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2019年 8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2

2019年8月31日   2019年8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2
             8月度歩こう会例会 歩程5㎞
此の日は曇り空、真夏の8月なので距離を短く昼食場所も冷房の効く市民センターの
会議室を予約して雨天決行で臨んだ歩こう会例会だったが参加62名とやや少ない。
雨が降りそうな天候だったので皆さん出かけるのに躊躇したのか?
コースは阪神電車尼崎駅 西出口 駅北側の中央公園10時集合 参加費用500円 
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)~尼崎中央商店街~尼崎えびす神社
(神田公園)~寺町散策(廣徳寺や長遠時)~市民センター会議室(昼食休憩)~尼
信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺~尼崎城(解散)~阪神尼崎駅
此の日の私の万歩計は、11466歩で約6.8km歩いた・・・
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)
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尼崎中央商店アーケード街へ向かう
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尼崎中央商店アーケード街
中央一番街
東西約640mに渡る尼崎中央商店街の東端にある通り。阪神尼崎駅からの玄関口でも
あり、駅北の中央公園西側の車道、五合橋線を渡るとすぐに、一番街の入口がある。
神田中通二丁目に相当する地域。
中央三番街
車道(中央大通り)を挟んで一番街の西方へ続く通り(ちなみに、中央二番街は存在しな
い)。途中に車道との交差点が1カ所ある。神田中通三丁目に相当する地域。
アーケードに、商店街が応援する阪神タイガースの「日本一早いマジック」点灯ボードが
吊るされていることで有名。ボードは天井のレールに吊るされた虎柄の魚型マスコットに
取り付けられ、シーズン開幕直後から「マジック」を表示して通りを十数メートル往復する。
アーケードには同じくタイガース応援関連として「参虎殿」と呼ばれる黄色の鳥居も吊るさ
れている。
通りの南方すぐに尼崎戎神社があり、正月や十日戎等には参道となる。また、通りより高
さ17mの大鳥居を臨むことができる。
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尼崎えびす神社(神田公園)
「尼崎えびす神社」は醍醐天皇(885年)時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてき
ました。海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたこと
により漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も
商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
その昔、菅原道真公が九州の大宰府に赴かれる途中、尼崎の海辺の神社に立ち並
ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われ、船を止めてこの地に上陸されました。
「ここは殊のほかのよき浦なり」「松は琴柱の並びたるが如し」
道真公が賛美したお言葉にちなんで尼崎は「琴の浦」と名付けられ、その古名の発祥
源は当神社であるといわれております。
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居は、高さ17m、笠木22m、柱直径
1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに
尼崎のシンボルとなっています。
社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、
普段は神田公園の名称で開放されているそうです。二宮金次郎像も有りました。
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寺町散策(廣徳寺や長遠時)
寺町(尼崎市)・・・阪神本線尼崎駅の南西に位置し、多くの仏教寺院が密集している。
1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる
大物周辺(現・尼崎市大物~東本町)に多くあった寺院を別所村へ集め、一画を寺町と
した。
江戸時代初期は20ヶ寺を数えたが、藩主移封に伴う移転などで、現在は3.9haに11ヶ
寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美
形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
なお、全昌寺と本興寺がある区画のみ、現在は開明町3丁目になっている。
・全昌寺 – 曹洞宗、桃源山。・本興寺 – 法華宗本門流大本山。・廣徳寺 – 臨済宗、瑞雲山。
・甘露寺 – 浄土宗、薬王山。・法園寺 – 浄土宗、恵光山。・大覚寺 – 律宗、月峯山。
・長遠寺 – 日蓮宗、大尭山。・徧照寺如来院 – 浄土宗、瑞光山。・専念寺 – 浄土宗、十劫山。
・常楽寺 – 浄土宗、清閑山。・善通寺 – 時宗、平陽山。

