2019年 8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-2
2019年8月28日 2019年8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-2
JRふれあいハイキング 歩程約12㎞
此の日は1人で参加、参加者255名でJR茨木駅をスタート、夏とは思えない涼しい中での
ハイキングとなった、特に午前中は木陰の中を涼しい風もふいていて殆ど汗をかかない珍
しい夏のハイキング?午後は昼食もお腹に入り、歩く場所も木陰が少なくなり少し夏を感じ
るハイキングとなった、私にとっては、懐かしい昭和40年~48年にかけて通勤に利用して
いた千里丘駅を通り、3年半の寮生活を終えて、万博の頃5年間住んでいた近辺を通って
吹田駅へ向った、途中の岸辺駅で分散解散となったので私も岸辺駅から帰途についた。
此の日の私の万歩計は、17352歩で約10.4kmあるいたことに・・・
コース JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会主催 参加費500円
JR茨木駅(9:45集合)~元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社(トイレ休憩)・桜通り~沢
良宜公園(昼食休憩)~千里丘駅~明和池公園(トイレ休憩)~吹田緑陰道・さくらの散歩
道~岸辺駅(分散・解散)~吹田緑陰道・さくらの散歩道~吹田駅(解散14:30頃)
JR茨木駅(集合)
朝礼&柔軟体操をして出発
元茨木川緑地へ向かう
元茨木川緑陰道
元茨木川緑地・桜通りを歩く
佐和良義神社前交差点
元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社・八幡神社(トイレ休憩)
八幡神社
元茨木川緑地・桜通りを沢良宜公園へ向かう
沢良宜公園(昼食休憩)
此処までは、
8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-28
此処では、続きの沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう~ の詳細を掲載します。
沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう
大阪モノレール・沢良宜
嘉円公園・摂津市立みきの路
此処から摂津市
摂津高校前交差点
大正川を越えて千里丘駅へ向かう
市街地を歩く
千里丘駅地下道
※千里丘駅
昔通勤で歩いていたJRの線路沿いの道を岸辺駅&吹田駅方面へ歩く
50年前とは全く異なり、立派な素敵な道に、線路側に道路を広げたのかな?
明和池公園へ向かう
明和池公園(トイレ休憩)・明和池遺跡
明和池公園は、防災機能を備えた公園として、平成28年3月30日にオープンしました。
公園には、すべり台などの大型遊具や健康器具などが設置され、普段は一般的な公園
として利用されますが、災害時は一時避難場所として活用できるほか、物資などを保管
する防災倉庫、防災用トイレ、かまどベンチなどの施設が備えられた公園です。
隣には緑の遊歩道が設置されています。
当公園を含む吹田操車場跡地地区は、過去にあった「明和池」周辺に形成された集落
の痕跡があり、吹田操車場跡地地区のまちづくりの基本方針にもある「記憶でつながる
まち」というテーマを踏まえ、その過去の記憶を後世に継承していきたいという思いから、
「明和池」の名称を残し、「明和池公園」として市民に親しまれる公園を目指します。
明和池公園のある千里丘新町地域には。かつて「東洋一」と呼ばれた吹田操車場があ
りました。その記憶を未来に伝えていこうと、公園には、鉄道型の複合遊具や線路をモ
チーフにした石畳を設置しています。
明和池遺跡
縄文時代の後期、今から3000~4000年ほど前の縄文土器が川の中から発見されまし
た。中津式土器(なかつしきどき)と呼ばれる縄文土器です。縄文土器は、土器の表面
に縄目の文様をつけているのが大きな特徴ですが、中津式土器は、縄文を施した後、
沈線という竹や棒で線をつけ、その後ヘラ状の工具で縄文を磨り消し、磨り消した部分
と残された部分とで文様帯を構成するといった土器です。縄文を磨り消し、溝状の文様
を強調させるといった意味があります。中津式土器は瀬戸内地方にゆかりのある土器
