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7月4日の京都大山崎町の歴史散策コース-2

明日8日~14日のスケジュールで故郷の奄美大島や加計呂麻島へ帰省、暫く
ブログ投稿をしません、皆様のブログ訪問も出来ませんが宜しくお願いします。

7月7日        7月4日の京都大山崎町の歴史散策コース-2
                 9月度歴史探訪の会 コース下見
此の日は、天気良く暑い暑い一日、9月18日の歴史探訪の会のコース下見に・M越さん・
K場さん・M吉三と4名で参加、コースの最後はサントリービール京都工場見学と試飲迄
楽しみ、此の日の私の万歩計は、14741歩で約8.8km歩いた、上り坂が多かった・・・
コース   JR山崎駅で現地 大山崎ふるさとガイドの会のT尾様他2名と合流  
山崎駅(合流)~離宮八幡宮~関大明神~山崎宗鑑碑経由~宝積寺・閻魔堂・本堂拝観
~大山崎山荘庭園~竹林のこみち経由~山崎聖天(昼食)~桜の広場~瓦窯跡経由~
大山崎町歴史資料館・打合せ~阪急大山崎駅⇒サントリービール京都工場見学・試飲へ
山崎駅(合流)
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妙喜庵(みょうきあん)・・・千利休作の日本最古の茶室 国宝「待庵」賀有る
妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院。山号は豊興山。
妙喜禅庵とも称する。江戸時代一時地蔵寺の塔頭であったが、現在は臨済宗東福
寺派に属する。室町時代の明応年間(1492年 - 1501年)の開創。開山は東福寺開
創聖一国師法嗣・春嶽士芳。国宝の茶室「待庵(たいあん)」があることで知られる。
2018年6月18日、大阪府北部地震により土壁に亀裂が入った。
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※「待庵(たいあん)」国宝。
日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室である。
大山崎町歴史博物館にレプリカ?が設けられており外廻りから見る事が出来る。

