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9月30日の浪速の町歩き・てんしばを目指して-2

10月8日        9月30日の浪速の町歩き・てんしばを目指して-2
                 昼飲み会(近鉄ハイク) 9kmコース
此の日は、久し振りに近鉄ハイキングに参加の知人のM村さんと二人で浪速の町歩きに。
コース  近鉄ハイキング 今里駅~大阪阿部野橋駅へ 9kmコース
今里駅(9:30集合)~生野コリアタウン~鶴橋本通り商店街~上本町YUFURA~生国魂
神社~五條宮~てんしば  ショートカットして五條宮から大阪阿部野橋駅へ
13:30頃に銭湯(湯処 あべの橋)14:10 ⇒ 14:20迄に551蓬莱前に行く必要が有った。.
此の日の私の万歩計は、19899歩で約11.9km歩いたことに・・・
今里駅~生野コリアタウン
生野コリアタウン 百済門前の平野川
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コリアタウン
生野コリアタウンは大阪市生野区の桃谷にある「御幸通商店街」(御幸通東商店街、御幸
通中央商店会、御幸通商店街の3商店街)とその周辺の通称。公式サイトでもこの呼称が
用いられている。「大阪コリアタウン」「猪飼野コリアタウン」「桃谷コリアタウン」などとも呼ば
れる。もともと古代からこの地は渡来人が多数住みついており、旧地名である「猪飼野」の
起源となっている。1910年の日韓併合を経て、1923年に済州島と大阪をつなぐ直行便
「君が代丸」の就航をきっかけに、多くの朝鮮人が労働のために日本へ渡航し、当時工業
地化しつつあった猪飼野周辺に集まってきた。こうして自然と朝鮮市場が誕生し、それを
核に商店街としてスタートしたのもこの頃である。 日本の敗戦後、国に帰る韓国・朝鮮人、
新たにやってくる韓国・朝鮮人と入れ替わりはあるが、この市場を中心に生活し日本最大
の在日韓国・朝鮮人の集住地になった。現在も大阪市生野区の総人口の五分の一は外
国人である。「コリアタウン」にくれば韓国・朝鮮人にとって必要なものが揃う「地域に密着
した商店街」として発展した。
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御幸森天神宮
御幸森天神宮は、大阪府大阪市生野区(旧摂津国東生郡猪飼野村)にある神社である。
仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命を祀る、猪飼野村の氏神である。御幸森天神宮のある
地域は古くから猪飼野(いかいの)と呼ばれ、猪甘津(いかいのつ)と呼ばれる古代の港
があったことに由来する。猪甘津は日本書紀仁徳天皇十四年の条に記され、猪甘部(い
かいべ)と呼ばれる官職を務める者が住んでいた。猪甘部は朝廷への貢物として豚を飼
育する役を司っていた。また付近は百済野と呼ばれ百済からの渡来人が多く住んでいた。
水鳥が集まる景勝地であったとも伝えられている。伝承によれば、仁徳天皇が鷹狩や渡
来人の様子を見聞する御幸に際して、度々この地の森で休憩したことから御幸の森と呼
ばれるようになったとされる。仁徳天皇崩御の後の反正天皇2年406年、天皇の神霊を
祀る社が建立され、御幸の祠や御幸宮と称されたと伝えられている。
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つるの橋跡
『日本書紀』仁徳天皇14年の条に、猪甘津(いかいのつ)に小橋(おはし)を作った記事
が見える。記録に残る日本最古の橋で、それは平野川(旧大和川)に架けられたもので
ある。名の由来は、鶴が多く集まっていたからとも言われた。また、「津の橋」がなまった
からとも言われている。明治7年、平野川浚渫のとき木橋から石橋に架け替えられた。
そのときの親柱を記念に残した。つるのはし跡公園の小野小町の歌碑が有る。
「しのぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めにし ゐかい津の橋」。
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※亀の橋跡・・・以前撮ったもの
亀の橋はかって東小橋村と猪飼野村との境を流れていた旧平野川に架けられていま
した。旧平野川は昭和15年(1940年)に埋め立てられ、長さ9m・幅3.6mのこの石
橋は廃橋となり、今は八木酒店の前に親柱の1本が残されている。
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彌榮神社
弥栄神社、彌榮神社、彌栄神社(いやさかじんじゃ、やさかじんじゃ、やえじんじゃ、や え
いじんじゃ)は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。
彌榮(やえい)神社は、文禄年間(1592年~1595年)に島根県八束郡(旧出雲國意宇郡)
の旧國幣大社熊野神社より御分霊を移して御祭りしたと旧記にあります。創立以来、旧木
野村の鎮守として崇敬厚く、宮座を設けて祭事を奉仕していました。明治5年村社に列せ
られ、神職を置き奉仕し、また社号もこの時に彌榮神社と改めました。
弥栄神社は、御幸森天神宮と並んで、コリアンタウンに鎮座する仁徳天皇と大変縁の深い
神社として有名です。弥栄神社は古くから地元の氏神様として、鶴橋・桃谷の人々に篤い
信仰を集めている歴史ある神社。特にこの界隈は、商店街通りとして、個人商店が多く立
ち並ぶので、商売繁盛の神としてお稲荷さんにお参りする人も多く、お参りが絶えない神
社として、地元の人たちに愛されています。
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鶴橋本通り商店街&鶴橋卸売市場
当商店会は近鉄鶴橋駅東口に有り、鶴橋卸売市場(鮮魚、乾物、青果等)と接しており、
JR・地下鉄の至近距離にあります。昭和32年当時市内商店街でも少なかったアーケード
を設置し、永く親しまれてきました。戦後、日本の「鶴橋」と知られ隣接には鶴橋国際市場