廣徳寺(こうとくじ) 広徳寺
広徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。正式には
旧字体を用い「廣徳寺」と記す。 1390年に京都から尼崎の大物に移された。
明徳元年(1390年)京都紫野大徳寺の第七世である言外宗忠和尚が開基である。または
宗忠の弟子にあたる華岳宗栄が開基としたともされる。その後、宗忠の法嗣で大徳寺27
世の明遠宗智が住し、文明10年(1478年)頃には柔仲宗隆が住持となっていた。
享禄4年6月8日(1531年)には、大物崩れの戦いで敗れた細川高国が三好一秀に捕らえ
られ広徳寺で切腹させられている。
その後荒廃したが、永禄年間(1558年 - 1570年)に笑嶺宗訢が隣接していた栖賢寺(現
在は京都市)とともに再興、当時は豊臣秀吉から寺領をもらっていたと言われている。又
徳川秀忠の朱印状には寺領三十石と記載されている。 慶長20年(1615年)前後、尼崎城
築城にともない大物町から現在の尼崎市寺町に移転した。
昭和20年(1945年)6月に空襲により全焼したが本堂などを再建。
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寺町散策
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長遠時(じょうおんじ)
長遠寺兵庫県尼崎市寺町にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大尭山。大本山本圀寺(六条
門流)の旧末寺であり六条門流三長(他に長満寺、長源寺)の一寺。親師法縁。塔頭として
中正院がある。
『大堯山縁起』では、1350年(観応元年)永存院日恩により七ツ松の地で創建され、のちに
風呂辻町・辰巳(巽)・市庭(市場)(すべて、現・東本町の地名)の地へ移転したと伝えられる。
長遠寺は、風呂辻町の南側にあったと推定されている。西側は当時の尼崎の中心として賑
わった市庭である。七堂伽藍と子坊16坊を持っていたという。 法花寺と呼ばれていたが、16
17年(元和3年)に尼崎城築城にともない現在地に移転した際、寺号を現在のものに改めた。
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寺町散策
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市民センターへ向かう
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市民センター会議室(昼食休憩)~尼信会館博物館へ
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此処までは、
8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30-2
此処では、続きの尼信会館博物館~ についての詳細を掲載致します。
博物館前で2班に分かれて集合写真を撮影して
一班は尼信会館博物館、二班は隣の尼信・世界の貯金箱博物館へ
尼信会館博物館
尼信博物館(あましんはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある尼崎信用金庫の企業
博物館。2001年(平成13年)6月1日にオープンした。
1階~3階に展示室があり、2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示さ
れ、復元模型も設置されている。また、世界の貨幣も体系的に展示されている。
尼崎城をイメージした白壁の建物。2階常設展示室には、尼崎城の復元模型や尼崎
藩主ゆかりの「太刀 銘 守家」(国の重要文化財)、尼崎市指定文化財の甲冑、火縄銃
・道具槍等を展示する「城下町尼崎」と、日本の大判・小判をはじめ世界170カ国の金
貨・銀貨など2500個を展示する「あましんコイン・ミュージアム」がある。
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世界のコイン
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尼信・世界の貯金箱博物館
世界の貯金箱博物館(せかいのちょきんばこはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある
博物館。尼崎信用金庫の企業博物館であり、貯金箱をテーマとしている。
尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)4月
に設立された。
2015年(平成27年)3月時点では、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、
その中から約2,500点を常設展示している
貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模である。日本のみならず、欧米等
世界62か国のものが含まれている。
また、常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示
を企画・実施している。来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントが
ある。 ・・・ お土産に宝珠の貯金箱貰いました。
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此処からは日本の産品
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タイガース定期預金
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尼信博物館のロビーで休憩
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本興寺(ほんこうじ)
本興寺は、兵庫県尼崎市開明町にある、法華宗本門流の大本山。塔頭が六院ある
(本教院、一乗院、恵運院、養寿院、本成院、尭運院)。
日隆が尼崎に布教した時、細川満元は夫人の懐妊に際し、男子誕生の祈願を依頼。
無事に男子が誕生し、その礼として本興寺が建立された。本能寺が伝道の中心地で
あったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置され
た(現・学校法人法華学園興隆学林専門学校)。
※日隆 (本門法華宗)
日隆(にちりゅう、1385年11月17日(至徳2年10月14日) - 1464年4月1日(寛正5年2月25
日))は、室町時代の法華宗(日蓮宗)の僧。幼名は長一丸。号は深円・慶林坊・精進院。本
門法華宗・法華宗本門流の祖[1]。本門佛立宗では「門祖」と称えられている。
1385年(至徳2年)桃井尚儀の子として越中国射水郡(現・富山県射水市)に生まれる。139
6年(応永3年)遠成寺・日深を師として出家。名を深円と称す。1402年(応永9年)妙本寺(現
・妙顕寺)4世・日霽に師事して修学。名を日隆と改める。1410年(応永17年)法華経に対し、
妙本寺5世・月明と対立。日隆は本迹勝劣を主張し、妙本寺を退出。五条西洞院の像師堂
(現・妙蓮寺)で研鑚。1415年(応永22年)小袖屋宗句の寄進により、本応寺(現・本能寺)を
建立。1420年(応永27年)細川満元の寄進により、本興寺を建立。1464年(寛正5年)本興
寺で入滅。享年81。
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※本能寺(ほんのうじ)
本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の
変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源
妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊
門の間に、日隆によって創建されたものである。
寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地
であった。日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張し
た日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永5年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日
隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った。

