2019年 8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2
2019年8月31日 2019年8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2
8月度歩こう会例会 歩程5㎞
此の日は曇り空、真夏の8月なので距離を短く昼食場所も冷房の効く市民センターの
会議室を予約して雨天決行で臨んだ歩こう会例会だったが参加62名とやや少ない。
雨が降りそうな天候だったので皆さん出かけるのに躊躇したのか?
コースは阪神電車尼崎駅 西出口 駅北側の中央公園10時集合 参加費用500円
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)~尼崎中央商店街~尼崎えびす神社
(神田公園)~寺町散策(廣徳寺や長遠時)~市民センター会議室(昼食休憩)~尼
信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺~尼崎城(解散)~阪神尼崎駅
此の日の私の万歩計は、11466歩で約6.8km歩いた・・・
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)
尼崎中央商店アーケード街へ向かう
尼崎中央商店アーケード街
中央一番街
東西約640mに渡る尼崎中央商店街の東端にある通り。阪神尼崎駅からの玄関口でも
あり、駅北の中央公園西側の車道、五合橋線を渡るとすぐに、一番街の入口がある。
神田中通二丁目に相当する地域。
中央三番街
車道(中央大通り)を挟んで一番街の西方へ続く通り(ちなみに、中央二番街は存在しな
い)。途中に車道との交差点が1カ所ある。神田中通三丁目に相当する地域。
アーケードに、商店街が応援する阪神タイガースの「日本一早いマジック」点灯ボードが
吊るされていることで有名。ボードは天井のレールに吊るされた虎柄の魚型マスコットに
取り付けられ、シーズン開幕直後から「マジック」を表示して通りを十数メートル往復する。
アーケードには同じくタイガース応援関連として「参虎殿」と呼ばれる黄色の鳥居も吊るさ
れている。
通りの南方すぐに尼崎戎神社があり、正月や十日戎等には参道となる。また、通りより高
さ17mの大鳥居を臨むことができる。
尼崎えびす神社(神田公園)
「尼崎えびす神社」は醍醐天皇(885年)時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてき
ました。海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたこと
により漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も
商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
その昔、菅原道真公が九州の大宰府に赴かれる途中、尼崎の海辺の神社に立ち並
ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われ、船を止めてこの地に上陸されました。
「ここは殊のほかのよき浦なり」「松は琴柱の並びたるが如し」
道真公が賛美したお言葉にちなんで尼崎は「琴の浦」と名付けられ、その古名の発祥
源は当神社であるといわれております。
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居は、高さ17m、笠木22m、柱直径
1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに
尼崎のシンボルとなっています。
社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、
普段は神田公園の名称で開放されているそうです。二宮金次郎像も有りました。
寺町散策(廣徳寺や長遠時)
寺町(尼崎市)・・・阪神本線尼崎駅の南西に位置し、多くの仏教寺院が密集している。
1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる
大物周辺(現・尼崎市大物~東本町)に多くあった寺院を別所村へ集め、一画を寺町と
した。
江戸時代初期は20ヶ寺を数えたが、藩主移封に伴う移転などで、現在は3.9haに11ヶ
寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美
形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
なお、全昌寺と本興寺がある区画のみ、現在は開明町3丁目になっている。
・全昌寺 – 曹洞宗、桃源山。・本興寺 – 法華宗本門流大本山。・廣徳寺 – 臨済宗、瑞雲山。
・甘露寺 – 浄土宗、薬王山。・法園寺 – 浄土宗、恵光山。・大覚寺 – 律宗、月峯山。
・長遠寺 – 日蓮宗、大尭山。・徧照寺如来院 – 浄土宗、瑞光山。・専念寺 – 浄土宗、十劫山。
・常楽寺 – 浄土宗、清閑山。・善通寺 – 時宗、平陽山。
廣徳寺(こうとくじ) 広徳寺
広徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。正式には
旧字体を用い「廣徳寺」と記す。 1390年に京都から尼崎の大物に移された。
明徳元年(1390年)京都紫野大徳寺の第七世である言外宗忠和尚が開基である。または
宗忠の弟子にあたる華岳宗栄が開基としたともされる。その後、宗忠の法嗣で大徳寺27
