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2017年 8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-2

2017年8月24日    2017年8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-2
               歩こう会 門真南駅~歩程約5㎞
8月度の歩こう会は「鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ」と題して、27年前に
開催された花博記念公園へ行き、当時から其のまま残っている「咲くやこの花館」
で世界の珍しい花木を見て廻った。、此の日の参加者は79人だった。
館内はまあまあ涼しくて、此の暑い夏場に納涼を兼ねたハイキングになった・・・
地下鉄門真南駅1番出口10時集合、此の日は、オリジナル弁当(700円)予約済。
此の日の私の万歩計は、14673歩で約9.8km歩いた事に・・・
自宅~王寺駅へ奈良降雨ツウバスで
バス停前のレジャービル(ボーリング、ファミレス、カラオケ、ダーツ)
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門真南駅1番出口に集合
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門真南駅~鶴見緑地駅前公園入口へ約2km歩く
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花博名残りのマンホール
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花博記念公園へ
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花博記念公園入口へ到着
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1990年花博のマークのマンホール
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命の搭が見えて来た
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はなみずきホールのガラスに?
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「咲くやこの花館」が見えて来た
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「咲くやこの花館」前の大池
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咲くやこの花館へ入館
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館内案内のビデオ鑑賞&説明を聞いいて
亜熱帯植物ゾーンから、シダと芭蕉
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食虫植物
夏休みの特別展?
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此処までは、
8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-24-2
続きは、亜熱帯植物途中~
オオシダの下から眺めるこの葉が良い
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オオオニハス、花芽も・・・
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サガリバナが懐かしい
我家でも鉢植えを育てている
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パパイヤ
此れを見ると青パパイヤの漬物を食べたい?
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リュウゼツラン
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サボテン
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高山植物も
コマクサ
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「咲くやこの花館」で頼んでたオリジナル弁当で昼食を済ませて
外へ出て、大池のすいれんや各種蓮
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命の搭をバックに
集合写真を撮影して一旦解散
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希望者だけ園内散策・鶴見新山や風車の丘へ
アメリカデイゴ
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今の時期一番元気な百日紅
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鶴見新山 標高45m
鶴見新山は1990年(平成2年)に開催された「国際花と緑の博覧会(大阪花博)」の
メイン会場である鶴見緑地の中あり、大阪市内の山の中では最高峰を誇る。
かってはこの場所がゴミの埋立地であったことが想像も出来ないが、この山の中味は
ゴミと土で出来ており、この緑地公園に隣接してあったゴミ焼却場から出る残灰を積
み上げて山は造られた。
鶴見新山という名は1983年(昭和58年)に命名されている。完成当時の山の高さは
45mだったが、現在は39mとなっている。山の成り立ちから見て、地盤沈下のため
低くなったと思われる。
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※2位は大正区千島公園の昭和山
昭和山(しょうわざん)は、大阪市大正区千島二丁目にある人工の山。標高33m。
山の周囲は千島公園(ちしまこうえん)として整備されている。
大阪万博を控えて大阪市営地下鉄の路線整備が急速に進んでいたという建設当時の
背景から、地下鉄建設工事で出た残土約170万立方メートルを使用して山が建設され
た。1970年11月30日に記念植樹式がおこなわれ、式典会場でこの山を「昭和山」と命
名することが発表された。昭和山の名称は、昭和年間に建設された山ということに由来
している。昭和山は建設当時、大阪市では最も標高が高い場所となっていた。その後
鶴見緑地内に鶴見新山が建設されたことで、大阪市内最高峰は鶴見新山に譲り、昭和
山は大阪市で2番目に標高が高い場所となっている。

50人以上登って来たので此処でも集合写真撮影
鶴見新山を下り、風車の丘へ向かう
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風車の丘
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鶴見緑地駅へ向かう
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鶴見緑地駅
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8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-2