尼崎城址公園へ向かう
「尼崎城址公園」に行く途中~雨がぱらつき、到着寸前に心配していた雨が土砂降りになり
集合写真も取れなくなり、場内で集合写真を撮った。
新築尼崎城
阪神尼崎駅南西側の「尼崎城址公園」に「尼崎城」が復元されました。復元された城は、
実際にあった場所から西に約300mにある「尼崎城址公園」の中央付近に有ります。
「尼崎城」は、元和4(1618)年に尼崎藩主の戸田氏鉄が築城しましたが、明治6年の廃
城令で取り壊されました。当時の本丸の4分の1程度で復元され、天守は地上5階、高さ
約24m、鉄筋コンクリート造で、展示室のほか、最上階には展望室が整備されました。
「尼崎城」の復元は、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者である「安保詮(あぼ・あきら)氏」
の寄付がきっかけです。「安保詮氏」が建設し、完成後に尼崎市に引き渡しました。
尼崎市は、「ミドリ電化」の創業の地です。
新築尼崎城は、平成30年11月30日竣工、平成31年3月29日に一般公開となりました。
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内部
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尼崎城内を見学して場内出集合写真を撮り(解散)
外へ出ると雨は小雨に変わっていた。
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阪神尼崎駅前のテラスの花壇
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2019年 8月26日・SGC明日香の森でブルーベリー狩り(抜粋編)

8月30日    2019年8月26日・SGC明日香の森でブルーベリー狩り(抜粋編)
            知人と二人で王寺駅から車で明日香へGO
此の日は月曜日、行ってみて判った事、万葉博物館が休観日、駐車場もトイレも使え
ず、約1.2km先にある石舞台古墳の駐車場へトイレを借りに行って車はSGC明日香
の森の入口の駐車スペースに停めて、桜の広場のベンチで休憩をしながら1時間強
SGC明日香の森のブルベリー畑で収穫して、お風呂と昼食休憩に、と橿原市の福祉
施設「やわらぎの郷」へ行ってみると?!又又アクシデントに遭遇する
なんと
此方も月曜休館日で仕方無く、上牧町にある天然温泉「虹の湯」へ行き汗を流して、
近くの定食屋?「松のや」の味噌カツ定食で昼食を済ませて王寺駅へ・・・

