2020年 2月2日の酒蔵みてある記 久保本家酒造「初霞」-2
2020年2月4日 2月2日の酒蔵みてある記 久保本家酒造「初霞」-2
近鉄ハイキング酒蔵みてある記 8㎞
此の日は、知人のI 田さんと二人で参加、新型コロナウイルスの流行中でもあり
人混みを避ける為、コースを変更して、酒蔵訪問を止め、バスに乗るのを止め、
ひたすら歩く事にし、此の日の私の万歩計は、27666歩で約16.5㎞歩いた事に。
コース 榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)
榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)~うだアニマルパーク~黒門
(松山西口関門)~宇陀松山地区~久保本家酒造(抽選会・甘酒・試飲・販売)
~道の駅~道の駅バス亭~榛原駅迄のコースだったが、次の様にコース変更して
変更後のコース
榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)~宇陀川沿い・猟路の桜~平尾
水分神社~うだアニマルパーク(昼食休憩)~宇陀川沿いを榛原駅へユーターン~
カザグルマ自生地~平尾秀高大明神~公園~榛原駅前喫茶店~榛原駅 ⇒五位堂駅
志都美駅
桜井駅で近鉄線に乗り換え
榛原駅スタート
宇陀川沿い
宇陀川沿い・猟路の桜
下井足~篠楽~五津にかけての桜並木。篠楽では万葉歌にちなみ「猟路の桜」
と命名。ぼんぼりの夜桜も楽しむことができます。
宇陀川沿い
脇道にそれて
水分神社(みくまりじんじゃ)・・・(平尾の水分神社)
水分神社本殿(みくまりじんじゃほんでん)
宇陀川の東岸に面した小高い丘陵の西斜面に鎮座する。本殿は境内の東寄りに石垣
を積み上げ、その上に一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎいりかすがづくり)、
桧皮葺(ひわだぶき)の社殿を3棟並列で西面させて覆屋(おおいや)に納めてい
る。社伝によれば神社の創立は永徳元年(1381)と伝え、永徳9年(1566)書写
『玉岡水分縁起』の記載からもおそくとも中世末には存在していたと考えられ、近
世では妙福寺は神宮寺であった。祭神は向かって右から第一殿・天照大神、第二殿・
水分大明神、第三殿・白山大権現(だいごんげん)をまつる。水分神社本殿は3殿と
も同規模で同時期に建立されたことは明らかで、当初形式を踏襲しているものと考え
られる。覆屋根は慶長4年に建てられていることから現社殿の桧皮葺や棟飾(むねか
ざり)はそれ以前のものと考えられることで注目に値する。宇太水分神社と同じ形式
が見られ棟札から吉野の飯貝大工が携わり、大工集団としての活動範囲が宇陀地方に
までおよんでいたことがわかる。
夜に行われ 古式を残す平尾のオンダ(御田植祭)
平尾水分神社は江戸期に宇陀水分神社より水分神を勧請して祀られた末社。毎年1月
18日、本殿石段前に設けた板張り舞台で、五穀豊穣を祈る予祝の神事としてオンダ
が行われます。
午後7時ころ、神職(墨坂神社宮司)と氏子代表らにより本殿前で厳かに神事が行わ
れます。次いで社務所で関係者のお祝いの宴(直会)が開かれたあと、「ショトメ
(早乙女/初乙女)」と呼ばれる子供5人が1人ずつおんぶ、あるいは抱っこされて
舞台に上がります。早乙女役を子供が演じるのは珍しく、最近は男児不足から女の子
も加わるようになったそうです。
午後8時ごろ、いよいよお田植えが始まります。太夫役の「大当(だいとう)」と神
主役の「小当(しょうとう)」が神前に向かって、江戸時代頃の旧い言葉で 「・・・吉
日吉時をもって正月18日に三社大明神の御前にて御田植仕り候・・・」 のような台詞
が声高らかに語られます。舞台外から合いの手が入り、素朴で暖かい雰囲気の中で進
められます。
「鍬入れ」「苗代作り」「水入れ」「種籾まき」「お田植え」・・などと一連の農作業
が続きます。この中には現在の稲作では見られなくなった「芋つむぎ」や「鳥追い」
など珍しいものが組まれており、注目されます。
ひと息入れるころ(間炊=ケンズイ)、「若宮さん」と呼ばれる全身にコヨリを巻き
つけた人形が「小当」によって運ばれます。病気平癒を祈願する人形で、自分の体の
治したい箇所と同じところのコヨリを貰い受け、患部をなでると治癒するとのことで、
