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6月22日の奈良大和四寺巡礼岡寺(飛鳥駅~)-2

6月27日      6月22日の奈良大和四寺巡礼 岡寺(飛鳥駅~)-2
                  近鉄ハイキング 9㎞
此の日は、真夏日で最高気温31度越の予報に知人のK場さん・O村さん・I 田さん・
Y田さんと5名で参加、本当に坂道のアップダウンもきつく大分ショートカットして臨ん
だがそれでも此の日の私の万歩計は、19549歩で約11.7kmと暑い中を歩いた・・・
コース   近鉄ハイキング 飛鳥駅受付 9時半~10時  Kipsポイント受領
飛鳥駅(受付9:30~10:00)~飛鳥歴史公園~高松塚古墳~橘寺~石舞台古墳~
岡寺~川原寺跡~飛鳥駅(ゴール)  
コースを変えて、飛鳥歴史公園~天武・持統天皇陵~亀石~橘寺~石舞台古墳の
見える丘(昼食休憩)~岡寺~犬養万葉記念館(休憩・コーヒータイム)~川原寺跡
(弘福寺)~岡寺駅へ(ゴール)
志都美駅
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飛鳥駅(受付・スタート)~
国営飛鳥歴史公園
総面積約60haある飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、
国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園です。飛鳥歴史公園は以下
の5地区からなり、それぞれの特色を生かした公園づくりが行われています。一人で
も多くの方に飛鳥を訪れていただき、その豊かな自然と深い歴史を感じ取って欲しい
と願っております。
[飛鳥歴史公園の5地区] (5地区とも入園無料、24時間開園)
1.研修宿泊所「祝戸荘」がある祝戸地区(7.4ha)
2.蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳がある石舞台地区(4.5ha)
3.展望台から飛鳥の風景を一望できる甘樫丘地区(25.1ha)
4.高松塚古墳や、飛鳥歴史公園館、高松塚壁画館が設置された高松塚周辺地区
(9.1ha)
5.キトラ古墳壁画が発見されたキトラ古墳周辺地区(13.8ha)
飛鳥歴史公園館
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天武・持統天皇陵
天武天皇とその皇后で皇位を継承した持統天皇の合葬墳墓。 直径50m、高さ6.3
6m。 円墳とも八角墳ともとれるこの古墳の石室は八角形で、金銅製の蔵骨器が
のっている。天武天皇は古代律令国家体制の基礎を築き、持統天皇がその志を
継いだ。また、持統天皇は天皇として初めて火葬された人物としても知られる。鎌
倉時代に盗堀された時の記録が残されていたことから、被葬者が確実となった。
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天皇陵を振り返ると
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亀石
微笑んだような表情が愛らしい明日香を代表する謎の石造物のひとつ。巨大な花
崗岩に亀のような動物が彫られています。亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がっ
て死んでしまった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが現在の南西へと向き
を変えており、亀が当麻の方向である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈む
という怖い伝説も残されています。
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橘寺
厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とされ、太子建立の七ヶ寺の一つです。建物は何度
も焼失し、現在の伽藍は江戸時代以降のものですが、美しいタチバナ形の塔心礎
が当時を物語っています。謎の石造物のひとつ「二面石」があるのもこの橘寺です。
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石舞台古墳の見える丘(昼食休憩)
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※石舞台古墳
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を
誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼
ばれる。墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐる。石室の長さは19.
1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300t、古
墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。この巨大古墳
が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の
墓ではないかとの説が有力である。また、石室が露出しているのは、馬子の横暴な態
度に反発した後世の人が封土を取り除いたためともいわれている。周囲は芝生広場
になっており、春は桃やサクラ、秋は彼岸花が咲く。

