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8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2

8月31日         8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-2
                    8月度歩こう会例会 歩程5㎞
此の日は曇り空、真夏の8月なので距離を短く昼食場所も冷房の効く市民センターの
会議室を予約して雨天決行で臨んだ歩こう会例会だったが参加62名とやや少ない。
雨が降りそうな天候だったので皆さん出かけるのに躊躇したのか?
コースは阪神電車尼崎駅 西出口 駅北側の中央公園10時集合 参加費用500円 
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)~尼崎中央商店街~尼崎えびす神社
(神田公園)~寺町散策(廣徳寺や長遠時)~市民センター会議室(昼食休憩)~尼
信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺~尼崎城(解散)~阪神尼崎駅
此の日の私の万歩計は、11466歩で約6.8km歩いた・・・
阪神尼崎駅西出口中央公園(集合・スタート)
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尼崎中央商店アーケード街へ向かう
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尼崎中央商店アーケード街
中央一番街
東西約640mに渡る尼崎中央商店街の東端にある通り。阪神尼崎駅からの玄関口でも
あり、駅北の中央公園西側の車道、五合橋線を渡るとすぐに、一番街の入口がある。
神田中通二丁目に相当する地域。
中央三番街
車道(中央大通り)を挟んで一番街の西方へ続く通り(ちなみに、中央二番街は存在しな
い)。途中に車道との交差点が1カ所ある。神田中通三丁目に相当する地域。
アーケードに、商店街が応援する阪神タイガースの「日本一早いマジック」点灯ボードが
吊るされていることで有名。ボードは天井のレールに吊るされた虎柄の魚型マスコットに
取り付けられ、シーズン開幕直後から「マジック」を表示して通りを十数メートル往復する。
アーケードには同じくタイガース応援関連として「参虎殿」と呼ばれる黄色の鳥居も吊るさ
れている。
通りの南方すぐに尼崎戎神社があり、正月や十日戎等には参道となる。また、通りより高
さ17mの大鳥居を臨むことができる。
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尼崎えびす神社(神田公園)
「尼崎えびす神社」は醍醐天皇(885年)時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてき
ました。海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたこと
により漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も
商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
その昔、菅原道真公が九州の大宰府に赴かれる途中、尼崎の海辺の神社に立ち並
ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われ、船を止めてこの地に上陸されました。
「ここは殊のほかのよき浦なり」「松は琴柱の並びたるが如し」
道真公が賛美したお言葉にちなんで尼崎は「琴の浦」と名付けられ、その古名の発祥
源は当神社であるといわれております。
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居は、高さ17m、笠木22m、柱直径
1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに
尼崎のシンボルとなっています。
社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、
普段は神田公園の名称で開放されているそうです。二宮金次郎像も有りました。
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寺町散策(廣徳寺や長遠時)
寺町(尼崎市)・・・阪神本線尼崎駅の南西に位置し、多くの仏教寺院が密集している。
1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる
大物周辺(現・尼崎市大物~東本町)に多くあった寺院を別所村へ集め、一画を寺町と
した。
江戸時代初期は20ヶ寺を数えたが、藩主移封に伴う移転などで、現在は3.9haに11ヶ
寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美
形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
なお、全昌寺と本興寺がある区画のみ、現在は開明町3丁目になっている。
・全昌寺 – 曹洞宗、桃源山。・本興寺 – 法華宗本門流大本山。・廣徳寺 – 臨済宗、瑞雲山。
・甘露寺 – 浄土宗、薬王山。・法園寺 – 浄土宗、恵光山。・大覚寺 – 律宗、月峯山。
・長遠寺 – 日蓮宗、大尭山。・徧照寺如来院 – 浄土宗、瑞光山。・専念寺 – 浄土宗、十劫山。
・常楽寺 – 浄土宗、清閑山。・善通寺 – 時宗、平陽山。