で、そうした地方から摂津市にもたらされた可能性が高いものと推定されます。
地面を約2.2メートル掘った下から弥生時代後期(今から1800~2000年前)の集落跡が
発見されました。摂津市ではこれまでで一番古い集落跡の発見です。人々が生活してい
たことを示すものとして竪穴建物(たてあなたてもの)と呼ばれる住居跡が見つかりまし
た。竪穴建物は、現在の住居とは違い、地下に住まいを設けた住居跡です。当時はこう
した建物が一般的でした。建物のすぐ脇には、当時の川の跡が見つかり、川べりから生
活に使用したと考えられる弥生土器が多数見つかりました。弥生時代に摂津市に住んで
いた人々は、こうした河川とうまく付き合いながら生活していた風景が想像できます。
古墳時代後期(今から1400~1500年前)の川や井戸の跡が確認され、川の跡からは、
たくさんの須恵器とよばれる青灰色の焼物が出土しました。その数は、破片も含め3000
点以上になります。この川の跡から出土した須恵器の多くには、共通する特徴がありま
す。それは、須恵器を作った際に、焼きが強すぎてゆがんでしまったり、土器どうしがくっ
ついてしまったり、逆に焼きが弱すぎて生焼けになってしまったものなど不良品が目立つ
ことです。
明和池遺跡の北側には、千里丘陵と呼ばれる千里ニュータウンや万博記念公園を含む
吹田・豊中・茨木・箕面市にまたがる広い丘陵地があります。ここは、吹田市や豊中市を
中心に古代の一大窯業地として知られ、須恵器を焼いた窯場がたくさん見つかっていま
す。その窯場で造られた須恵器と今回発見された須恵器とは造りがよく似ており、そうし
た窯場から運ばれてきたものと推定されます
明和池遺跡では、千里丘陵で焼かれた須恵器を、この場所まで運んで良品と不良品とを
選別し、不良品を川へ捨てていた可能性が認められました。明和池遺跡に隣接する吹田
操車場遺跡には土器を作るための粘土を採掘した粘土取りの穴がたくさん見つかってい
ます。古墳時代、千里丘陵裾部にある平野部一帯は、須恵器の生産に関わった人々と
密接な関係をもった地域であったものと考えられます。
発掘調査では、奈良時代の川の中から非常にユニークな土器が発見されました。土器の
表面に顔を描いたものですが、人面墨書土器(じんめんぼくしょどき)と呼ばれています。
いったい何に使われたものなのでしょうか?現在有力な説は、病は気からという言葉があ
るように、大昔においては、病は悪い気が体内に入っておこるものと考えられ、その悪い
気を壷の中に吹き込み、蓋をして川に流し、穢れを祓う行為に使用された土器ではないか
と考えられています。その他、土馬やミニチュア竈といった同じく「まじない」に使用された
と考えられる遺物が見つかっています。こうした祭祀具は、平城京・長岡京などの古代の
都や役所跡を中心に出土することが知られています。今回の発見により、摂津市に、都
と交流のある人物が存在した可能性が考えられ、ます。もしかすると摂津市に役所と関
連するような施設があったのかも知れません。
明和公園を出発、岸辺駅へ向かう
吹田緑陰道・さくらの散歩道を岸辺駅へ向かう
岸辺駅(途中・分散解散)
※岸辺駅前には、新設された国立循環器病研究センターが有る。
国立研究開発法人国立循環器病研究センター(こくりつじゅんかんきびょうけんきゅう
センター)は、厚生労働省所管の国立研究開発法人。国立高度専門医療研究センター
の一法人である。厚生労働省直轄の施設等機関であった旧国立循環器病センターから
2010年に独立行政法人へ移行した。高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法
人に関する法律第2条第2号により設置された。略称としては国循(こくじゅん)が広く知
られている。令和元年7月にJR岸辺駅北側へ新築移転。
循環器病に関しての診断及び治療、調査及び研究並びに技術者の研修を行う。
名のとおり循環器を専門とする日本最先端の医療機関であると同時に、循環器病を専
とする医学研究機関でもある。
2019年7月1日 - 吹田市岸部新町旧吹田操車場跡地(愛称:健都)へ新築移転
私は此処で解散・・・続ける方々は吹田緑陰道・さくらの散歩道を吹田駅へ向かう
岸辺駅~新大阪駅~おおさか東線で久宝寺駅~王寺駅~バスで帰る
自宅近くの高速道路の裏道を通る
JRふれあいハイキング 歩程約12㎞
此の日は1人で参加、参加者255名でJR茨木駅をスタート、夏とは思えない涼しい中での
