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9月26日のJRふれあいハイキング・奈良駅~1

9月27日         9月26日のJRふれあいハイキング・奈良駅~1
             佐保・佐紀路-万葉歌碑と御陵を訪ねて-
ひとりで参加、
コース  JRふれあい  なら・観光ボランティアガイドの会主催 
奈良駅(9時15分集合・スタート)~西方寺~佐保川(万葉歌碑)~大仏鉄道
記念公園~興福院(こんぶいん)~不退寺~ウワナベ・コナベ古墳~磐之媛
命陵~平城宮跡(解散)~第一次大極殿~昼食~朱雀門~バス~奈良駅
秋のハイキング日和?集まったのはガイド2人に13人、2班に分かれてスタート、
人数が少なくてガイドさんの説明が聞き易い、良いハイキングになりました・・・
私で20300歩、約13.5km歩いたことに、ガイドさん!有難う御座いました。
解散後、1人で大極殿を見学して朱雀門へ行く途中の木陰で弁当を広げて、
朱雀門へ行き写真を撮って、遣唐使船のレプリカを撮ってバスで奈良駅へ。
志都美駅~
奈良駅
1890年(明治23年)12月27日 - 大阪鉄道 (初代) 王寺駅 - 当駅間の開通
時に同線の駅(一般駅)として開業。
1896年(明治29年)4月18日 - 奈良鉄道 木津駅 - 当駅間の開通時に、
同線の駅が開業。
1899年(明治32年) 10月14日 - 奈良鉄道線が京終駅まで開通。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道が関西鉄道に合併。
1905年(明治38年)2月7日 - 奈良鉄道が関西鉄道に合併。これを以って
関西鉄道の単独駅となる。
1934年(昭和9年) - 寺院風の駅舎が完成。
2003年(平成15年) 9月7日 - 高架化工事のため仮駅舎に移転。
2005年(平成17年)9月11日 - 高架化工事のため仮線・仮設ホームで
の営業を開始(当初は同年5月22日の予定であったが、福知山線脱線
事故の影響により延期された)。
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JR奈良2代目駅舎を利用した奈良市総合観光案内所
JR奈良駅前には1934年から2003年まで使われていた2代目駅舎が
保存され2009年7月より奈良市総合観光案内所として利用されている。
経済産業省から「近代化産業遺構」に指定されている、奈良らしい寺院を
連想する方形屋根に相輪(そうりん)を持つ和洋折衷様式の建物だ。吹
き抜けの中央に巨大な朱塗りの4本の柱が建っている。これは平城宮跡
の平城遷都1300年祭で人気を集めた第1次大極殿正殿の復元の際に
作られた、高さ5.3m、直径0.7mのものと同じ柱との事。
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西方寺へ向かう
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西方寺
南都総墓所と言われ、広大な墓地に石塔が林立しています。
正親天皇御綸旨霊場・南都総墓所 (浄土宗) 草鞋山「西方寺」です。
奈良時代に行基菩薩によって多聞山に創建されました。
永禄2年(1559)に松永久秀が多聞城を築くために移転を余儀なくされ、
慶長8年(1603)に、東大寺の住職・祐全上人によって再興されました。 
本尊;木造阿弥陀如来坐像(平安時代の作・国重文)
中興開山の祐全上人坐像は、弘治2年(1556)の作で市の文化財です。
まだ無名だった頃の宮本武蔵が修行の為に滞在したと伝わっています。
墓地を挟んだ西側の船橋通り商店街の入口にある「荼羅坊」の屋上に
『みてござる観音』があります。
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万葉歌碑
巻5-802
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いずくより 来たり
しものそ まなかひに もとまかかりて 安眠やすいしなさぬ

瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとまして偲ばれる。 いっ
たい何処からやってきたのか、その面影が目の前にむやみにちらついて、
安らかに眠らせてくれない。
巻5-803
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優(まされ)る宝 子にしか
めやも
銀も、金も、殊玉も、どうしてすばらしい宝の、子どもに及ぶだろうか。
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佐保川(万葉歌碑)
佐保路
平城京の一条南大路であった現在の一条通りを東に突き当たったとこ
ろに東大寺の手貝門(転害門、佐保路門ともいわれる)があります。この
門を起点として、一条通りを西に歩くと道に沿うように、聖武天皇陵ー興
福院ー不退寺ー法華寺と続きます。このあたりまでを「佐保路」といい
ます。古来、春の女神を佐保姫と呼んでいますが、このやさしさに満ちた
名を持つ、標高100メートルほどの佐保山と呼ばれる丘陵は春のように
のどかで、佐保山の裾野の南を流れる佐保川のせせらぎは往来する人
の心を癒してくれます。奈良時代の佐保山の裾野は、その風光と立地の
良さから高級貴族の邸宅地で、万葉歌人大伴家持、旅人、坂上郎女を
輩出した大伴氏の邸宅、長屋王の別荘「作宝楼」、藤原氏の邸宅「佐保
殿」、日本最初の公開図書館「芸亭」を設置した石上氏の邸宅があったと
いわれています。そこに風雅を愛でる風流士が集い、芸術・文芸の華を
開かせました。『万葉集』には佐保で詠まれた歌も、佐保を詠んだ歌も
多く、佐保路には多くの万葉歌碑がおかれています。
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北向地蔵尊
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万葉歌碑
ふりさけて三日月見れば
一目見し人の眉引き思ほゆるかも

