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2019年  8月31日の香芝穴虫山口神社~王寺達磨寺へ-2

2019年9月1日   2019年 8月31日の香芝穴虫山口神社~王寺達磨寺へ-2
            JRふれあいハイキング 13㎞コース
コースが自宅の近くで、見てみたいと思ってた古墳が行先の中に有ったので一人で参加
してみた、が途中で雨になり、行きたいと思ってた古墳に辿り着く前雨の為、リタイアして
しまった。当日の参加者は175名、私の万歩計は、15236歩で約9.1km歩いた事に・・・
コース  JRふれあいハイキング 奈良県ウオーキング協会主催 参加費@500円
JR香芝駅(9:30集合)~今池親水公園(トイレ休憩)~大坂山口神社(穴虫)~大坂山口
神社(逢坂)~志都美神社~武烈天皇陵~平野塚穴山古墳~正楽寺~尼寺厨神社~
尼寺廃寺跡(昼食&トイレ休憩)~葛下川遊歩道~達磨寺~王寺駅(解散15:00頃)
志都美駅
左側の葛城山には雲がかかってる
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JR香芝駅(9:30集合)
横の駐車場に集合・朝礼・柔軟体操・スタート
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柔軟体操
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スタート
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2列の隊列で今池親水公園へ向かう
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JR香芝駅横の駐車場をスタートして直ぐの鹿島神社境内児童公園のエノキの巨樹
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※エノキの巨樹・・・香芝市の天然記念物
指定年月日(号数):平成8年3月12日(市指定第11号)
法 量:胸高直径106.0cm 幹周334.0cm 樹高約25m
所在地:香芝市下田西1丁目 鹿島神社境内 児童公園内
概要
鹿島神社境内北東隅の児童公園入口に所在する。
この巨樹は、関屋峠(大峠)を越えて関屋、逢坂、下田、瓦口、別所を経て、初瀬や
伊勢方面に通じていた「伊勢街道」に面していることから、街道の道標的な役割を
果たしていたものと考えられる。