世の明遠宗智が住し、文明10年(1478年)頃には柔仲宗隆が住持となっていた。
享禄4年6月8日(1531年)には、大物崩れの戦いで敗れた細川高国が三好一秀に捕らえ
られ広徳寺で切腹させられている。
その後荒廃したが、永禄年間(1558年 - 1570年)に笑嶺宗訢が隣接していた栖賢寺(現
在は京都市)とともに再興、当時は豊臣秀吉から寺領をもらっていたと言われている。又
徳川秀忠の朱印状には寺領三十石と記載されている。 慶長20年(1615年)前後、尼崎城
築城にともない大物町から現在の尼崎市寺町に移転した。
昭和20年(1945年)6月に空襲により全焼したが本堂などを再建。
寺町散策
長遠時(じょうおんじ)
長遠寺兵庫県尼崎市寺町にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大尭山。大本山本圀寺(六条
門流)の旧末寺であり六条門流三長(他に長満寺、長源寺)の一寺。親師法縁。塔頭として
中正院がある。
『大堯山縁起』では、1350年(観応元年)永存院日恩により七ツ松の地で創建され、のちに
風呂辻町・辰巳(巽)・市庭(市場)(すべて、現・東本町の地名)の地へ移転したと伝えられる。
長遠寺は、風呂辻町の南側にあったと推定されている。西側は当時の尼崎の中心として賑
わった市庭である。七堂伽藍と子坊16坊を持っていたという。 法花寺と呼ばれていたが、16
17年(元和3年)に尼崎城築城にともない現在地に移転した際、寺号を現在のものに改めた。
寺町散策
市民センターへ向かう
市民センター会議室(昼食休憩)~尼信会館博物館へ
此処までは、
8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30-2
此処では、続きの尼信会館博物館~ についての詳細を掲載致します。
博物館前で2班に分かれて集合写真を撮影して
一班は尼信会館博物館、二班は隣の尼信・世界の貯金箱博物館へ
尼信会館博物館
尼信博物館(あましんはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある尼崎信用金庫の企業
博物館。2001年(平成13年)6月1日にオープンした。
1階~3階に展示室があり、2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示さ
れ、復元模型も設置されている。また、世界の貨幣も体系的に展示されている。
尼崎城をイメージした白壁の建物。2階常設展示室には、尼崎城の復元模型や尼崎
藩主ゆかりの「太刀 銘 守家」(国の重要文化財)、尼崎市指定文化財の甲冑、火縄銃
・道具槍等を展示する「城下町尼崎」と、日本の大判・小判をはじめ世界170カ国の金
貨・銀貨など2500個を展示する「あましんコイン・ミュージアム」がある。
世界のコイン
尼信・世界の貯金箱博物館
世界の貯金箱博物館(せかいのちょきんばこはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある
博物館。尼崎信用金庫の企業博物館であり、貯金箱をテーマとしている。
尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)4月
に設立された。
2015年(平成27年)3月時点では、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、
その中から約2,500点を常設展示している
貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模である。日本のみならず、欧米等
世界62か国のものが含まれている。
また、常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示
を企画・実施している。来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントが
ある。 ・・・ お土産に宝珠の貯金箱貰いました。
此処からは日本の産品
タイガース定期預金
尼信博物館のロビーで休憩
本興寺(ほんこうじ)
本興寺は、兵庫県尼崎市開明町にある、法華宗本門流の大本山。塔頭が六院ある
(本教院、一乗院、恵運院、養寿院、本成院、尭運院)。
日隆が尼崎に布教した時、細川満元は夫人の懐妊に際し、男子誕生の祈願を依頼。
無事に男子が誕生し、その礼として本興寺が建立された。本能寺が伝道の中心地で
あったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置され
た(現・学校法人法華学園興隆学林専門学校)。
※日隆 (本門法華宗)
日隆(にちりゅう、1385年11月17日(至徳2年10月14日) - 1464年4月1日(寛正5年2月25
日))は、室町時代の法華宗(日蓮宗)の僧。幼名は長一丸。号は深円・慶林坊・精進院。本
門法華宗・法華宗本門流の祖[1]。本門佛立宗では「門祖」と称えられている。
1385年(至徳2年)桃井尚儀の子として越中国射水郡(現・富山県射水市)に生まれる。139
6年(応永3年)遠成寺・日深を師として出家。名を深円と称す。1402年(応永9年)妙本寺(現
・妙顕寺)4世・日霽に師事して修学。名を日隆と改める。1410年(応永17年)法華経に対し、
妙本寺5世・月明と対立。日隆は本迹勝劣を主張し、妙本寺を退出。五条西洞院の像師堂
(現・妙蓮寺)で研鑚。1415年(応永22年)小袖屋宗句の寄進により、本応寺(現・本能寺)を
建立。1420年(応永27年)細川満元の寄進により、本興寺を建立。1464年(寛正5年)本興