廣徳寺(こうとくじ) 広徳寺
広徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。正式には
旧字体を用い「廣徳寺」と記す。 1390年に京都から尼崎の大物に移された。
明徳元年(1390年)京都紫野大徳寺の第七世である言外宗忠和尚が開基である。または
宗忠の弟子にあたる華岳宗栄が開基としたともされる。その後、宗忠の法嗣で大徳寺27
世の明遠宗智が住し、文明10年(1478年)頃には柔仲宗隆が住持となっていた。
享禄4年6月8日(1531年)には、大物崩れの戦いで敗れた細川高国が三好一秀に捕らえ
られ広徳寺で切腹させられている。
その後荒廃したが、永禄年間(1558年 - 1570年)に笑嶺宗訢が隣接していた栖賢寺(現
在は京都市)とともに再興、当時は豊臣秀吉から寺領をもらっていたと言われている。又
徳川秀忠の朱印状には寺領三十石と記載されている。 慶長20年(1615年)前後、尼崎城
築城にともない大物町から現在の尼崎市寺町に移転した。
昭和20年(1945年)6月に空襲により全焼したが本堂などを再建。
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寺町散策
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長遠時(じょうおんじ)
長遠寺兵庫県尼崎市寺町にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大尭山。大本山本圀寺(六条
門流)の旧末寺であり六条門流三長(他に長満寺、長源寺)の一寺。親師法縁。塔頭として
中正院がある。
『大堯山縁起』では、1350年(観応元年)永存院日恩により七ツ松の地で創建され、のちに
風呂辻町・辰巳(巽)・市庭(市場)(すべて、現・東本町の地名)の地へ移転したと伝えられる。
長遠寺は、風呂辻町の南側にあったと推定されている。西側は当時の尼崎の中心として賑
わった市庭である。七堂伽藍と子坊16坊を持っていたという。 法花寺と呼ばれていたが、16
17年(元和3年)に尼崎城築城にともない現在地に移転した際、寺号を現在のものに改めた。
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寺町散策
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市民センターへ向かう
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市民センター会議室(昼食休憩)~尼信会館博物館へ
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此処までは、
8月27日の新築 尼崎城と尼信博物館の見学-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30-2
此処では、続きの尼信会館博物館~ についての詳細を掲載致します。
博物館前で2班に分かれて集合写真を撮影して
一班は尼信会館博物館、二班は隣の尼信・世界の貯金箱博物館へ
尼信会館博物館
尼信博物館(あましんはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある尼崎信用金庫の企業
博物館。2001年(平成13年)6月1日にオープンした。
1階~3階に展示室があり、2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示さ
れ、復元模型も設置されている。また、世界の貨幣も体系的に展示されている。
尼崎城をイメージした白壁の建物。2階常設展示室には、尼崎城の復元模型や尼崎
藩主ゆかりの「太刀 銘 守家」(国の重要文化財)、尼崎市指定文化財の甲冑、火縄銃
・道具槍等を展示する「城下町尼崎」と、日本の大判・小判をはじめ世界170カ国の金
貨・銀貨など2500個を展示する「あましんコイン・ミュージアム」がある。
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世界のコイン
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尼信・世界の貯金箱博物館
世界の貯金箱博物館(せかいのちょきんばこはくぶつかん)とは、兵庫県尼崎市にある
博物館。尼崎信用金庫の企業博物館であり、貯金箱をテーマとしている。
尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)4月
に設立された。
2015年(平成27年)3月時点では、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、
その中から約2,500点を常設展示している
貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模である。日本のみならず、欧米等
世界62か国のものが含まれている。
また、常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示
を企画・実施している。来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントが
ある。 ・・・ お土産に宝珠の貯金箱貰いました。
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此処からは日本の産品
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タイガース定期預金
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尼信博物館のロビーで休憩
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本興寺(ほんこうじ)
本興寺は、兵庫県尼崎市開明町にある、法華宗本門流の大本山。塔頭が六院ある
(本教院、一乗院、恵運院、養寿院、本成院、尭運院)。
日隆が尼崎に布教した時、細川満元は夫人の懐妊に際し、男子誕生の祈願を依頼。
無事に男子が誕生し、その礼として本興寺が建立された。本能寺が伝道の中心地で
あったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置され
た(現・学校法人法華学園興隆学林専門学校)。
※日隆 (本門法華宗)
日隆(にちりゅう、1385年11月17日(至徳2年10月14日) - 1464年4月1日(寛正5年2月25
日))は、室町時代の法華宗(日蓮宗)の僧。幼名は長一丸。号は深円・慶林坊・精進院。本
門法華宗・法華宗本門流の祖[1]。本門佛立宗では「門祖」と称えられている。
1385年(至徳2年)桃井尚儀の子として越中国射水郡(現・富山県射水市)に生まれる。139
6年(応永3年)遠成寺・日深を師として出家。名を深円と称す。1402年(応永9年)妙本寺(現
・妙顕寺)4世・日霽に師事して修学。名を日隆と改める。1410年(応永17年)法華経に対し、
妙本寺5世・月明と対立。日隆は本迹勝劣を主張し、妙本寺を退出。五条西洞院の像師堂
(現・妙蓮寺)で研鑚。1415年(応永22年)小袖屋宗句の寄進により、本応寺(現・本能寺)を
建立。1420年(応永27年)細川満元の寄進により、本興寺を建立。1464年(寛正5年)本興
寺で入滅。享年81。
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※本能寺(ほんのうじ)
本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の
変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源
妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊
門の間に、日隆によって創建されたものである。
寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地
であった。日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張し
た日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永5年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日
隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った。

