の馬見丘陵公園の向日葵祭り他-1 として
下記のせかんどブログへ詳細を投稿済です。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-08-07-1
此処では、続きの 大型テントへ下りて~ についての詳細を掲載します。
大型テントへ下りて
集いの丘麓の向日葵
集いの丘麓~花サポータ花壇へ
花サポータ花壇・花壇裏の栗の木
連絡隧道~花の道~ススキの丘
バラ園
向日葵・百日紅
公園館へ
公園館前の百日紅
巣山古墳前丘下の向日葵畑を・・・
今回は、1人でゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
公園館
芝生の丘
此方の向日葵は殆どが未だ蕾固くて咲いていない・・・
睡蓮池
ナガレ山古墳下の溜池
結びの広場
ナガレ山古墳
久し振りに上ってみる
中央南口
竹取公園への連絡橋
ユリノキ
此処の
百日紅は未だ一枝しか咲いていない
ダダオシ池
三吉2号墳・彼岸花
巣山古墳
巣山古墳前・百日紅
狐塚古墳
巣山古墳前丘下の
向日葵畑へ
巣山古墳前丘
巣山古墳前丘~巣山古墳
墳観橋を渡り
カリヨンの丘のコキア畑
倉塚古墳
一本松古墳
上池
上池土手の彼岸花
下池のムクゲ・百日紅
中央
ムクゲ・百日紅
古墳の丘
此処の百日紅未だ咲いていない
下池ウッド橋
古墳の丘
菖蒲園
マサキ~栗の木
バラ園
アメリカ芙蓉・マーガレット他・向日葵
花の道・チャイニーズイエローバナナ
北エリアへ連絡隧道を通り
ルドベキア・向日葵
ダリア園
向日葵・ルドベキア・夏の花・百日紅
集いの丘
向日葵・百日紅・夏の花
此処までは、
8月1日の馬見丘陵公園の向日葵祭り他-1 として
下記のせかんどブログへ詳細を投稿済です。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-08-07-1
此処では、続きの 大型テントへ下りて~ についての詳細を掲載します。
大型テントへ下りて
集いの丘麓の向日葵
集いの丘麓~花サポータ花壇へ
花サポータ花壇・花壇裏の栗の木
連絡隧道~花の道~ススキの丘
バラ園
向日葵・百日紅
公園館へ
公園館前の百日紅
8月1日の馬見丘陵公園の百日紅(抜粋)
8月7日 8月1日の馬見丘陵公園の百日紅(抜粋)
未だ未だだった各所の百日紅
8月1日は、1人ゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
此処では各所の百日紅の状況をレポート・・・
竹取公園への連絡橋・百日紅
寂しく一枝しか咲いていなかった
巣山古墳前・百日紅
下池の百日紅
下池前中央の百日紅
古墳の丘への百日紅
未だ咲いていない
北エリアへ連絡隧道~
北エリアの百日紅
ダリア園前の百日紅
集いの丘の百日紅
此処の百日紅は地を這う様な低木
バラ園の百日紅
公園館廻りの百日紅
以上
公園各所の百日紅でした。
未だ未だだった各所の百日紅
8月1日は、1人ゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
此処では各所の百日紅の状況をレポート・・・
竹取公園への連絡橋・百日紅
寂しく一枝しか咲いていなかった
巣山古墳前・百日紅
下池の百日紅
下池前中央の百日紅
古墳の丘への百日紅
未だ咲いていない
北エリアへ連絡隧道~
北エリアの百日紅
ダリア園前の百日紅
集いの丘の百日紅
此処の百日紅は地を這う様な低木
バラ園の百日紅
公園館廻りの百日紅
以上
公園各所の百日紅でした。
2020年7~8月の馬見丘陵公園向日葵祭り
8月6日 2020年7~8月の馬見丘陵公園向日葵祭り
7月28日と8月1日の2日間で公園内の全ての向日葵を撮り歩く
7月28日は中央エリアと北エリアの一部の向日葵を撮り歩き、8月1日には南エリア~
中央エリア~北エリアの隅々迄、向日葵を撮り歩いた。11品種15万株の向日葵だと。
7月28日
公園館へ
北エリアの向日葵
集いの丘の向日葵
バラ園の向日葵
8月1日
8月1日は、1人ゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
公園館前の芝生の丘の向日葵は未だ咲いていない
巣山古墳前丘下の向日葵畑
中央エリア
バラ園・向日葵
北エリアへ連絡隧道~向日葵
ダリア園・向日葵
集いの丘・向日葵
大型テントへ下りる
大型テント~
集いの丘麓の向日葵
連絡隧道~花の道~バラ園・向日葵
以上
駐車場へ戻る
7月28日と8月1日の2日間で公園内の全ての向日葵を撮り歩く
7月28日は中央エリアと北エリアの一部の向日葵を撮り歩き、8月1日には南エリア~
中央エリア~北エリアの隅々迄、向日葵を撮り歩いた。11品種15万株の向日葵だと。
7月28日
公園館へ
北エリアの向日葵
集いの丘の向日葵
バラ園の向日葵
8月1日
8月1日は、1人ゆっくり見て廻れる?中央駐車場に車を入れて睡蓮池~ナガレ山古墳~竹取
公園への連絡橋・百日紅~三吉2号墳・彼岸花~巣山古墳前・百日紅~巣山古墳前丘下の向
日葵畑~巣山古墳前丘~墳観橋を渡り~カリヨンの丘のコキア畑~倉塚古墳~一本松古墳~
上池土手の彼岸花~下池~ムクゲ~百日紅~古墳の丘・百日紅~下池ウッド橋~花菖蒲園~
マサキ~栗の木~バラ園・アメリカ芙蓉・向日葵~花の道・チャイニーズイエローバナナ~
北エリアへ連絡隧道~ルドベキア・百日紅・向日葵~ダリア園・向日葵・百日紅・夏の花~
集いの丘・向日葵・百日紅・夏の花・向日葵~大型テントへ降りて~集いの丘麓の向日葵~
花サポータ花壇・裏の栗の木~連絡隧道~花の道~ススキの丘~バラ園・百日紅~公園館へ
・百日紅~駐車場へ・・・此の日の私の万歩計は、9070歩で約5.4㎞歩いた事に
公園館前の芝生の丘の向日葵は未だ咲いていない
巣山古墳前丘下の向日葵畑
中央エリア
バラ園・向日葵
北エリアへ連絡隧道~向日葵
ダリア園・向日葵
集いの丘・向日葵
大型テントへ下りる
大型テント~
集いの丘麓の向日葵
連絡隧道~花の道~バラ園・向日葵
以上
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