(東成区・天王寺区)、少し離れて御幸森コリアタウンもあり、グルメと衣料ブティックの街と
しても有名です。近鉄線では、三重県松阪方面より鮮魚列車が毎朝到着し、商店に必要
な備品・小物等の小回りがきき、全てがそろい、市内は云うにおよばず、近い都市、東大
阪、奈良、和歌山の鮮魚店、すし店の方々が早朝より一種独特なにぎわいを展開しており
ます。
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鶴橋卸売市場
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産湯稲荷神社
当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社となっている。
現地に掲げられていた社記によると「当地の開拓神である大小橋命(おおおばせのみこと)
は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代(4世紀頃?)、ここ味原郷に誕生
した。その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。 父は
神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人兄弟の長男である」としている。
すなわち、大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣鎌足の先祖に当る人である。 この誕生
のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比売許曽神社の近くにある。また、一説では生野区
にある御勝山は大小橋命の墓であるとも言われ、この地には大小橋命に関わる伝承は多い。
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産湯の井戸が有る
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近鉄上本町駅前
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此処までは、
9月30日の浪速の町歩き・てんしばを目指して-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2019-10-08 
此処では、続きの生国魂神社~ についての詳細を掲載します。
生国魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、新字体:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区生玉
町にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称を「難波大社」とも云われる。
かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立
され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されて
いる。この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、
国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀
礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々
で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。
また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関
わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度に
おいては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の1つである。
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齢延寺(れいえんじ)・・・生魂山 齢延寺
天王寺七坂のひとつ源聖寺坂の降り口に、銀山寺と向かい合って建つ寺院です。阿 吽2体
の仁王像を納める楼門が見事な寺院で、藤田東湖らの墓所もあるようです。本尊は大阪市
の有形文化財に指定されている定朝様の聖観音像です。曹洞宗のお寺です。立派な山門
に驚きました。柱が何本もあるような門、彫刻も施されていて見事な楼門に吸い込まれる様
に入りたくなります。以前訪問した時にバナナに似た植物が気になり和尚さん に聞いたとこ
ろ此れもバナナだと言う事でした。
今回、チャイニーズイエローバナナを見に行ったが花は無く、葉が青々と茂っていた。
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※以前撮った(2018年5月18日の大阪七坂巡り)初めて見た花が上向きのバナナ。
後で調べて見ると地湧金蓮(チヨウキンレン)チャイニーズイエローバナナだと解った。
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※地湧金蓮(チヨウキンレン)チャイニーズイエローバナナ
地湧金蓮(チヨウキンレン) はバショウ科ムセラ属の常緑多年草である。ムセラ属は
バショウ属から分離したもので、1属1種である。 中国の雲南省からインドシナ半島に
かけて分布し、高山に生える。 名は「地から湧き出た金色の蓮」という意味になる。
漢字では「地涌金蓮」とも書く。 読み方は「チユウキンレン」とするものもあるが、正式
名は「チヨウキンレン」である。 英名はチャイニーズイエローバナナである。
草丈は60~100センチくらいである。 葉は長い楕円形で、芭蕉(バショウ)やバナナ
に似ている。花の構造も芭蕉(バショウ)やバナナと同じだが、鮮やかな黄色い苞(花
序全体を包む葉の変形したもの)に特色がある。開花時期はは6~10月くらいである。

