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11月20日の紅葉の美しい加茂の里へ石仏を見に-2

11月24日      11月20日の紅葉の美しい加茂の里へ石仏を見に-2
            11月度 歴史探訪の会例会 参加費1500円
今回はJR加茂駅からバスで岩船寺迄行き、石仏を巡り昼食休憩、浄瑠璃寺から更に
石仏を巡り加茂山の家・バス停までの歴史探訪の会に参加者21名、地元ボランティ
アガイドさん3名に引率?されて、天気も良く気持ちいい素晴らしいハイキング。
コースは  JR加茂駅東口(10:00集合)  参加費1500円 (バス費用、拝観費用)
JR加茂駅東口(10:00)~10:14バス~岩船寺~不動明王立像~笑い仏~カラスの壺
二尊~随願寺跡~藪の中三尊磨崖仏~浄瑠璃寺前(昼食)~浄瑠璃寺~大門石仏群
~仏谷阿弥陀磨崖仏~加茂山の家・バス停(解散)~バス~JR加茂駅へ
紅葉の綺麗な山の中、此の日の私の万歩計は、13636歩で約8.1㎞歩いたことに・・・
志都美駅~加茂駅
加茂駅前で朝礼
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加茂駅前~バス~岩船寺
岩船寺
加茂町南部、南当尾一帯は古く「小田原」とよばれ、仏教文化が花開いたところで
した。その中でも、当寺は平安時代を代表する寺院です。行基開基を伝え、行基が
鳴川に建立した阿弥陀堂がそのはじまりとされ、弘安2年に至って鳴川山寺の東禅
院潅頂堂を岩船に移し、同8年に供養したといわれていますが定かではありません
(『岩船寺縁起』)。本尊は阿弥陀如来像で10世紀を代表する仏像として知られ
ています。三重塔(室町時代)は中世後期の代表作ともいわれており、重要文化
財に指定されています。
奈良県と京都府の県境にある南山城にある寺院で、紫陽花寺として知られます。
南山城の地域は南都仏教の聖地として奈良文化の影響を強く受けています。境内
の三重塔や本尊阿弥陀如来像は重要文化財に指定されています。
梅、椿、桜、睡蓮、百日紅、紅葉など、四季折々の草花が豊かです。門前には鎌
倉時代といわれる石風呂があります。
寺伝によると、729年に聖武天皇が夢想によって奈良市東鳴川町の善根寺に籠居
していた行基に一宇の阿弥陀堂を建立させ、のちに弘法大師とその甥である智泉
大徳が伝法灌頂を修し灌頂堂として新たに報恩院を建立したのが草創の始まりと
されています。弘安2年に至って鳴川山寺の東禅院潅頂堂を岩船に移し、同8年に
供養したといわれていますが定かではありません。
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岩船寺 三重塔(重要文化財)高さ:17.56m、室町時代
寺伝によると智泉大徳入滅のあと十年が過ぎて、承和年間(834~847年)に仁明
天皇が智泉の遺徳を偲んで宝塔を建立したと伝わすが、昭和十八年(1943年)の
解体修理の際に丸桁に刻まれている「嘉吉二年(1442年)五月廿日」の銘文が発見
され、寺伝でも承久三年(1221年)の承久の乱で兵火を被ったとの記録があるこ
とから、現存する塔は室町時代の建立とも考えられています。仏塔古寺十八尊霊
場の一つでもあります。
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十三重石塔(重要文化財)
阿字池の左側に建つ花崗岩で造られた十三重石塔。正和三年(1314年)妙空僧正
の建立と伝える。高さ5.5mで、壇上積の基壇の上に設けられ、初重から相輪に至
るまで大きさが整い、軒反りも緩やかで、初重の塔身の四面には金剛界四仏の梵
字、東面にはウン(阿?如来 、南面タラク(宝生如来)、西面キリク(阿弥陀如
来)、北面アク(不空成就如来)が薬研彫りで刻まれている。昭和十八年(1943
年)の石塔積み直し修理の際、軸石のくぼみの中に水晶の五輪舎利塔が発見された。
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五輪石塔(重要文化財)
厄除け地蔵堂の少し左に建つ、鎌倉時代作の2m余りの五輪石塔。寺伝では東大寺別
当平智僧都の墓と伝えている。以前は岩船村落の北谷墓地にあったが、昭和十二年
(1937年)頃に当地へ移された。 地輪(じりん)下には返花座(かえりばなざ)が
あるが、これは大和式と呼ばれる五輪塔の様式で、ここ南山城から大和地方にかけ
ての特徴であり、この五輪石塔はその代表的なものである。
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三つ又に蕾が・・
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石室不動明王(重要文化財)
十三重石塔から少し離れた山の斜面に石室がある。花崗岩製で前面二本の角材柱を
立て、その上に寄棟造りの一枚岩の屋根をかけた珍しい様式となっている。奥壁の
一枚岩には薄肉彫りの不動明王像と、像に向かって右左には「応長第二初夏六日」
「願主盛現」と線刻された銘文が残されている。この銘文から応長二年(1312年)
四月六日の造立されるが、この年の三月二十日には改元されて正和元年となって
おり、恐らくそれ以前に制作されて四月六日に開眼法要を予定していたため先に
刻んでおいたのではないかと思われる。
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一願不動へ向かう
皇帝ダリアが咲いて・・・
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一願不動(当尾磨崖仏不動明王立像)
高さ約1.2mのお不動さん。願い事を1つだけ一心に祈れば叶えてくれるという。
弘安10年(1287年)の銘がある。
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笑い仏へ向かう
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笑い仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)
少し左に傾いた岩に彫られた穏やかにほほえむ阿弥陀三尊像。高さ約80cmの
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が刻まれる。
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浄瑠璃寺へ向かう
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吊り店発祥の地だとか
今は使われていないが当時のお金を受け取る箱