目的地にしていた2ヶ所が何れも休館日で目的を達成できないと言うアクシデントは
有ったがメイン目的のブルーベリー収穫が無事達成出来て満足の行く一日でした・・・

アクシデントにも新たな試みが出来て楽しみに変わる?!
石舞台古墳
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未だ観光客もまばら
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SGC明日香の森
果樹園?(クリの木とブルーベリー)とクヌギ林と竹林が有る
今年も8月10日にSGCメンバーと一緒にブルーベリー畑の草刈りをして収穫祭に参加、
ブルーベリー狩りや竹の子掘り、花見にも行ける貴重な里山「SGC明日香の森」
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立て看板の横を真っ直ぐ行くとクヌギ林と竹林へ、看板の前を左に折れて下るとクヌギ
林とブルーベリー畑の間を通って桜の広場へ出る、せせらぎの向うに綺麗な棚田が・・・
クヌギ林
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ブルーベリー畑
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小川のせせらぎや棚田に癒される
せせらぎの向うに綺麗な棚田が見える
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桜の広場、垣根の上部がブルーベリー畑
広場のベンチにリュックを置いてブルーベリー狩り、完熟のブルーベリーを収穫
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ブルーベリー
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空が青く気持ち良い
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何時もの橿原市の福祉施設「やわらぎの郷」でお風呂(100円)で汗を流し昼食休憩の
予定だったが、月曜で本日休館日で利用出来ず、上牧町の「虹の湯」(750円)へ・・・
「虹の湯」
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近くの定食屋「松のや」で味噌カツ定食、「やわらぎの郷」の定食と粗同様の価格?!
を済ませて王寺駅へ知人を送り届けて帰宅、ブルーベリーを洗って生食用とジャム用
に選別区分して生食用は冷蔵庫、ジャム用は200g分包して冷凍庫へ・・・
今日の収穫
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生食用に選別
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以下はポイプロへ投稿したものを・・・
朝食がパンの時にブルーベリージャム、パンをかじって写真に・・・
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生食用ブルーベリーも食卓に・・・
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2019年   8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-2

2019年8月28日    2019年8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-2
                 JRふれあいハイキング 歩程約12㎞
此の日は1人で参加、参加者255名でJR茨木駅をスタート、夏とは思えない涼しい中での
ハイキングとなった、特に午前中は木陰の中を涼しい風もふいていて殆ど汗をかかない珍
しい夏のハイキング?午後は昼食もお腹に入り、歩く場所も木陰が少なくなり少し夏を感じ
るハイキングとなった、私にとっては、懐かしい昭和40年~48年にかけて通勤に利用して
いた千里丘駅を通り、3年半の寮生活を終えて、万博の頃5年間住んでいた近辺を通って
吹田駅へ向った、途中の岸辺駅で分散解散となったので私も岸辺駅から帰途についた。
此の日の私の万歩計は、17352歩で約10.4kmあるいたことに・・・
コース  JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会主催 参加費500円
JR茨木駅(9:45集合)~元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社(トイレ休憩)・桜通り~沢
良宜公園(昼食休憩)~千里丘駅~明和池公園(トイレ休憩)~吹田緑陰道・さくらの散歩
道~岸辺駅(分散・解散)~吹田緑陰道・さくらの散歩道~吹田駅(解散14:30頃)
JR茨木駅(集合)
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朝礼&柔軟体操をして出発
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元茨木川緑地へ向かう
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元茨木川緑陰道
元茨木川緑地・桜通りを歩く
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佐和良義神社前交差点
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元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社・八幡神社(トイレ休憩)
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八幡神社
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元茨木川緑地・桜通りを沢良宜公園へ向かう
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沢良宜公園(昼食休憩)
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此処までは、
8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
         https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-28
此処では、続きの沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう~ の詳細を掲載します。
沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう
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大阪モノレール・沢良宜
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嘉円公園・摂津市立みきの路
此処から摂津市
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摂津高校前交差点
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大正川を越えて千里丘駅へ向かう
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市街地を歩く
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千里丘駅地下道
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※千里丘駅
昔通勤で歩いていたJRの線路沿いの道を岸辺駅&吹田駅方面へ歩く
50年前とは全く異なり、立派な素敵な道に、線路側に道路を広げたのかな?