ハイキングとなった、特に午前中は木陰の中を涼しい風もふいていて殆ど汗をかかない珍
しい夏のハイキング?午後は昼食もお腹に入り、歩く場所も木陰が少なくなり少し夏を感じ
るハイキングとなった、私にとっては、懐かしい昭和40年~48年にかけて通勤に利用して
いた千里丘駅を通り、3年半の寮生活を終えて、万博の頃5年間住んでいた近辺を通って
吹田駅へ向った、途中の岸辺駅で分散解散となったので私も岸辺駅から帰途についた。
此の日の私の万歩計は、17352歩で約10.4kmあるいたことに・・・
コース JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会主催 参加費500円
JR茨木駅(9:45集合)~元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社(トイレ休憩)・桜通り~沢
良宜公園(昼食休憩)~千里丘駅~明和池公園(トイレ休憩)~吹田緑陰道・さくらの散歩
道~岸辺駅(分散・解散)~吹田緑陰道・さくらの散歩道~吹田駅(解散14:30頃)
JR茨木駅(集合)
朝礼&柔軟体操をして出発
元茨木川緑地へ向かう
元茨木川緑陰道
元茨木川緑地・桜通りを歩く
佐和良義神社前交差点
元茨木川緑地・桜通り・佐和良義神社・八幡神社(トイレ休憩)
八幡神社
元茨木川緑地・桜通りを沢良宜公園へ向かう
沢良宜公園(昼食休憩)
此処までは、
8月25日の茨木駅~元茨木川緑地~吹田緑陰道へ-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-28
此処では、続きの沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう~ の詳細を掲載します。
沢良宜公園を出発、千里丘駅へ向かう
大阪モノレール・沢良宜
嘉円公園・摂津市立みきの路
此処から摂津市
摂津高校前交差点
大正川を越えて千里丘駅へ向かう
市街地を歩く
千里丘駅地下道
※千里丘駅
昔通勤で歩いていたJRの線路沿いの道を岸辺駅&吹田駅方面へ歩く
50年前とは全く異なり、立派な素敵な道に、線路側に道路を広げたのかな?
明和池公園へ向かう
明和池公園(トイレ休憩)・明和池遺跡
明和池公園は、防災機能を備えた公園として、平成28年3月30日にオープンしました。
公園には、すべり台などの大型遊具や健康器具などが設置され、普段は一般的な公園
として利用されますが、災害時は一時避難場所として活用できるほか、物資などを保管
する防災倉庫、防災用トイレ、かまどベンチなどの施設が備えられた公園です。
隣には緑の遊歩道が設置されています。
当公園を含む吹田操車場跡地地区は、過去にあった「明和池」周辺に形成された集落
の痕跡があり、吹田操車場跡地地区のまちづくりの基本方針にもある「記憶でつながる
まち」というテーマを踏まえ、その過去の記憶を後世に継承していきたいという思いから、
「明和池」の名称を残し、「明和池公園」として市民に親しまれる公園を目指します。
明和池公園のある千里丘新町地域には。かつて「東洋一」と呼ばれた吹田操車場があ
りました。その記憶を未来に伝えていこうと、公園には、鉄道型の複合遊具や線路をモ
チーフにした石畳を設置しています。
明和池遺跡
縄文時代の後期、今から3000~4000年ほど前の縄文土器が川の中から発見されまし
た。中津式土器(なかつしきどき)と呼ばれる縄文土器です。縄文土器は、土器の表面
に縄目の文様をつけているのが大きな特徴ですが、中津式土器は、縄文を施した後、
沈線という竹や棒で線をつけ、その後ヘラ状の工具で縄文を磨り消し、磨り消した部分
と残された部分とで文様帯を構成するといった土器です。縄文を磨り消し、溝状の文様
を強調させるといった意味があります。中津式土器は瀬戸内地方にゆかりのある土器
で、そうした地方から摂津市にもたらされた可能性が高いものと推定されます。
地面を約2.2メートル掘った下から弥生時代後期(今から1800~2000年前)の集落跡が
発見されました。摂津市ではこれまでで一番古い集落跡の発見です。人々が生活してい
たことを示すものとして竪穴建物(たてあなたてもの)と呼ばれる住居跡が見つかりまし
た。竪穴建物は、現在の住居とは違い、地下に住まいを設けた住居跡です。当時はこう
した建物が一般的でした。建物のすぐ脇には、当時の川の跡が見つかり、川べりから生