8月24日     8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-2
               (ガイド付き JR三輪駅~歩程約3㎞)
JR7ふれあいハイキング誌に掲載されていた上記ハイキングに参加してみた。
コース  JRふれあいハイキング   桜井市観光協会主催(ガイド付き)
JR三輪駅(10時集合)~祓戸神社~大神神社(特別拝観)・巳の神杉~くすり
道~狭井神社・薬井戸~大美和の杜展望台~久延彦神社~若宮社~一の鳥
居~古い商家町並み~恵比寿神社~古い商家町並み~三輪駅(ゴール)
大神神社(特別拝観の三ツ鳥居は長蛇の列?長時間待ちの為にパスした)
ガイドさん1人に参加者6人でスタートしたが途中で1人減り、大美和の杜展望台
以降は5人で、桜井市観光協会のボランティアガイドさん有難う御座いました・・・
此の日の私の万歩計は、9603歩で約6km歩いた事に・・・
JR三輪駅スタート
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大神神社の参道へ
大神神社(おおみわじんじゃ)は、大和国一の宮。三輪山を御神体とする為に
本殿が無く、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
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※三ツ鳥居
神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ。本殿に変わるものとして神聖視され
て来た。拝観は参集殿で申し込み必要(祭典等の状況により拝観出来ない事も)。
二の鳥居
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祓戸神社
体と心を祓い清めてくださる祓戸の神さまをまつる。神社に参拝する時は先ず此処
におまいりをする。
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拝殿へ向かう
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振り返って
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大神神社拝殿
国の重要文化財、1664年徳川家綱公により再建。当神社は、三輪山を御神体と
する為に本殿が無く、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
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巳の神杉
三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇の
好物の卵が参拝者によってお供えされている。
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酒の句碑
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祈祷殿
日々の祈祷や結婚式を奉仕する。
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くすり道・両側に全国の製薬会社の名前が・・・
薬の神様・狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられている。
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狭井神社
三輪の神様の荒魂(あらみたま)を祀る神社。力強いご神威から病気平癒の神様
として信仰が篤い。
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薬井戸
万病に効くという薬水がこんこんとわき出る井戸。コップ1杯飲んで来ました・・・
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三輪山登拝口
狭井神社で特別登拝申込み出来る。
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大美和の杜展望台
三輪山の秀麗な姿、大和
三山や二上山を眺望する絶景の場所。
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久延彦神社(くえひこじんじゃ)
久延毘古命は「古事記」に世の中の事をことごとく知っている知恵の神様と機される。
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境内からの眺望
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久延彦神社を降りて
振り返ると・・・
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此処までは、
8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-24-1
続きは、若宮社へ向かう~
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大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)・若宮社
三輪の大神様のご子孫の大直禰子命(若宮様)を祀る。
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御饌(みけ)石(磐座)とおだまき杉の古株
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箸墓古墳(はしはかこふん)の見える場所へ
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箸墓古墳(はしはかこふん)
箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳)は、奈良県桜井市箸中にある古墳。
形状は前方後円墳。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓
(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治
定されている。また周濠が国の史跡に指定されているほか、周濠の一部は
「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。
纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の
中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。この古
墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王、「卑弥呼」の墓とする(一部の邪馬
台国畿内説)説もある。

一の鳥居へ向かう
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大神神社 一の鳥居
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古い町並み
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恵比寿神社
水害で流出した日本で最初の市場「海石榴市(つばいち)」の市神が此の
地に移された、との伝承がある。
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※最古の市神
海石榴市【つばいち】は現在の桜井市金屋付近にあった我が国最古といわれる
市場で、奈良の都へ続く山の辺の道、飛鳥へ通じる磐余の道、大和と伊勢を結ぶ
初瀬街道、二上山へと延び竹内街道につながる横大路といった幹線道路が交錯し、
大和盆地を横断して河内に注ぐ大和川水運の終着地点でもあり、「海柘榴市の八
十【やそ】の衢【ちまた】」と万葉歌に詠われた交通の要衝だった。
市の立つ日には多くの人びとで賑わい、また男女の出逢いの場である歌垣が開か
れ、さらには迎賓館などが設けられて外国との交流の拠点ともなった。磐余や飛鳥
に都が置かれた時代、遣隋使の一行は海柘榴市から初瀬川・大和川を下って難波
津に出たし、大陸からの使節は川を遡ってここで船を降り、陸路で入京した。

古い町並み
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三輪駅(ゴール) 
ホームから三輪山を・・・
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おまけ
此の日の我家の夕食
コーンとツナの混ぜご飯&鶏肉グリル&キャベツ炒め&胡瓜揉みにコーヒー
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