岡寺へ向かう
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岡寺
岡寺は奈良県明日香村の東、岡山の中腹に位置しています。
『岡寺』という名は地名に因る名で正式には、 山号は東光山(とうこうさん) 院号は真
珠院(しんじゅいん) 法名は龍蓋寺(りゅうがいじ)となり『東光山 真珠院 龍蓋寺』と
なります。しかし古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめ
て呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれています。
真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。また日本最
初やくよけ霊場としても知られています。
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本堂前の境内には
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此処までは、
6月22日の奈良大和四寺巡礼岡寺(飛鳥駅~岡寺駅)-1 として
             下記セカンドブログへ詳細を投稿墨です。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-06-27
此処では、続きの本堂前の休憩所、メダカと花の水鉢~の詳細を掲載します。
メダカも涼しそう
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大師堂へ
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三重搭へ
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其処には絶景が
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山門へ下る
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山門を出ると治田神社へ
治田神社・・・当社案内板の「由来沿革」では次のように記されている。
「当社の創建は明らかではないが、延喜式巻十の延喜神名帳の式内社とされているの
で平安時代(十世紀)には社があったことがわかる。
さらに当境内地からは疑灰岩の基壇や礎石、瓦が出土することから、八世紀初頭の岡
寺(龍蓋寺)創建伽藍があったと推測されており、寺の鎮守神として、境内地に祀られて
いた可能性がある。この鎮守神を祀ったのが、後に治田神社になったとも考えられる。
元々は治田氏の祖神が奉祀されていた。文安年間(1444-1448)に一時大国主命の和
魂である大物主命を奉祀されたことが古書にある。さらに社名を八幡宮と称して応神天
皇を奉祀し今日に至っている。」 
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明治になつて祭神はそのままで、社名のみ治田神社に改められた。
境内は岡寺の旧地と推定され、昭和57年の発掘調査では基壇建物の北端を画したと思
われる疑灰岩の切石が4.5mほど並び、その東端に階段があったらしいことがわかって
いる。岡寺の代表的瓦である五葉複弁蓮華文軒丸瓦や、葡萄唐草文軒平瓦片等も出土
している。

鳥居はずーっと下の方に離れて
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犬養万葉記念館(休憩・コーヒータイム)
万葉記念館の道路側に明治時代の郵便ポスト?
明治4年に使用されていたのと同形の書状集箱(郵便ポストとして使用している)
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南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館
日本最古の歌集『万葉集』の研究者で、文化功労者、明日香村名誉村民だった犬養孝
の業績を顕彰する記念館。館内では、万葉集ゆかりの地を解説したDVDを上映すると
ともに、犬養孝と明日香村との関わり、自身が提唱した「万葉風土学」にもとづいて、万
葉故地を歌とともに紹介する企画展などを実施しています。
主な資料として、万葉集に関する図書を所蔵するほか、犬養の筆による万葉歌墨書や、
全国の万葉故地を紹介した『万葉の旅』の直筆原稿などを展示。万葉歌碑拓本や万葉
風土写真なども紹介しています。

川原寺跡・弘福寺
飛鳥寺、薬師寺、大官大寺とともに飛鳥四大寺に数えられ、斉明天皇の冥福を祈り息子
の天智天皇が建立したとも言われていますが、未だ創建については謎が多く残されてい
るお寺です。創建時の姿は飛鳥資料館の模型で見ることができます。
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パワーストン?
当時の瑪瑙(現在の大理石)の礎石28個が保存され、弘福寺の境内でも数個を見る事が
出来る。残りは本堂の下に隠れている。
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岡寺駅へ向かう
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岡寺駅でいつも思う事
丸山古墳に行ってみたい?未だ一度も行っていない・・・
※丸山古墳・・・近鉄岡寺駅から徒歩約4分
全長約320m、その大きさは全国6番目、県下最大規模の前方後円墳です。古く
から円墳と思われていて、丸山と名づけられていましたが、50年程前に前方後円
墳であると判明しました。被葬者は、欽明(きんめい)天皇説や蘇我稲目(そがの
いなめ)説がありますが、特定されていません。

推古女帝の父である欽明天皇と、母である堅塩媛の陵墓といわれています。
橿原市にある丸山古墳と、明日香村にある欽明天皇陵は、どちらにも欽明天皇と
堅塩媛の陵墓だという説があります。推古女帝が母を追葬した日に、軽(橿原市
大軽)の路上で儀式を行ったと『日本書紀』にありますが、陵墓の場所については
記されていません。どちらが本当の陵墓なのか。真実は二つの古墳の奥深くに
眠ったままです。

岡寺駅→橿原神宮前駅→大和八木駅→五位堂駅

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