五條宮へ向かう、秋の兆しが?
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五條宮・・・勝山通りの五條宮  ステンレスの大鳥居。
五條宮は橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社。
四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。
後、敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神として
も信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。
五條宮|天王寺|名家「橘氏」の祖神「敏達天皇」を祀る全国唯一の神社
鎮座地は我国最古の大寺院である「四天王寺」の鬼門に位置し、これまた我国最古の
条坊制に基づく都ともされる「難波宮」の五條筋にあたるという。(社伝)
四天王寺の守護神として創建された「四天王寺七宮」と総称される7つの神社があるが、
それらとは一線を画す。
現在の祭神は、敏達天皇。ただし、創建当初は医薬祖神として五條大神・少彦名命が
祀られていたようだ。
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ご神木・公孫樹(いちょう)
このご神木は樹齢500年の銀杏の木。火難除・延命長寿の守護として信仰されている。
また、三角の銀杏の実は、除災招福(災いを除き、福を招く)のお守りとなるという。
かつては高さ22m・周囲5mといわれる大木であったが、現在は今にも枯れそうな状態で、
その幹のほとんどはコンクリートのようなもので修復されていて痛々しい姿となっている。
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※敏達天皇・・・30代敏達天皇。飛鳥時代の天皇で、聖徳太子の叔父にあたる。
物部守屋と蘇我馬子との間で仏教の取り扱いをめぐって抗争が始まった頃の天皇である。
ちなみに、敏達天皇は廃仏派に近い考え方だったと聞く。
敏達天皇の皇子に難波皇子がおり、その子に粟隈王、その子の美奴王が橘三千代を娶り、
橘諸兄を生んでいる。すなわち、敏達天皇は「橘氏の祖」となるわけだ。
「橘氏の祖」を祀る神社はここしかないらしい。
四天王寺建立の際、付属施設として「四箇院」すなわち、悲田院(福祉施設)・敬田院(寺院)
そして医薬系の施薬院・療病院を設置した。
その医薬系の施薬院・療病院の守護として創建された神社が、こちらの神社だ。となれば、
西暦600年頃ということになろう。
施薬院・療病院の守護神であるからこそ、医薬の神として知られる「少彦名命」を医薬祖神
として祀ったということである。674年。祭神が変更され、敏達天皇が祀られることとなる。
というのも、この五條宮の場所には、敏達天皇が皇太子時代に住んだ邸宅があったからだ
という。

四天王寺 東大門
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※四天王寺
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七
大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(ぐぜ
かんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこ
くのてら)ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の
区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の
寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派
にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院として
は最古のものである。

新宿ごちそうビルの地下、二人で昼食、造り定食を食べて今日のハイキングは解散。
私は2時半からの昼飲み会に備えて、此れから銭湯で汗を流して着替えて飲み会へ・・・

此処からは1人で、JR天王寺駅&阿倍野ハルカス
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キューズモール
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阿倍野ハルカス
地上300m、日本一の高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、近鉄大阪阿部野
橋駅、天王寺駅各線と直結。 日本最大級の百貨店や展望台、美術館、ホテルなど多彩
な店舗が出店しており、1日中お楽しみいただけます。 大阪随一の絶景とともに堪能でき
るランチやスイーツなど、絶品グルメも充実。
大阪観光なら日本一高いビル「あべのハルカス」へ!  ほんまでっせ!
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銭湯 あべの橋
湯処・あべの橋温泉
天然温泉・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき
・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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待ち合わせ場所の
天王寺ステーションビルへ向かう
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今日は、
14:30~ミオパレス4Fの居酒屋「甘太郎」で6名集まって昼飲み会・・・ 

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