月立ちてただ三日月の眉根掻き
日長く恋ひし君に逢えるかも
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万葉歌碑
うちのぼる佐保の川原の青柳は
今は春べとなりにけるかも

千鳥鳴く佐保の河門の清き瀬を
馬うち渡し何時か通はむ
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大仏鉄道記念公園
大仏鉄道(正式名:関西鉄道大仏線)は、名古屋と大阪をつなぐ路線の
一つとして、明治31年4月に開業し、明治40年8月まで奈良駅・加茂駅
間約10kmを運行していました。大仏鉄道が廃止されてから100年が
過ぎましたが、平成4年4月には大仏駅跡地付近に大仏鉄道記念公園
が設置され、大仏鉄道の面影を残しています。大仏鉄道記念公園は、
奈良事務所の南方約100mの佐保川沿いにあり、春4月には、しだれ
桜の大木が見事に咲き、たくさんの人々が訪れます。
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春日野荘
万葉歌碑
我が背子が見らむ佐保道の青柳を
手折りてだにも見むよしもがも
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興福院(こんぶいん)
興福院(こんぶいん)は、奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗の尼寺。山号
を法蓮山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は和気清麻呂とも
いい、藤原百川ともいう。
興福院の創建については複数の説があり、中世以前の沿革はあまり明ら
かでない。
寺はもと添上郡興福院村(平城京の右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅
近く)にあり、現在地に移ったのは近世のことである。創建について、寺伝
では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移
して創建し、弘文院と称したという。『七大寺日記』(嘉承元年(1106年))に
は藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。また、護国寺本『諸
寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建
されたとある。
古くは興福院、弘文院の2つの寺号が用いられ、本尊は薬師如来であった。
前述の和気清麻呂を開基とする説は、和気氏が設立した学問所を弘文院
と称したことから出たものと推測されている。
寺はその後衰退していたが、安土桃山時代に大和大納言豊臣秀長から寺
領200石の寄進を受け、復興した。寛永13年(1636年)には徳川家光から
再び寺領200石を寄進されている。現在残る本堂、客殿、大門はこの頃の
建立である。徳川家綱代の(寛文5年(1665年))に現在地の法蓮町に移転
した。上記の建物も移築されている。
第2世の尼僧は、元大和郡山城主豊臣秀長の未亡人である。3代徳川家光
から14代徳川家茂までの将軍の位牌をまつっている。
※王寺の達磨寺には、徳川家康~徳川15代将軍迄の位牌が祀られている。
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此の続きは、9月26日のJRふれあいハイキング・奈良駅~2 として
             下記のセカンドブログへ投稿します。
           http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
万葉歌碑
我がやどのいささ群竹  吹く風の音のかそけき  この夕へかも                           

狭岡神社~佐保姫伝承の地へ向かう
佐保姫(さほひめ)は春の女神である。元は佐保山の神霊であり、948年の
『陽成院一宮姫君歌合』では秋の歌に登場している。『記紀』における狭穂
姫(沙本毘売)とは同名であることから混同される事があるが無関係。狭穂
姫命の項、参照。
五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山(現在の奈良県
法華寺町法華町)があるためにそこに宿る神霊佐保姫を春の女神と呼ぶよ
うになった。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性と考えられ。この名
は春の季語であり和菓子の名前にも用いられている。 竜田山の神霊で秋の
女神竜田姫と対を成す女神。
竜田姫が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる佐保姫も染め
ものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。古来その
絶景で名高い竜田山の紅葉は竜田姫が染め、佐保山を取り巻く薄衣のような
春霞は佐保姫が織り出すものと和歌に歌われる。