大勢の氏子や参加者が嬉しそうにコヨリを戴いていました。全体を通して古風で味わ
い深いユニークなお祭りです。
宇陀川沿いに戻る
此処までは、
2月2日の酒蔵みてある記 久保本家酒造「初霞」-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-02-04
此処では、続きの うだアニマルパーク(昼食休憩)~の詳細を掲載します。
うだアニマルパーク(昼食休憩)
うだアニマルパークを後に
此処からUターン、榛原駅へ向かう
※宇陀松山地区・・・うだアニマルパークの直ぐ隣だが今回は訪問せず
宇陀松山、聞き慣れない地名かもしれませんが、古くから城下町として発展し、
その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
保存地区に選定された古い町並みの散策はもちろん、町並みの隙間からふと顔
を出す自然の表情や、何年も姿を変えていないような店の軒先など、時間の止
まったようなゆったりした空気も魅力です。
宇陀松山が拓かれたのは戦国時代「宇陀三将」と呼ばれた一人、秋山氏の築い
た城の城下町として発展してきました。以後、様々な時代の変遷を経ながら、
今の松山の町並みが作られてきました。
宇陀は「吉野葛」の産地として全国的に有名で、昭和天皇が最後に口にされた
のはここの吉野本葛なのだそうです。他にも天然の良水を活かしたお酒や醤油
なども特産品として有名です。
天然記念物カザグルマ自生地区
カザグルマ草
キンポウゲ科の蔓性植物で、自生地の北限として昭和23年に天然記念物指定。
薄紫色で八弁の大型で優美な花を咲かせ、甘い香りを漂わせる。
現在、国が保護増殖事業に着手し、保存地域内には入ることができない。 外柵
からの見学となり、なかなか確認し難い。
平尾の秀高大明神
道路わきに、小さな鳥居と標石が祀られていました。
宇陀川沿いの公園
トイレは使用禁止になっていた
宇陀川沿い、ビューポイント
川沿いを外れて榛原駅へ向かう
榛原駅前喫茶店でコーヒーたい焼きセット
榛原駅 ⇒五位堂駅
五位堂駅 二上山
王寺行きのバスが出た後で30分間バスを待つのが嫌でバス通りを歩いた。
公園のサンシュユ
30分間歩いたので葛城台バス停でバスを待つ事にした。
約10分間バスを待って乗り込み服部台へ・・・
近鉄ハイキング酒蔵みてある記 8㎞
此の日は、知人のI 田さんと二人で参加、新型コロナウイルスの流行中でもあり
人混みを避ける為、コースを変更して、酒蔵訪問を止め、バスに乗るのを止め、
ひたすら歩く事にし、此の日の私の万歩計は、27666歩で約16.5㎞歩いた事に。
コース 榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)
榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)~うだアニマルパーク~黒門
(松山西口関門)~宇陀松山地区~久保本家酒造(抽選会・甘酒・試飲・販売)
~道の駅~道の駅バス亭~榛原駅迄のコースだったが、次の様にコース変更して
変更後のコース
榛原駅(南出口階段下受付・スタート・10時10分)~宇陀川沿い・猟路の桜~平尾
水分神社~うだアニマルパーク(昼食休憩)~宇陀川沿いを榛原駅へユーターン~
カザグルマ自生地~平尾秀高大明神~公園~榛原駅前喫茶店~榛原駅 ⇒五位堂駅
志都美駅
桜井駅で近鉄線に乗り換え
榛原駅スタート
宇陀川沿い
宇陀川沿い・猟路の桜
下井足~篠楽~五津にかけての桜並木。篠楽では万葉歌にちなみ「猟路の桜」
と命名。ぼんぼりの夜桜も楽しむことができます。
宇陀川沿い
脇道にそれて
水分神社(みくまりじんじゃ)・・・(平尾の水分神社)
水分神社本殿(みくまりじんじゃほんでん)
宇陀川の東岸に面した小高い丘陵の西斜面に鎮座する。本殿は境内の東寄りに石垣
を積み上げ、その上に一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎいりかすがづくり)、
桧皮葺(ひわだぶき)の社殿を3棟並列で西面させて覆屋(おおいや)に納めてい
る。社伝によれば神社の創立は永徳元年(1381)と伝え、永徳9年(1566)書写
『玉岡水分縁起』の記載からもおそくとも中世末には存在していたと考えられ、近
世では妙福寺は神宮寺であった。祭神は向かって右から第一殿・天照大神、第二殿・