近鉄下田駅の踏切を渡る
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今池親水公園が見えて来た
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今池親水公園(トイレ休憩)
「香芝冬彩」がおこなわれる市役所裏の公園
冬空を光と音で彩る幻想の祭典「冬彩」。香芝市制施行10周年を祝う行事として2001年
から始まり、市民が中心となり企画、運営されている。会場の今池親水公園で16時から
行われる和紙玉の飾り付けや17時から行われるろうそく点火には当日参加可能。メイン
ステージで行われる豪華なイベントや味自慢の屋台料理はもちろん、フィナーレを飾る香
芝天衝太鼓と花火のコラボレーションは圧巻!
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大坂山口神社(穴虫)へ向かう
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二上山を眺めながら進む
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此処までは、
8月31日の香芝穴虫山口神社~王寺達磨寺へ-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
         https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-09-01
此処では、続きの神社前の由緒有りそうな井戸~ についての詳細を掲載します。
神社前の由緒有りそうな井戸
※穴虫馬場の伝説の井戸
馬場の山口神社の南、社前の井戸を弘法井戸といいます。昔、弘法大師が巡錫の際に
掘られたものだといわれています。今も清水がこんこんと湧いています。もともとこの村
には弘法井戸が六つあったと伝えられていますが、新畑の池尻の井戸は今、埋められ
てなくなっています。
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大坂山口神社(穴虫)
祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あ
めのこやねのみこと)
式内社大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では
長尾街道に面する交通の要衝に鎮座(ちんざ)されます。
近世の『大和志(し)』には、「在穴蒸村 今称牛頭(ごず)天王」とみえ、牛頭天王社(祇園
宮)と称されていたことがわかります。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が
行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝
殿には、文久二年(一八六二)や明治十九年(一八八六)の奉納板番付があり、境内には
馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷(さじき)席があり、近年まで土俵(どひょう)も残されて
いました。この馬場組をリードしたのは、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大(おお)
の松為次郎(一八五九~一九ニ一)で、大正四年(一九一五)境内で引退相撲を行ったあ
と、素人相撲の世話役として活躍されました。
また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園(た
けぞの)日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では
相撲が大変盛んであったことがわかります。
なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約六〇〇mに位置する逢坂のニヶ所に所
在し、ともに式内社と称しています。
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次は大坂山口神社(逢坂)へ向かう
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大坂山口神社(逢坂)
祭神は、大山祇命、須佐之男命、稻倉魂命。又は大山祇命、須佐之男命、神大市姫命。
式内社の論社としては別に穴虫の大坂山口神社が存在し、立地上からも穴虫のほうが
有力なようであるが、 たかだか数百メートルの距離しかなく、元々は同じ敷地内だったの
かも知れない。
『延喜式』の祝詞の中では、飛鳥、石村(いはれ)、忍坂、長谷、畝火、耳無の山口神の名
が見え、他に式内社として夜支布、巨勢、鴨、當麻、大坂、吉野、都祁の八社があり、合
わせて十四社が大社である。 重要視されていた神である。
当神社は大和国中と河内を結ぶ交通の要所に鎮座していることもあって、『日本書紀』で
は崇神紀、天武紀、『古事記』に履中記にも大坂の山口の名前が出てくる。
また、例の「太陽の道」の線上にあたる。
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※「太陽の道」・・・v奈良・大和盆地に「太陽の道」
万葉集の冒頭に登場する枕ことば「そらみつ」は「大和(の国)」にかかる。日本書紀に記さ
れた謎の言葉「空見つ日本(やまと)の国」が語源で、「大空から眺めて良い国だと選ばれ
た」の意だ。「天の岩船」というUFOを思わせる飛行物体に乗ったニギハヤヒノミコトが「国
の中心地」に着陸し、後に神武天皇が「畝傍山の東南の橿原の地」を「ここは国の真中だ」
と考えて今の奈良県橿原市に都を置いたという伝承に由来する。くしくも、大和盆地を「空
から」の視点で研究した説は少なくない。
卑弥呼の墓説もある箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺を
はじめ、大和盆地を中心とする著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直
線に並び、東は三重県の伊勢斎宮跡、西は堺市の大鳥大社(さらに淡路島の遺跡や古社)
まで延びるという。
この「一直線」は「ほぼ一直線」であり、南北にずれる遺跡もあるのだが、記紀神話などとの
奇妙な暗合が「太陽の道」説。

志都美神社へ向う、雨が降って来た
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雨の中を志都美神社へ
志都美神社の鳥居前に到着
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志都美神社参道を本殿へ向かう
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志都美神社本殿に到着
志都美神社
祭神は、天児屋根命 中筒男命 誉田別命。境内看板によりますと、
「創建は、弘仁四年癸巳年八月九日藤原鎌足六世の孫従四位民部少輔片岡綱利により
創建された古社である。志都美神社は、香芝市今泉に位置するが江戸時代には上里村・
今泉村・高村の五ヶ所の氏神であり、厚い信仰を集めていた。特に明治十三年八月にコ
レラが流行し氏子が氏神に侵入防止を祈願した結果、ひとりの患者も出なかったのを喜
んだ人々が感謝の意味で本殿背後石垣に『明治十二年八月虎列社病流行氏子祈願無
一人患者無人数叶奉納』ときざみ奉納した記念碑がある。
日本へコレラが最初に侵入したのは文政五年で第二次流行の安政五年は日本中をコレ
ラ流行禍にまきこみ死者二万八千人に達した。明治に入ってから同十二年に全国に流
行しての余波が十二年にまで及んだという。死者が出ないということは本当にお珍しく、
ご神徳がうかがえる。また本神社の神宮寺として清水山明王院が明治の神仏分離令が
出るまであり、現在明王院という石灯篭が一基残っている。ある日盲目の法師が境内に
ある井戸で目を洗うと水の霊験で目があいたという伝説があり、それゆえ一時期清水八
幡宮と呼ばれた時代があった。今も手水舎の石に八幡宮の文字が残っている。
本殿裏の社そうは椎の木を中心とした原生林で県指定の天然記念物となっている。
万葉集(巻七一.九)に『片桐のこの向う峰に椎蒔かば今年の夏の陰にならむか』とある。
椎の原生林とかさね合わせばこの附近ではないかと思われる。歌碑は、神社参道入り
口右側にある。」とあります。
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此処から志都美神社の森を越え~武烈天皇陵~平野塚穴山古墳へ向かう
今話題の平野塚穴山古墳へ行って見たかったが私は此処でリタイア・・・
雨はやみそうに無く
武烈天皇陵~平野塚穴山古墳~正楽寺~尼寺厨神社~尼寺廃寺跡(昼食&休憩)
~葛下川遊歩道~達磨寺~王寺駅(解散15:00頃)迄をパスして
志都美神社~志都美駅(水分補給&トイレ)~徒歩20分~雨の中を自宅へ戻る