明和池公園へ向かう
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明和池公園(トイレ休憩)・明和池遺跡
明和池公園は、防災機能を備えた公園として、平成28年3月30日にオープンしました。
公園には、すべり台などの大型遊具や健康器具などが設置され、普段は一般的な公園
として利用されますが、災害時は一時避難場所として活用できるほか、物資などを保管
する防災倉庫、防災用トイレ、かまどベンチなどの施設が備えられた公園です。
隣には緑の遊歩道が設置されています。
当公園を含む吹田操車場跡地地区は、過去にあった「明和池」周辺に形成された集落
の痕跡があり、吹田操車場跡地地区のまちづくりの基本方針にもある「記憶でつながる
まち」というテーマを踏まえ、その過去の記憶を後世に継承していきたいという思いから、
「明和池」の名称を残し、「明和池公園」として市民に親しまれる公園を目指します。
明和池公園のある千里丘新町地域には。かつて「東洋一」と呼ばれた吹田操車場があ
りました。その記憶を未来に伝えていこうと、公園には、鉄道型の複合遊具や線路をモ
チーフにした石畳を設置しています。
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明和池遺跡
縄文時代の後期、今から3000~4000年ほど前の縄文土器が川の中から発見されまし
た。中津式土器(なかつしきどき)と呼ばれる縄文土器です。縄文土器は、土器の表面
に縄目の文様をつけているのが大きな特徴ですが、中津式土器は、縄文を施した後、
沈線という竹や棒で線をつけ、その後ヘラ状の工具で縄文を磨り消し、磨り消した部分
と残された部分とで文様帯を構成するといった土器です。縄文を磨り消し、溝状の文様
を強調させるといった意味があります。中津式土器は瀬戸内地方にゆかりのある土器
で、そうした地方から摂津市にもたらされた可能性が高いものと推定されます。
地面を約2.2メートル掘った下から弥生時代後期(今から1800~2000年前)の集落跡が
発見されました。摂津市ではこれまでで一番古い集落跡の発見です。人々が生活してい
たことを示すものとして竪穴建物(たてあなたてもの)と呼ばれる住居跡が見つかりまし
た。竪穴建物は、現在の住居とは違い、地下に住まいを設けた住居跡です。当時はこう
した建物が一般的でした。建物のすぐ脇には、当時の川の跡が見つかり、川べりから生
活に使用したと考えられる弥生土器が多数見つかりました。弥生時代に摂津市に住んで
いた人々は、こうした河川とうまく付き合いながら生活していた風景が想像できます。
古墳時代後期(今から1400~1500年前)の川や井戸の跡が確認され、川の跡からは、
たくさんの須恵器とよばれる青灰色の焼物が出土しました。その数は、破片も含め3000
点以上になります。この川の跡から出土した須恵器の多くには、共通する特徴がありま
す。それは、須恵器を作った際に、焼きが強すぎてゆがんでしまったり、土器どうしがくっ
ついてしまったり、逆に焼きが弱すぎて生焼けになってしまったものなど不良品が目立つ
ことです。
明和池遺跡の北側には、千里丘陵と呼ばれる千里ニュータウンや万博記念公園を含む
吹田・豊中・茨木・箕面市にまたがる広い丘陵地があります。ここは、吹田市や豊中市を
中心に古代の一大窯業地として知られ、須恵器を焼いた窯場がたくさん見つかっていま
す。その窯場で造られた須恵器と今回発見された須恵器とは造りがよく似ており、そうし
た窯場から運ばれてきたものと推定されます
明和池遺跡では、千里丘陵で焼かれた須恵器を、この場所まで運んで良品と不良品とを
選別し、不良品を川へ捨てていた可能性が認められました。明和池遺跡に隣接する吹田
操車場遺跡には土器を作るための粘土を採掘した粘土取りの穴がたくさん見つかってい
ます。古墳時代、千里丘陵裾部にある平野部一帯は、須恵器の生産に関わった人々と
密接な関係をもった地域であったものと考えられます。
発掘調査では、奈良時代の川の中から非常にユニークな土器が発見されました。土器の
表面に顔を描いたものですが、人面墨書土器(じんめんぼくしょどき)と呼ばれています。
いったい何に使われたものなのでしょうか?現在有力な説は、病は気からという言葉があ
るように、大昔においては、病は悪い気が体内に入っておこるものと考えられ、その悪い
気を壷の中に吹き込み、蓋をして川に流し、穢れを祓う行為に使用された土器ではないか
と考えられています。その他、土馬やミニチュア竈といった同じく「まじない」に使用された
と考えられる遺物が見つかっています。こうした祭祀具は、平城京・長岡京などの古代の
都や役所跡を中心に出土することが知られています。今回の発見により、摂津市に、都
と交流のある人物が存在した可能性が考えられ、ます。もしかすると摂津市に役所と関
連するような施設があったのかも知れません。
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明和公園を出発、岸辺駅へ向かう
吹田緑陰道・さくらの散歩道を岸辺駅へ向かう
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岸辺駅(途中・分散解散)
※岸辺駅前には、新設された国立循環器病研究センターが有る。
国立研究開発法人国立循環器病研究センター(こくりつじゅんかんきびょうけんきゅう
センター)は、厚生労働省所管の国立研究開発法人。国立高度専門医療研究センター
の一法人である。厚生労働省直轄の施設等機関であった旧国立循環器病センターから
2010年に独立行政法人へ移行した。高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法
人に関する法律第2条第2号により設置された。略称としては国循(こくじゅん)が広く知
られている。令和元年7月にJR岸辺駅北側へ新築移転。
循環器病に関しての診断及び治療、調査及び研究並びに技術者の研修を行う。
名のとおり循環器を専門とする日本最先端の医療機関であると同時に、循環器病を専
とする医学研究機関でもある。
2019年7月1日 - 吹田市岸部新町旧吹田操車場跡地(愛称:健都)へ新築移転