尼崎城址公園へ向かう
「尼崎城址公園」に行く途中~雨がぱらつき、到着寸前に心配していた雨が土砂降りになり
集合写真も取れなくなり、場内で集合写真を撮った。
新築尼崎城
阪神尼崎駅南西側の「尼崎城址公園」に「尼崎城」が復元されました。復元された城は、
実際にあった場所から西に約300mにある「尼崎城址公園」の中央付近に有ります。
「尼崎城」は、元和4(1618)年に尼崎藩主の戸田氏鉄が築城しましたが、明治6年の廃
城令で取り壊されました。当時の本丸の4分の1程度で復元され、天守は地上5階、高さ
約24m、鉄筋コンクリート造で、展示室のほか、最上階には展望室が整備されました。
「尼崎城」の復元は、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者である「安保詮(あぼ・あきら)氏」
の寄付がきっかけです。「安保詮氏」が建設し、完成後に尼崎市に引き渡しました。
尼崎市は、「ミドリ電化」の創業の地です。
新築尼崎城は、平成30年11月30日竣工、平成31年3月29日に一般公開となりました。
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内部
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尼崎城内を見学して場内出集合写真を撮り(解散)
外へ出ると雨は小雨に変わっていた。
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阪神尼崎駅前のテラスの花壇
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mamu7010

 尼信会館博物館~尼信・世界の貯金箱博物館~本興寺は、興味
津々のコースです。
特にコインが大好きで、世界のコインなんて垂涎ものです。
ブログの貯金箱も見ましたよ、今風ですネ。

by mamu7010 (2019-09-02 07:49) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
貴方の好きな刀剣の展示も有りました、世界のコインは素晴らし
くて見入ってしまい写真撮るの忘れてしまうほどでした・・・
昨日UPした歩こう会のHPには刀もコインももっと掲載してると思う。
記念に貰った貯金箱「宝珠如意之珠」は、仏教の一切の願いが自
分の意の如く叶うと言う不思議な宝の珠で、民衆の願かけに対し、
成就させてくれる仏の徳の象徴で、寺院の欄干等の先端等に冠して
る物で、今風の物じゃ無く仏教伝来の頃から有る有り難い物です。
by taharas (2019-09-03 18:41) 

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