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此処までは、
11月20日の紅葉の美しい加茂の里へ石仏を見に-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
       https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2019-11-24
此処では、続きの カラスの壺二尊~ についての詳細を掲載します。
カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵磨崖仏)
一つの岩に阿弥陀如来坐像と、地蔵菩薩立像が彫られている。阿弥陀如来坐像
の横の線彫灯籠は火袋を彫り込み、そこへ灯明が供えられる。
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浄瑠璃寺へ向かう
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随願寺跡
浄瑠璃寺を「西小田原寺」と呼び、こちらは「東小田原寺」とも呼ばれました。
今は立ち入り禁止となっています。
「大乗院自社雑事記」では、「明応二年から二百余年以前に大きな火災にみま
われた。さらに随願寺には三重塔もあったがそれもすでに倒壊した」と伝えて
おり、浄瑠璃寺に匹敵する大寺院であったことを彷彿とさせます。随願寺で造
立されたとされる「愛染明王坐像」は奈良国立博物館に所蔵されています。
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浄瑠璃寺へ向かう
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藪の中三尊磨崖仏
向かって左端に一体だけ、浄瑠璃寺の方を向いておられるのが、「阿弥陀
如来座像」。こちらを向いた二体は、「地蔵菩薩」と「十一面観世音菩薩」です。
いずれもかなり厚肉彫りで、1262年(弘長2年)、鎌倉時代の中頃の作です。
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浄瑠璃寺前(昼食)
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浄瑠璃寺へむかう
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浄瑠璃寺
詳しい創建年は不明ですが、一説には行基によって開基された説や、永承2年
(1047年)に義明上人が薬師如来を本尊として小さな堂を建てたのが浄瑠璃寺の
始まりとする説があります。寺名は創建時の本尊である薬師如来の浄土である
浄瑠璃世界から付けられました。
浄瑠璃寺の伽藍配置は、池を中央にして東に薬師如来を祀る三重塔、西には阿
弥陀如来九体を祀る本堂があります。古い寺院の金堂(本堂)や都の大極殿で
は南面が原則ですが、平安時代の中頃から、阿弥陀如来を東面に祀りその前に
池を造る型が出てきました。例)平等院
九体阿弥陀如来像(国宝)
寄木造 像高:224.0cm(中尊)、139cm〜145cm(脇仏8体)藤原時代
現在の本尊で古くから残る九体佛は日本で唯一のものです。「観無量寿経」に
ある上品〜下品までの九品往生の考えから九体祀っています。中尊だけ丈六仏、
脇仏8体は一回り小さく半丈六仏となっています。中尊の仏像の特徴が平等院
鳳凰堂に安置される定朝作の阿弥陀如来像と酷似していることからこちらの阿
弥陀如来像も定朝の作とされていますが、正しいことは不明です。
11月20日現在、2体修復中につき九体佛全ては見れませんでした。
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吉祥天女立像(重要文化財)檜材割矧ぎ造 像高90cm、鎌倉時代
11月20日はちょうど公開中で秘仏を見る事が出来ました。
九体佛と並ぶ浄瑠璃寺の人気仏像がこの吉祥天女立像です。薬師寺の吉祥天と並
ぶ最高傑作の吉祥天像として知られます。本堂に安置されていますが、基本的に
秘仏であるため滅多に見ることができません。しかし秘仏であったため保存状態
は良く、色彩がはっきり見えます。
吉祥天とは豊かな暮らしと平和を授ける幸福の女神です。南都の寺々では正月に
そういう祈願の法要をする伝統があり、吉祥天のの仏像が多く祀られています。
この吉祥天は造立時などの記録はなく、1212年に本堂へ祀られた記録しか残っ
ていないなど謎の多い仏像です。
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浄瑠璃寺の庭園
池を中心とした浄瑠璃寺の庭園は興福寺の僧であった伊豆僧正恵心が1150年に
入寺し、伽藍の整備にあたった頃に造られました。鎌倉時代のはじめに石を立
てるなどの補強はあったものの、その後はほとんど手を加えられていないほぼ
当時の姿をしています。
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三重塔(国宝)高さ:約16m、藤原時代
本堂から宝池を挟んだ対岸に建つのが三重塔です。寺伝によると治承二年(1178)
に京都一条大宮から移されてきたものです。初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六
羅漢図(重文)など、装飾文様で壁面が埋められています。かつては仏舎利を納
めていたと考えられているが、当寺に移築後は秘仏薬師如来像を安置しています。
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浄瑠璃寺を後に
大門石仏群へ向かう
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大門石仏群
大門の阿弥陀寺跡や鎮守社近くの現石像群近くにあったせきぶつ、石塔などを
集めて安置し直したもの。
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大門仏谷へ向かう
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大門仏谷(如来形磨崖仏)大磨崖仏
当尾の石仏では最大の2.8mの如来形坐像が、谷向かいの6mを超える巨大な
花崗岩に彫られている。
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加茂山の家・バス停へ向かう
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加茂山の家・バス停(解散)~バス~JR加茂駅へ
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