離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)
離宮八幡宮は京都府乙訓郡大山崎町にある神社。旧社格は府社。石清水八幡宮の
元社にあたる神社として知られる。
貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平
安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が
帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の
湧いたのを帰京後に天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により
「石清水八幡宮」が建立された。
その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮とした。
また、貞観年間に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻
(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。その後「大山
崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時
代まで栄えた。
しかし、幕末「禁門の変」時に長州藩屯所が山崎にあったため、攻撃を受けて多くの商
家とともに焼失。廃藩置県により社殿のすぐ西から大阪府に割譲し、さらに1871年(明
治4年)に境内北側を国策による鉄道事業にささげ、境内はさらに縮小した。
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油祖像
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河陽宮故址石碑&製油発祥地碑
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石清水八幡宮と銘が彫り込まれた灯籠
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離宮八幡宮を出て
関大明神社へ向う
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関大明神社(せきだいみょうじんしゃ)
関大明神社は、大阪府三島郡島本町にある神社。関戸明神(せきどみょうじん)、関戸
大明神とも称される。
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)、または
大智明神(だいちみょうじん)。
島本町から京都府乙訓郡大山崎町にかけての土地は天王山と淀川(桂川)に挟まれ、
古くは山崎橋も存在したことなどから交通の要衝として関所が設置されており、関大明
神社の名前の由来となっている。また、この神社自身が関所「山崎関」(山城の関)跡
地であるといわれ、関所または後に設けられた「関戸院」(関戸の院〈せきどのいん〉)
の鎮守社であったともいわれる。
創建は不詳で、水無瀬の里に置かれていたが洪水によってこの地へ移されたとも、京
都へ悪霊の侵入を防ぐためこの地に道祖神が建立されたのが起源ともされる。また、
伯耆国大山の大智明神の神輿を収めたことにより始まるという伝承もある。
この地は西国街道の宿場町で山崎宿として知られ、周辺には古い建物が散見される。
また、傍らには「従是東山城國」との石碑も存在する。古くはこの関大明神社の前に流
れる小川が摂津国と山城国の境であったといわれており、現在でもこの川にほぼ沿っ
た形で府境が引かれている。
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全国でも珍しいJR山崎駅
ホームの途中に京都府と大阪府の府境界が有る
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山崎宗鑑碑
JR山崎駅から天王山へ至る、踏み切りを渡りきると、ちょうど天王山登山口にこの霊泉
連歌講跡碑と山崎宗鑑句碑が立っています。
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山崎宗鑑
山崎宗鑑は、室町幕府9代将軍足利義尚に仕える武士でしたが、義尚の陣没(延徳元年、
1489年)後に出家して宗鑑と名乗り、この大山崎に隠棲しました。大山崎油神人の繁栄や、
惣中や待衆の支えによって連歌講の中心人物になり、宗鑑はこの付近にあったとされる冷
(霊)泉庵で連歌の会を開いたり、俳句の指導をしていたとされています。また書にも優れ、
宗鑑流として多くの人々に愛されました。晩年は『新撰犬筑波集』などを発表し、俳諧の創
始者として知られています。
宗鑑の自宅は大阪と京都の境目の関大明神の向かいにあったとされ、その場所の旧家
森村家には「宗鑑井戸跡」「宗鑑旧居跡」が残されています。
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宝積寺へ向かう登り坂と宝積寺への階段
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宝積寺(ほうしゃくじ)
通称・宝寺(たからでら)は、奈良時代の724年に聖武天皇の勅願を受けて行基が開創し
たと伝えられる歴史と由緒のあるお寺で、大阪府との府境に程近い大山崎町にあります。
そして、この大山崎町という場所自体が歴史的にもそしてパワースポット的にも非常に重
要な意味を担っているのです。
昔話の「一寸法師」に登場する「打出の小槌(うちでのこづち)」。振ると、大判小判や宝物
がザクザクと現れるというあの「打出の小槌」のモデルになったとされるものが、この宝寺
に実在しています。 
一寸法師(実際は普通の身長の男性)がここ宝寺で修行し、お寺にあった「打出」と「小槌」
のご利益で鬼を退治したことからお姫様と結婚し出世がかなったという話が、寺伝として実
際に伝わっているのです。
「打出の小槌」と一般に言われますが、実は「打出」と「小槌」は別々のもので、「打出」は実
り(福)の種を蒔くために土にさして穴を開けるためのもの、「小槌」は実り(福)を祈願して振
るためのものというのが本来であり、今でもお寺には古より伝わる「打出」と「小槌」が保存
されています。
この宝寺は聖武天皇の勅願で建てられたものですが、即位以前、夢の中に現れた龍神か
ら打出と小槌を授けられ、それに75日間祈ったところ無事天皇に即位することができたこと
から、この打出と小槌を奉納するためにお寺を建てることになったという話が言い伝えられ
ています。
聖武天皇の即位と秀吉の出世に(もしかしたら一寸法師の出世にも)宝寺が少なからず関
わっていたというのは興味深い話であり、金運のみならず、出世運にも多大なご利益がある
という噂もうなずけます。
仁王門
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宝積寺・閻魔堂・本堂拝観・豊臣秀吉 一夜の塔
美術工芸品では本堂内安置の十一面観音菩薩立像、仁王門の金剛力士像及び収蔵庫に
安置される閻魔王像と眷族像が重要文化財に指定されています。
その中でも特に日本一の閻魔王像と眷属像は見る者を圧倒する迫力があり必見です。
本堂左横にある小槌宮には大黒天が祀られ、聖武天皇が夢で竜神から授けられたという
打出と小槌で、参詣者に福徳を授けています。そのため宝寺という別名もあり、歴史上し
ばしば登場するお寺で大黒天宝寺として商売繁盛のお寺と知られています。一寸法師の
説話も宝積寺から生まれたのです。
また、本堂の脇には秀吉が腰掛けて天下統一について考えたと伝えられる出世石があり
ます。この出世石に腰掛けると出世するというお話もあります。許可をいただければ実際
に腰掛けることもできます。
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豊臣秀吉 一夜の塔
寺宝を多く有しており、建造物では桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝えられている
「一夜の塔」と呼ばれる三重搭が重要文化財に、本堂及び山門は京都府の登録文化
財に指定されています。
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※ネジバナ
ネジバナ(捩花)は6~9月に咲くラン科の花。原野や芝生地などに生息する多年草。
花 言葉は「旅立ち」。茎先に螺旋状にねじれた花序をつける。ねじれは左巻きも右巻
きも 両方ある。花の色は淡い紅色だが、色の濃いものから薄いものまで変化が多い。
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十七烈士之碑
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大山崎山荘庭園へ向かう
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大山崎山荘庭園
宝寺に隣接する広大な敷地には、ニッカウヰスキーの創業に参画した実業家、加賀正
太郎氏が建てた「大山崎山荘」があり、現在ではアサヒビールが管理する美術館として、
内部の貴重な調度品や庭園なども一般に公開されています。近くには、サントリーの山
崎蒸留所があったり、邸宅が見受けられたりと、自然に恵まれた環境であると共に豊か
な空気に包まれた一帯という印象を受けます。
宝寺のある地区が「銭原」というお金にまつわる縁起の良さを感じられる名前であるこ
ともそうですが、重要な歴史の舞台になり、また歴史を形づくってきた人々と縁の深い
場所ならではの特別なパワーがこの一帯に満ちているのでは?などと思えて来てしま
います。
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※加賀正太郎(かが しょうたろう)
加賀 正太郎(1888年1月17日 - 1954年8月8日)は、大正時代から昭和時代にかけて
活躍した日本の実業家。
1888年、大阪市東区今橋生まれ。12歳の時に父親が亡くなり、船場にあった江戸時代
から続く実家の繊維業・米穀仲買業・両替商「富商加賀商店」を継ぐ。
東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業後、加賀證券(のちに菱光証券に商号変更し三
菱UFJ証券に合併)を設立して社長を務めるなど多くの会社経営を行い、証券業、林業、
不動産業、ゴルフ場経営、洋蘭業などで成功した。
1934年の大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)創業にも参画。出資の70%を構成して同
社の筆頭株主だった。1954年死期を悟り、株式の散逸を防ぐためアサヒビールの山本
為三郎にニッカウヰスキー株を売却。