寺で入滅。享年81。
※本能寺(ほんのうじ)
本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の
変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源
妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊
門の間に、日隆によって創建されたものである。
寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地
であった。日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張し
た日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永5年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日
隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った。
尼崎城址公園へ向かう
「尼崎城址公園」に行く途中~雨がぱらつき、到着寸前に心配していた雨が土砂降りになり
集合写真も取れなくなり、場内で集合写真を撮った。
新築尼崎城
阪神尼崎駅南西側の「尼崎城址公園」に「尼崎城」が復元されました。復元された城は、
実際にあった場所から西に約300mにある「尼崎城址公園」の中央付近に有ります。
「尼崎城」は、元和4(1618)年に尼崎藩主の戸田氏鉄が築城しましたが、明治6年の廃
城令で取り壊されました。当時の本丸の4分の1程度で復元され、天守は地上5階、高さ
約24m、鉄筋コンクリート造で、展示室のほか、最上階には展望室が整備されました。
「尼崎城」の復元は、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者である「安保詮(あぼ・あきら)氏」
の寄付がきっかけです。「安保詮氏」が建設し、完成後に尼崎市に引き渡しました。
尼崎市は、「ミドリ電化」の創業の地です。
新築尼崎城は、平成30年11月30日竣工、平成31年3月29日に一般公開となりました。
内部
尼崎城内を見学して場内出集合写真を撮り(解散)
外へ出ると雨は小雨に変わっていた。
阪神尼崎駅前のテラスの花壇
8月度歩こう会例会 歩程5㎞
此の日は曇り空、真夏の8月なので距離を短く昼食場所も冷房の効く市民センターの
会議室を予約して雨天決行で臨んだ歩こう会例会だったが参加62名とやや少ない。
雨が降りそうな天候だったので皆さん出かけるのに躊躇したのか?
コースは阪神電車尼崎駅 西出口 駅北側の中央公園10時集合 参加費用500円
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)~尼崎中央商店街~尼崎えびす神社
(神田公園)~寺町散策(廣徳寺や長遠時)~市民センター会議室(昼食休憩)~尼
信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺~尼崎城(解散)~阪神尼崎駅
此の日の私の万歩計は、11466歩で約6.8km歩いた・・・
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)
尼崎中央商店アーケード街へ向かう
尼崎中央商店アーケード街
中央一番街
東西約640mに渡る尼崎中央商店街の東端にある通り。阪神尼崎駅からの玄関口でも
あり、駅北の中央公園西側の車道、五合橋線を渡るとすぐに、一番街の入口がある。
神田中通二丁目に相当する地域。
中央三番街
車道(中央大通り)を挟んで一番街の西方へ続く通り(ちなみに、中央二番街は存在しな
い)。途中に車道との交差点が1カ所ある。神田中通三丁目に相当する地域。
アーケードに、商店街が応援する阪神タイガースの「日本一早いマジック」点灯ボードが
吊るされていることで有名。ボードは天井のレールに吊るされた虎柄の魚型マスコットに
取り付けられ、シーズン開幕直後から「マジック」を表示して通りを十数メートル往復する。
アーケードには同じくタイガース応援関連として「参虎殿」と呼ばれる黄色の鳥居も吊るさ
れている。
通りの南方すぐに尼崎戎神社があり、正月や十日戎等には参道となる。また、通りより高
さ17mの大鳥居を臨むことができる。
尼崎えびす神社(神田公園)
「尼崎えびす神社」は醍醐天皇(885年)時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてき
ました。海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたこと
により漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も
商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
その昔、菅原道真公が九州の大宰府に赴かれる途中、尼崎の海辺の神社に立ち並
ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われ、船を止めてこの地に上陸されました。
「ここは殊のほかのよき浦なり」「松は琴柱の並びたるが如し」
道真公が賛美したお言葉にちなんで尼崎は「琴の浦」と名付けられ、その古名の発祥
源は当神社であるといわれております。
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居は、高さ17m、笠木22m、柱直径