※平野塚穴山古墳・・・2019年6月25日のニュース
奈良県香芝市の国史跡、平野塚穴山(ひらのつかあなやま)古墳(7世紀後半)で、古墳
の斜面に凝灰岩の石材が張り巡らされていたことがわかった。市教育委員会が25日発
表した。張り石の特徴は、飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)の天皇陵とみられる二つの
古墳と共通し、3例目となる。専門家は、飛鳥時代中ごろに即位した斉明(さいめい)天皇
の父にあたる茅渟(ちぬ)王など天皇の一族の墓の可能性が高まったと指摘している。
※平野塚穴山古墳(ひらのつかあなやまこふん)
国指定史跡、古墳時代後期
西名阪自動車道香芝(かしば)I.C.から南へ、平野(ひらの)の村の中にある正楽寺(しょう
らくじ)の本堂の西側にあって、寺の境内を通っていくことができる。この古墳は昔から開口
していて、江戸時代の終わりごろまでは顕宗天皇(けんぞうてんのう)の墓(顕宗陵)といわ
れていた。(現在は、北今市(きたいまいち)に指定地がある)
昭和47年に行われた発掘調査で、一辺約21m、高さ約4mの方墳(ほうふん)(四角い形の
古墳)とわかり、南側に入口がある石槨(せっかく)(棺を入れる小さな部屋)の中から夾紵
棺(きょうちょかん)(漆(うるし)を塗った布を重ねあわせて作ったお棺)片と金環(きんかん)
(金メッキをした銅製のイヤリング)1個などが土出した。石槨は、屯鶴峯(どんづるぼう)付
近から持ち運ばれた凝灰岩(ぎょうかいがん)の切石を組み合わせて丁寧(ていねい)に作っ
てあり、漆喰(しっくい)も塗られている。内部の規模は、長さ3.05m、幅1.5m、高さ1.76mで
ある。以上の発掘成果から、当時相当身分の高い貴人(きじん)の墓地であったことがわか
る。この古墳が築造されたのは、唐尺(とうじゃく)(西暦618年から907年まで中国を支配した
唐の国での長さの単位)が使われているらしく、7世紀後半から末頃と考えられている。貴重
な終末期古墳(奈良時代の直前に作られた最後の古墳)として、昭和49年に国史跡に指定
された。終末期古墳としては、明日香村の高松塚古墳があまりにも有名であるが、今は保存
のために封じてあり、直接内部を見ることができない。そのかわり、この平野塚穴山古墳で
その構造を知ることができる。

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コメント 2

mamu7010

 JRハイキングでは長袖・長ズボンの方を見かけます。
基本ハイキングではこの格好かナ、。
志都美の駅では考えられない雨?、行きたい古墳に辿り着けず
少し残念でしたネ。

by mamu7010 (2019-09-03 20:49) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
皆さん雨対策にポンチョやリュックカバー+傘と十分な
準備体制で来てるから雨でも歩けるんですね、感心します。
by taharas (2019-09-04 01:02) 

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