私は此処で解散・・・続ける方々は吹田緑陰道・さくらの散歩道を吹田駅へ向かう
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岸辺駅~新大阪駅~おおさか東線で久宝寺駅~王寺駅~バスで帰る
自宅近くの高速道路の裏道を通る
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2019年  8月18日の安治川隧道と中之島遊歩道を歩く-2

2019年8月21日       8月18日の安治川隧道と中之島遊歩道を歩く-2
                 JRふれあいハイキング 10㎞
此の日は、知人の・I 田さん・K場さんと3名で参加して途中の中之島公園(昼食)後に
3名リタイヤさせて貰い、天神橋をコースと反対方向に渡り、天満橋の京阪シティーモ
ール7Fでお茶休憩して解散した。JRふれあいハイキングの参加者は103名でした。
コース   JRふれあいハイキング オレンジクラブ一歩会主催 参加費用500円
JR西九条駅(9:30集合)~安治川隧道~河村瑞賢紀功碑~大阪電信・開港の地~中
央市場(トイレ休憩)~名物自販機(10円・30円・50円)~堂島大橋~大阪国際会議場
~中之島中央公会堂~中之島公園(昼食・トイレ休憩)~天神橋~川崎橋~大阪城大
手門~豊国神社~森ノ宮駅(ゴール)
3名で途中リタイヤしたが、此の日の私の万歩計は、17787歩で約10.6km歩いた・・・
JR西九条駅~
西九条西公園受付・集合・スタート
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安治川隧道へ向かう
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安治川隧道
安治川沿いには多数の渡しがあったが、その一つ源兵衛渡しがトンネルになった。昭和
10年に着工し19年に完成した。コンクリートの箱を川の底に沈めてトンネルをつくる沈埋
工法としては日本初。又、歩行者用の川底トンネルとしては、関門トンネル(山口・福岡両
県)や川崎港海底トンネル(川崎市)くらいしかない貴重な存在。約14m下に有る川面下
の通路まで、エレベーターや階段で降りる方式。かつては人用の他に車両用のエレベー
ターもあったが排ガス問題等により昭和52年(1977年)に閉鎖、今は人と自転車のみが
通行出来る。階段は93段。
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隧道内
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隧道出口
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安治川隧道を潜ったところで休憩
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河村瑞賢紀功碑~大阪電信・開港の地へ向かう
※河村瑞賢・・・都市再開発の元祖
元禄期までの大阪は、お城の北側で淀川本流が付け替え前の大和川古流 と合流して
市中を貫流していたので、「水の都」でありながら幾度も水の災厄に悩まされていた。
幕府はその解決策を求めて天和三年(1683)に若年寄稲葉正休の配下に河村瑞賢を
すえて山城、河内両国の水路を巡見させ、治水工事を行うように命じた。翌貞享元年二
月、瑞賢は大阪の人たちの協力を得て、九条島を直進する水路を開削し、伝法の方に
曲流していた淀川末流を海に直流させ、以後,市中の人工河川の浚渫改修を積極的に
行った、その結果、大阪は都市としての機能が大幅に拡大し各所に新しい市街地(新地)
が開発されて「天下の台所」と形容される経済力豊かなまちに更に飛躍した。河村瑞賢
が長く大阪の恩人として親しまれている由縁である。
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対岸に大阪市中央卸売市場が見える
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大阪電信・開港の地
大阪開港(かいこう)の地・大阪電信発祥の地・川口運上所・外務局跡
長い鎖国後、ようやく諸外国へ門戸をひらくことになり、明治元年7月15日大阪では川口
を開港場とした。ここには運上所(うんじょうしょ)(税関)、外国事務局なとが設置されて、
名実ともに開港場としての姿を備えていた。つづいて明治3年には電信局もおかれ、川口
-造幣局間・神戸間の2線が開通した。しかし川口は名のとおり、安治川上流の小規模
な河川港であったため、外国船の来航が減少し大阪経済も沈滞したので、明治30年から、
現在に見られる市営の築港工事がはじめられた。
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水分補給休憩
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安治川橋之碑へ向かう