1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに
尼崎のシンボルとなっています。
社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、
普段は神田公園の名称で開放されているそうです。二宮金次郎像も有りました。
寺町散策(廣徳寺や長遠時)
寺町(尼崎市)・・・阪神本線尼崎駅の南西に位置し、多くの仏教寺院が密集している。
1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる
大物周辺(現・尼崎市大物~東本町)に多くあった寺院を別所村へ集め、一画を寺町と
した。
江戸時代初期は20ヶ寺を数えたが、藩主移封に伴う移転などで、現在は3.9haに11ヶ
寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美
形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
なお、全昌寺と本興寺がある区画のみ、現在は開明町3丁目になっている。
・全昌寺 – 曹洞宗、桃源山。・本興寺 – 法華宗本門流大本山。・廣徳寺 – 臨済宗、瑞雲山。
・甘露寺 – 浄土宗、薬王山。・法園寺 – 浄土宗、恵光山。・大覚寺 – 律宗、月峯山。
・長遠寺 – 日蓮宗、大尭山。・徧照寺如来院 – 浄土宗、瑞光山。・専念寺 – 浄土宗、十劫山。
・常楽寺 – 浄土宗、清閑山。・善通寺 – 時宗、平陽山。
廣徳寺(こうとくじ) 広徳寺
広徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。正式には
旧字体を用い「廣徳寺」と記す。 1390年に京都から尼崎の大物に移された。
明徳元年(1390年)京都紫野大徳寺の第七世である言外宗忠和尚が開基である。または
宗忠の弟子にあたる華岳宗栄が開基としたともされる。その後、宗忠の法嗣で大徳寺27
世の明遠宗智が住し、文明10年(1478年)頃には柔仲宗隆が住持となっていた。
享禄4年6月8日(1531年)には、大物崩れの戦いで敗れた細川高国が三好一秀に捕らえ
られ広徳寺で切腹させられている。
その後荒廃したが、永禄年間(1558年 - 1570年)に笑嶺宗訢が隣接していた栖賢寺(現
在は京都市)とともに再興、当時は豊臣秀吉から寺領をもらっていたと言われている。又
徳川秀忠の朱印状には寺領三十石と記載されている。 慶長20年(1615年)前後、尼崎城
築城にともない大物町から現在の尼崎市寺町に移転した。
昭和20年(1945年)6月に空襲により全焼したが本堂などを再建。
寺町散策
長遠時(じょうおんじ)
長遠寺兵庫県尼崎市寺町にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大尭山。大本山本圀寺(六条
門流)の旧末寺であり六条門流三長(他に長満寺、長源寺)の一寺。親師法縁。塔頭として
中正院がある。
『大堯山縁起』では、1350年(観応元年)永存院日恩により七ツ松の地で創建され、のちに
風呂辻町・辰巳(巽)・市庭(市場)(すべて、現・東本町の地名)の地へ移転したと伝えられる。
長遠寺は、風呂辻町の南側にあったと推定されている。西側は当時の尼崎の中心として賑
わった市庭である。七堂伽藍と子坊16坊を持っていたという。 法花寺と呼ばれていたが、16
17年(元和3年)に尼崎城築城にともない現在地に移転した際、寺号を現在のものに改めた。
寺町散策
市民センターへ向かう
市民センター会議室(昼食休憩)~尼信会館博物館へ
此処までは、
8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30-2
此処では、続きの尼信会館博物館~ についての詳細を掲載致します。
博物館前で2班に分かれて集合写真を撮影して
一班は尼信会館博物館、二班は隣の尼信・世界の貯金箱博物館へ
尼信会館博物館
尼信博物館(あましんはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある尼崎信用金庫の企業
博物館。2001年(平成13年)6月1日にオープンした。
1階~3階に展示室があり、2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示さ
れ、復元模型も設置されている。また、世界の貨幣も体系的に展示されている。
尼崎城をイメージした白壁の建物。2階常設展示室には、尼崎城の復元模型や尼崎
藩主ゆかりの「太刀 銘 守家」(国の重要文化財)、尼崎市指定文化財の甲冑、火縄銃
・道具槍等を展示する「城下町尼崎」と、日本の大判・小判をはじめ世界170カ国の金
貨・銀貨など2500個を展示する「あましんコイン・ミュージアム」がある。
世界のコイン
尼信・世界の貯金箱博物館
世界の貯金箱博物館(せかいのちょきんばこはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある
博物館。尼崎信用金庫の企業博物館であり、貯金箱をテーマとしている。
尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)4月
に設立された。
2015年(平成27年)3月時点では、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、
その中から約2,500点を常設展示している
貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模である。日本のみならず、欧米等
世界62か国のものが含まれている。
また、常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示
を企画・実施している。来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントが
ある。 ・・・ お土産に宝珠の貯金箱貰いました。
此処からは日本の産品
タイガース定期預金
尼信博物館のロビーで休憩
本興寺(ほんこうじ)
本興寺は、兵庫県尼崎市開明町にある、法華宗本門流の大本山。塔頭が六院ある
(本教院、一乗院、恵運院、養寿院、本成院、尭運院)。
日隆が尼崎に布教した時、細川満元は夫人の懐妊に際し、男子誕生の祈願を依頼。
無事に男子が誕生し、その礼として本興寺が建立された。本能寺が伝道の中心地で
あったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置され
た(現・学校法人法華学園興隆学林専門学校)。
※日隆 (本門法華宗)
日隆(にちりゅう、1385年11月17日(至徳2年10月14日) - 1464年4月1日(寛正5年2月25
日))は、室町時代の法華宗(日蓮宗)の僧。幼名は長一丸。号は深円・慶林坊・精進院。本
門法華宗・法華宗本門流の祖[1]。本門佛立宗では「門祖」と称えられている。
1385年(至徳2年)桃井尚儀の子として越中国射水郡(現・富山県射水市)に生まれる。139
6年(応永3年)遠成寺・日深を師として出家。名を深円と称す。1402年(応永9年)妙本寺(現
・妙顕寺)4世・日霽に師事して修学。名を日隆と改める。1410年(応永17年)法華経に対し、
妙本寺5世・月明と対立。日隆は本迹勝劣を主張し、妙本寺を退出。五条西洞院の像師堂
(現・妙蓮寺)で研鑚。1415年(応永22年)小袖屋宗句の寄進により、本応寺(現・本能寺)を
建立。1420年(応永27年)細川満元の寄進により、本興寺を建立。1464年(寛正5年)本興
寺で入滅。享年81。
※本能寺(ほんのうじ)
本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の
変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源
妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊
門の間に、日隆によって創建されたものである。
寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地
であった。日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張し
た日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永5年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日
隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った。
尼崎城址公園へ向かう
「尼崎城址公園」に行く途中~雨がぱらつき、到着寸前に心配していた雨が土砂降りになり
集合写真も取れなくなり、場内で集合写真を撮った。
新築尼崎城
阪神尼崎駅南西側の「尼崎城址公園」に「尼崎城」が復元されました。復元された城は、
実際にあった場所から西に約300mにある「尼崎城址公園」の中央付近に有ります。
「尼崎城」は、元和4(1618)年に尼崎藩主の戸田氏鉄が築城しましたが、明治6年の廃
城令で取り壊されました。当時の本丸の4分の1程度で復元され、天守は地上5階、高さ
約24m、鉄筋コンクリート造で、展示室のほか、最上階には展望室が整備されました。
「尼崎城」の復元は、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者である「安保詮(あぼ・あきら)氏」
の寄付がきっかけです。「安保詮氏」が建設し、完成後に尼崎市に引き渡しました。
尼崎市は、「ミドリ電化」の創業の地です。
新築尼崎城は、平成30年11月30日竣工、平成31年3月29日に一般公開となりました。
内部
尼崎城内を見学して場内出集合写真を撮り(解散)
外へ出ると雨は小雨に変わっていた。
阪神尼崎駅前のテラスの花壇
2019-08-31 00:46
nice!(14)
コメント(2)
尼信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺は、興味
津々のコースです。
特にコインが大好きで、世界のコインなんて垂涎ものです。
ブログの貯金箱も見ましたよ、今風ですネ。
by mamu7010 (2019-09-02 07:49)
mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
貴方の好きな刀剣の展示も有りました、世界のコインは素晴らし
くて見入ってしまい写真撮るの忘れてしまうほどでした・・・
昨日UPした歩こう会のHPには刀もコインももっと掲載してると思う。
記念に貰った貯金箱「宝珠如意之珠」は、仏教の一切の願いが自
分の意の如く叶うと言う不思議な宝の珠で、民衆の願かけに対し、
成就させてくれる仏の徳の象徴で、寺院の欄干等の先端等に冠して
る物で、今風の物じゃ無く仏教伝来の頃から有る有り難い物です。
by taharas (2019-09-03 18:41)