水分大明神、第三殿・白山大権現(だいごんげん)をまつる。水分神社本殿は3殿と
も同規模で同時期に建立されたことは明らかで、当初形式を踏襲しているものと考え
られる。覆屋根は慶長4年に建てられていることから現社殿の桧皮葺や棟飾(むねか
ざり)はそれ以前のものと考えられることで注目に値する。宇太水分神社と同じ形式
が見られ棟札から吉野の飯貝大工が携わり、大工集団としての活動範囲が宇陀地方に
までおよんでいたことがわかる。
夜に行われ 古式を残す平尾のオンダ(御田植祭)
平尾水分神社は江戸期に宇陀水分神社より水分神を勧請して祀られた末社。毎年1月
18日、本殿石段前に設けた板張り舞台で、五穀豊穣を祈る予祝の神事としてオンダ
が行われます。
午後7時ころ、神職(墨坂神社宮司)と氏子代表らにより本殿前で厳かに神事が行わ
れます。次いで社務所で関係者のお祝いの宴(直会)が開かれたあと、「ショトメ
(早乙女/初乙女)」と呼ばれる子供5人が1人ずつおんぶ、あるいは抱っこされて
舞台に上がります。早乙女役を子供が演じるのは珍しく、最近は男児不足から女の子
も加わるようになったそうです。
午後8時ごろ、いよいよお田植えが始まります。太夫役の「大当(だいとう)」と神
主役の「小当(しょうとう)」が神前に向かって、江戸時代頃の旧い言葉で 「・・・吉
日吉時をもって正月18日に三社大明神の御前にて御田植仕り候・・・」 のような台詞
が声高らかに語られます。舞台外から合いの手が入り、素朴で暖かい雰囲気の中で進
められます。
「鍬入れ」「苗代作り」「水入れ」「種籾まき」「お田植え」・・などと一連の農作業
が続きます。この中には現在の稲作では見られなくなった「芋つむぎ」や「鳥追い」
など珍しいものが組まれており、注目されます。
ひと息入れるころ(間炊=ケンズイ)、「若宮さん」と呼ばれる全身にコヨリを巻き
つけた人形が「小当」によって運ばれます。病気平癒を祈願する人形で、自分の体の
治したい箇所と同じところのコヨリを貰い受け、患部をなでると治癒するとのことで、
大勢の氏子や参加者が嬉しそうにコヨリを戴いていました。全体を通して古風で味わ
い深いユニークなお祭りです。
宇陀川沿いに戻る
此処までは、
2月2日の酒蔵みてある記 久保本家酒造「初霞」-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2020-02-04
此処では、続きの うだアニマルパーク(昼食休憩)~の詳細を掲載します。
うだアニマルパーク(昼食休憩)
うだアニマルパークを後に
此処からUターン、榛原駅へ向かう
※宇陀松山地区・・・うだアニマルパークの直ぐ隣だが今回は訪問せず
宇陀松山、聞き慣れない地名かもしれませんが、古くから城下町として発展し、
その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
保存地区に選定された古い町並みの散策はもちろん、町並みの隙間からふと顔
を出す自然の表情や、何年も姿を変えていないような店の軒先など、時間の止
まったようなゆったりした空気も魅力です。
宇陀松山が拓かれたのは戦国時代「宇陀三将」と呼ばれた一人、秋山氏の築い
た城の城下町として発展してきました。以後、様々な時代の変遷を経ながら、
今の松山の町並みが作られてきました。
宇陀は「吉野葛」の産地として全国的に有名で、昭和天皇が最後に口にされた
のはここの吉野本葛なのだそうです。他にも天然の良水を活かしたお酒や醤油
なども特産品として有名です。
天然記念物カザグルマ自生地区
カザグルマ草
キンポウゲ科の蔓性植物で、自生地の北限として昭和23年に天然記念物指定。
薄紫色で八弁の大型で優美な花を咲かせ、甘い香りを漂わせる。
現在、国が保護増殖事業に着手し、保存地域内には入ることができない。 外柵
からの見学となり、なかなか確認し難い。
平尾の秀高大明神
道路わきに、小さな鳥居と標石が祀られていました。
宇陀川沿いの公園
トイレは使用禁止になっていた
宇陀川沿い、ビューポイント
川沿いを外れて榛原駅へ向かう
榛原駅前喫茶店でコーヒーたい焼きセット
榛原駅 ⇒五位堂駅
五位堂駅 二上山
王寺行きのバスが出た後で30分間バスを待つのが嫌でバス通りを歩いた。
公園のサンシュユ
30分間歩いたので葛城台バス停でバスを待つ事にした。
約10分間バスを待って乗り込み服部台へ・・・