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バナナが・・・
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安治川橋之碑
元禄11年(1698)安治川橋が完成。
明治6年(1873)川口居留地の交通の便を図るため、新たな安治川橋が架けられます。
新たな安治川橋は、マスト船が航行する時に役立つ橋桁が旋回する可動鉄橋で、「磁石
橋」と呼ばれ大阪名物の一つとなりました。明治18年(1885)大阪を襲った大洪水にも耐
えていたが、周辺の被害拡大が考えられ、工兵隊により爆破撤去され姿を消しました。
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安治川
江戸時代初期までの淀川河口部には九条島が流れを遮る位置にあり、洪水がたびたび
起こり、また土砂堆積により舟運にも不便をきたすことが多かった。このため貞享元年
(1684)幕府の命により、河村瑞賢が水路を開削し、安治川と名付けられた。
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中央卸売市場入口(トイレ休憩)
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名物自販機へ向かう
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名物自販機(10円・30円・50円)
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上船津橋を渡り堂島川の遊歩道を歩く
上船津橋・・・堂島川(旧淀川)に架る橋
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此処までは、
8月18日の安治川隧道と中之島遊歩道を歩く-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21
此処では、続きの堂島大橋~中之島バンクスへ入る~の詳細を掲載します。
中之島バンクス、直ぐ近くに大阪国際会議場が見える
中之島バンクスは、堂島川左岸の堂島大橋から玉江橋までの全長400mの親水空間。
京阪中之島線建設の復旧工事に併せて河川敷に空間を生み出し、2008年、中之島エ
リアが国土交通省に社会実験区域の指定を受けたことにより、民間による河川空間活
用の枠組みができた。これを受けて、大阪府による事業コンペで、デザインとクリエイテ
ィブをコンセプトに提案された施設が民間により設置され、現在はミュージアムや飲食
店舗、チャペルなどが運営されている。
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バンパスグラス
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中之島バンクスは此処まで
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玉江橋南詰交差点
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玉江橋南詰の交差点を渡って
堂島川右岸を中之島公園エリアへ向かって歩く
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遊歩道で水分補給休憩
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昼食場所の中之島公園へ向ってもくもくと歩く
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中之島中央公会堂
公会堂の屋根に、ローマ神話に登場する商業の神「メルクリウス」と、科学・工芸・平和
を象徴する女神「ミネルヴァ」がいます。
戦時中にこれらの像が金属供出のため撤去されていたのですが、平成14年の保存再
生工事の時に復活させました。
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バラ園のトンネル
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バラ園を通り過ぎて広場の高速道路下の涼しい場所へ
中之島公園(昼食・トイレ休憩)
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昼食後、此処でリタイヤ届をして主催者にゼッケンを返却して帰途へ
本隊は天神橋を天満南公園側へ渡り~川崎橋~大阪城大手門~豊国神社~
森ノ宮駅(ゴール)を目指すが、我々3名は天神橋を本隊とは反対の八軒家浜へ
回り、京阪シティーモールでお茶休憩して汗がひいたところで解散した・・・ 