不退寺
不退寺(ふたいじ)は、奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。本尊は聖観世
音菩薩(業平観音とも呼ばれる)。山号は金龍山。寺号は詳しくは不退転法
輪寺と称する。仁明天皇の勅願を受け、平城天皇萱御所跡に在原業平が
開基したと伝わる。その由緒から「業平寺」とも呼ばれる。平城天皇の第一
皇子阿保親王の菩提所である。
近世の地誌類が伝える縁起によれば、大同4年(809年)、平城天皇が譲位
してのち隠棲し「萱の御所」と称したのが始まりとされ、その後平城天皇の
皇子である阿保親王、更に阿保親王の5男である在原業平が暮らしたという。
伊勢神宮参詣時に受けた神勅を機に、業平が自ら聖観音像を刻み、「不退
転法輪寺」と号して阿保親王の菩提を弔ったのが、寺院としての始まりと伝
えられている。
確実な史料における不退寺の初見は『三代実録』に、貞観2年(860年)10月
15日、真如親王が平城京内の田地を不退寺に施入したとみえるものである。
真如親王(法親王)は出家前の名を高岳親王といい、平城天皇の皇子、阿保
親王の弟にあたる。このことから、不退寺は伝承どおり平城天皇所縁の寺で
あると推定される。

ウワナベ・コナベ古墳
平城京の北に築かれた巨大前方後円墳
不退寺の西、国道24号をはさみ、大きな古墳が3基ある。東からウワナベ古墳、
コナベ古墳、磐之媛命陵(いわのひめのみことりょう)だ。いずれも周濠を残す
前方後円墳で、平城京の北に築かれた佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群のうち、
東のグループを構成する代表的な古墳である。3基とも墳丘には松をはじめと
する樹木が生い茂り、こんもりとした山のようになっている。

ウワナベ古墳は全長約260m、西側には造り出し部がある。隣接する、コナベ
古墳は全長約210mとやや小さい。古墳時代中期の古墳とみられるが、墳丘
で発見された埴輪からはコナベ古墳の方が少し早く築かれたと推察されてい
る。ウワナベ古墳の造り出し部からは、土師器や魚形土製品などが出土して
いる。陵墓参考地のため、内部の状況はわかっていない。しかし墳丘の規模
などから、仁徳天皇の皇后あるいはその皇子ではないかとの見方もある。

磐之媛命陵
ウワナベ・コナベ古墳のやや西北に位置するのが磐之媛命陵で、全長は
約219m、後円部の直径は約130m。古墳時代中期の築造とされる。東側
のくびれ部分に造り出し部がある。天皇の皇后に比定される古墳が多い
佐紀盾列古墳群にあって、本古墳も仁徳天皇の皇后の墓とされているが、
真偽のほどはわからない。『日本書紀』では、仁徳天皇陵が現在の大阪府
堺市にあるにもかかわらず、皇后の墓が奈良にあるのは、仁徳天皇が別
の女性を寵愛したことに怒った磐之媛命が、難波京にも戻らずにここに留
まったためと伝えている。

第一次大極殿
朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約
20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万
7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃
に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になり
ました。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要
な儀式のために使われていました。

朱雀門
平城宮の正門・朱雀門。その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の
人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、
新年のお祝いをすることもありました。朱雀門の左右には高さ5.5mの築地
がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいました。
朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城
(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門で
あった。「しゅじゃくもん」ともいう。中国の条坊制を模範に造営された古代
都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。平城京では
平城宮、平安京では平安宮などといい、大内裏とも呼ばれた。大内裏に
は四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。南
門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最
も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴氏の姓が付けられ「大伴門」と
呼ばれていた。714年、これを漢風に改め、四神において南方を守護する
とされる朱雀の名を冠したものとした。朱雀門から都城正門の羅城門に続
く大路を朱雀大路といい、現在の千本通に相当する。


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コメント 4

hatumi30331

奈良はすっかり秋の景色?
いつもながらの健脚に感心します。
今日もいいお天気やね。
スーパームーン見れそうです。^^
by hatumi30331 (2015-09-28 07:27) 

taharas

hatumi30331さん
コメント有難う御座います!(^^)!
此れからは、ハイキングに良い季節になります・・・
中秋の名月を見て無いのでスーパームーン見たいです。
by taharas (2015-09-28 09:56) 

mamu7010

 おや、今回は参加費が要ったか?と思い、パンフレットを見直しました。
僕らの時代には必ず暗記した、銀(しろがね)の詩。
久しぶりにご紹介いただきました。
by mamu7010 (2015-09-28 11:39) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
間違えていました、参加費用は無料でした・・・
消したつもりが、消してなかった、修正しました。
by taharas (2015-09-30 00:22) 

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