活に使用したと考えられる弥生土器が多数見つかりました。弥生時代に摂津市に住んで
いた人々は、こうした河川とうまく付き合いながら生活していた風景が想像できます。
古墳時代後期(今から1400~1500年前)の川や井戸の跡が確認され、川の跡からは、
たくさんの須恵器とよばれる青灰色の焼物が出土しました。その数は、破片も含め3000
点以上になります。この川の跡から出土した須恵器の多くには、共通する特徴がありま
す。それは、須恵器を作った際に、焼きが強すぎてゆがんでしまったり、土器どうしがくっ
ついてしまったり、逆に焼きが弱すぎて生焼けになってしまったものなど不良品が目立つ
ことです。
明和池遺跡の北側には、千里丘陵と呼ばれる千里ニュータウンや万博記念公園を含む
吹田・豊中・茨木・箕面市にまたがる広い丘陵地があります。ここは、吹田市や豊中市を
中心に古代の一大窯業地として知られ、須恵器を焼いた窯場がたくさん見つかっていま
す。その窯場で造られた須恵器と今回発見された須恵器とは造りがよく似ており、そうし
た窯場から運ばれてきたものと推定されます
明和池遺跡では、千里丘陵で焼かれた須恵器を、この場所まで運んで良品と不良品とを
選別し、不良品を川へ捨てていた可能性が認められました。明和池遺跡に隣接する吹田
操車場遺跡には土器を作るための粘土を採掘した粘土取りの穴がたくさん見つかってい
ます。古墳時代、千里丘陵裾部にある平野部一帯は、須恵器の生産に関わった人々と
密接な関係をもった地域であったものと考えられます。
発掘調査では、奈良時代の川の中から非常にユニークな土器が発見されました。土器の
表面に顔を描いたものですが、人面墨書土器(じんめんぼくしょどき)と呼ばれています。
いったい何に使われたものなのでしょうか?現在有力な説は、病は気からという言葉があ
るように、大昔においては、病は悪い気が体内に入っておこるものと考えられ、その悪い
気を壷の中に吹き込み、蓋をして川に流し、穢れを祓う行為に使用された土器ではないか
と考えられています。その他、土馬やミニチュア竈といった同じく「まじない」に使用された
と考えられる遺物が見つかっています。こうした祭祀具は、平城京・長岡京などの古代の
都や役所跡を中心に出土することが知られています。今回の発見により、摂津市に、都
と交流のある人物が存在した可能性が考えられ、ます。もしかすると摂津市に役所と関
連するような施設があったのかも知れません。
明和公園を出発、岸辺駅へ向かう
吹田緑陰道・さくらの散歩道を岸辺駅へ向かう
岸辺駅(途中・分散解散)
※岸辺駅前には、新設された国立循環器病研究センターが有る。
国立研究開発法人国立循環器病研究センター(こくりつじゅんかんきびょうけんきゅう
センター)は、厚生労働省所管の国立研究開発法人。国立高度専門医療研究センター
の一法人である。厚生労働省直轄の施設等機関であった旧国立循環器病センターから
2010年に独立行政法人へ移行した。高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法
人に関する法律第2条第2号により設置された。略称としては国循(こくじゅん)が広く知
られている。令和元年7月にJR岸辺駅北側へ新築移転。
循環器病に関しての診断及び治療、調査及び研究並びに技術者の研修を行う。
名のとおり循環器を専門とする日本最先端の医療機関であると同時に、循環器病を専
とする医学研究機関でもある。
2019年7月1日 - 吹田市岸部新町旧吹田操車場跡地(愛称:健都)へ新築移転
私は此処で解散・・・続ける方々は吹田緑陰道・さくらの散歩道を吹田駅へ向かう
岸辺駅~新大阪駅~おおさか東線で久宝寺駅~王寺駅~バスで帰る
自宅近くの高速道路の裏道を通る
2019-08-28 17:02
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コメント(2)
思い出の地域にハイキングって良いですネ。
そうすると特に解説聞くこともなく、ただひたすら歩くのみ?。
でも少し季節が違うと、又・又違った景色が見えるのかも?。
by mamu7010 (2019-08-30 20:26)
mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
万博の時週末に皆が泊まりに来て
雑魚寝していた事を思い出しました。
by taharas (2019-08-31 00:02)