此処までは、
7月4日の京都大山崎町の歴史散策コース-1 として
   下記のセカンドブログ「気の向くままに・・・3」に投稿済みです。
https://nara-amami-shiba.blog.so-net.ne.jp/2019-07-07
此処では、続きの竹林のこみち~ についての詳細を掲載します。
竹林のこみち
アサヒビール大山崎山荘美術館と観音寺(山崎聖天)を結ぶこみちです。春には対岸の
背割り堤の桜並木を眺望できます。
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此処から又、坂道を登る
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山崎聖天(昼食)
天王山麓に位置し、「山崎の聖天さん」として京阪神の人々から厚い信仰を受けて
いるお寺です。
平安時代に宇多天皇(寛平法皇)の勅願で開山されました。その後江戸時代に木食
以空が中興開山し堂塔を整えました。
本堂横に聖天堂があり江戸時代には現世利益を求めた大阪の商人の厚い信仰を
受け大いに隆盛しました。
豪商住友家も帰依し立派な青銅製の灯篭を寄進しています。
幕末、元治元(1864)年に起こった禁門の変の余波で全焼し、明治時代になって伽藍
が復興しました。
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桜の広場(本番の昼食場所候補)
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大山崎瓦窯跡
平成16年(2004)12月の調査の結果で平安宮の所用瓦を焼成した平安時代前期の
瓦窯が6基、まとまって発掘されました。当時、平安京周辺各地の多数の瓦窯で大
量の瓦を生産し、平安宮・京の造営を支えたものと考えられ、大山崎瓦窯もその一
つとされます。
ここで製作された瓦は平安宮朝堂院をはじめ、嵯峨院、河陽離宮に供給されました。
2006年(平成18年)には、重要性が考慮され国の史跡に指定されています。
2008年には、7番目の窯が発見され、2009年には、更に8番目の窯が北約6mの崖
で瓦窯の燃焼室の焚口が見つかっています。
大山崎瓦窯跡の石碑が立っている真向かいに、天王山登山口と観音寺へ続く道が
あります。
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対岸の男山(石清水八幡宮)
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大山崎町歴史資料館・打合せ
大山崎。それは天王山が淀川へ最もせり出した場所を意味します。その自然の関門
ともいうべき地形から、日本の東と西を結ぶ交通の要衝として古代以来発展してきま
した。当歴史資料館の常設展では、これまで歩んできた歴史的特色を踏まえ、7つの
コーナーを設けて町の歩みを紹介しています。
まず、エントランスルームでは、年表、文化財地図パネル等で町の歴史概観ができま
す。そして竹林のプロムナードをぬけると、そこには大山崎の名水にちなむ井戸ビジョ
ンがあり、映像で各時代の特色ある文化・歴史を紹介し、次のコーナーへの興味を高
めます。
展示室は5つのコーナーに分かれ、古代コーナー、中世コーナー、山崎合戦と待庵・利
休のコーナー、近世コーナーという構成になっています。
各コーナーとも実物展示のほか、解説ビデオやイラスト、模型や複製などを用いて、楽
しみながら歴史学習ができるように心がけた展示となっています。
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サントリービール京都工場見学・試飲へ向かう
阪急大山崎駅⇒西山天王山駅
駅前の西山天王山交番
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サントリービール京都工場見学・試飲
1970年大阪万博のサントリー館の展示ホールのモニュメントを移設・・・
※サントリー館の吹き抜け展示ホールには、高さ 12mのステンレス製の巨大な
モニュメント「御酒口(みきぐち)」が展示された。「御酒口」は昔、祝い事の際、神
酒の飾りとして使用された竹製の装飾品で、そのシンプルな造形美をヒントにし
て制作されたもの。モニュメントは数種の照明に照らされ、静かな音楽が流れる
中で、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
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工場見学
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廊下の映像でプレミアムモルツが出来るまでを・・・
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更に工場内を
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試飲 三種類のビール美味しかった
下戸の私は、三種類目は飲めずリンゴジュースで締めた・・・
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帰りは
ほろ酔い気分でバスで駅へ送られ、梅田経由で帰りました。

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