天神橋へのループを上る
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八軒家浜へ
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安治川で見たあの丸いボートだ
此処で受付をしてるんだ、店内に実物も展示してある
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安治川で見た丸いボート
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此の後は涼しい
京阪シティーモールの7Fでお茶休憩して解散、暑い暑いハイキングでした。 

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2019年  8月6日のフェリーで行く四国徳島の阿波踊り会館-2

2019年8月11日     8月6日のフェリーで行く四国徳島の阿波踊り会館-2
                 歩こう会 特別企画 四国徳島
此の日は台風8号が宮崎に上陸、四国&和歌山の太平洋岸も台風の影響で風速15mの
暴風圏、幸いにも和歌山港~徳島港へのフェリーは暴風圏を外れて風速4~5mと少しの
風と波で通常運行、朝の往路はフェリーも少しローリングあったが無事に・・・
コース 南海難波駅(9:10特急サザン)~和歌山港駅に10:15着~10分~10:30 和歌山
港発・南海フェリー~徳島港に12:55着~13:05発のバスで徳島駅13:25着~徒歩10分で
阿波踊り会館着~14:00~約50分間、阿波踊り公演&体験~徳島駅前SOGO(買物等)
15:35 or 15:55発バス~徳島港16:30発~南海フェリー~和歌山港18:35着~和歌山
港駅18:53発サザン54号~新今宮駅20:00着・JR乗換
往路
和歌山港~徳島港へはフェリー少し揺れるローリング有り
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フエリー船内
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デッキへ出てみると
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徳島港下船口~下船
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下船したフェリーの外観、集合写真撮影
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徳島駅行きバス乗り場
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徳島駅前に到着
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阿波踊り会館へ向かう
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阿波踊り会館前に到着、此処でも集合写真
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南国らしい風景
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阿波踊り会館の横に徳島天神社
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此処までは、
8月6日のフェリーで行く四国徳島の阿波踊り会館-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
          https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-11
此処では、続きの阿波踊り会館に入る~ についての詳細を掲載します。
阿波踊り会館に入る、我々の名前も書かれてる
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1Fはロビーとお土産売り場
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2Fは阿波踊り公演会場
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阿波踊り公演を見学&体験
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体験も
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終了後踊り子さんと集合写真
駅前のSOGOで買い物を済ませて徳島港へ、
復路チケット購入後念願の徳島ラーメンを食す、美味しかった
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復路のフエリー
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風も波も穏やか
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和歌山港に入港
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到着・下船
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和歌山港駅で電車待ち中、楽しい充実した一日でした・・・
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和歌山港駅18:53発サザン54号
新今宮駅20:00着・JR大和路線快速に乗換て帰路へ

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2019年  8月4日の鉄道支線を歩く(JR羽衣線)-詳細編

8月7日        8月4日の鉄道支線を歩く(JR羽衣線)-詳細編
               JRふれあいハイキング10㎞ 
此の日は、知人のI 田さんと2人で参加、参加者64名で真夏の浜寺公園を歩いた・・・
コース  JRふれあいハイキング  河内長野歩こう会主催 参加肥500円
JR津久野駅(8:45集合)~浜寺公園~臨海スポーツセンター~高石神社~東羽衣駅
~国道25号交差点~鳳駅(解散)予定だったが、主催者側の判断で東羽衣駅で解散。
此の日の私の万歩計は、16646歩で約9.8km歩いたことに・・・
JR津久野駅(集合)
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浜寺公園へ向かう
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浜寺公園北で信号待ち
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信号を渡って
浜寺公園北から公園に入る
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水分補給&トイレ休憩
公園内の木陰の休憩ポイント
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休憩後スタート
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中ほど迄来たのか
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夾竹桃
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反対側にはキノコの形の遊具
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子供の遊び場
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高師浜へ向かう
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浜寺公園南端
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浜寺水路
高師浜
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臨海スポーツセンター
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高石神社
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伽羅橋駅~羽衣駅(解散)
東羽衣駅→鳳駅→天王寺駅

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