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6月18日の歩こう会 大仏鉄道遺構巡り-2

6月25日        6月18日の歩こう会 大仏鉄道遺構巡り-2
                 オープン参加企画  歩程約10km
5月の歩こう会が雨で中止となった為、久し振りに会員との出会いは4月23日の福知
山線廃線跡散策いらいの約2ケ月ぶり、此の日の参加者数は65名と少な目だった・・
コース  加茂駅東公園動輪モニュメント前集合  参加者少ないのは長距離の?
加茂駅(10時15分)東公園動輪モニュメント~C57SL~観音寺橋台~梶ヶ谷隧道~
赤橋~城見台公園(昼食休憩)~井関川橋梁跡~松谷川隧道~鹿川隧道~黒髪山
トンネル跡~大仏鉄道記念公園(ゴール)~佐保川橋桁跡~近鉄奈良駅(改札スタ
ンプ貰う)~JR奈良駅 
※大仏鉄道遺構
大仏鉄道とは、現在の関西本線の前身で明治の5大私鉄の一つとうたわれた「関西
鉄道(かんせいてつどう)(株)」が名古屋方面から大阪への進出を目指し、「加茂駅」
から現在の奈良駅北1.1kmの所に仮設的に作った「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌
年に開通した奈良駅までの通称です。
「大仏駅」の開業は明治31年(1898)4月19日、「加茂駅~大仏駅」が開通し“赤いイギ
リス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった”と
当時の新聞が報道してます。客車は「小さな部屋が十個ほどつながっているような感
じで、一室に五人くらい。座席は板で隣の部屋には降りなければ移れない」加茂の人
たちは汽車を「マッチ箱」と呼んでいたそうです。
この脚光を浴びた花形路線も急坂の黒髪山トンネル(勾配が25‰(パーミナル))越え
の難関では、イギリス製(ナスミス・ウィルソン社)の新鋭機関車においても走行は困
難を極め、「汽車の速度は遅く、機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だ
と途中でとまってしまう。黒髪山の丘陵が登れなかったときは、客が降りて押したり、
法蓮村(奈良市)の人たちが押しに行った」と伝えられています。また石炭の消費量も
多かったそうです。
新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年鉄道の国
有化法により僅か9年間で廃止となりました。
現在、線路跡は残っていませんが、橋脚や隧道などが元路線沿いに100年前そのま
まの姿で残っており、周囲の里山風景に溶け込み、鉄道ファンのみならずハイカーに
も人気のハイキングコースとなっています。
加茂駅東公園動輪モニュメント前集合
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C57SL展示場へ向かう
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C57SL
「貴婦人」の名で親しまれた昭和12年製の機関車。関西本線を走っていました。昭和
32年には、当時の皇太子殿下のお召し列車をけん引しました。
国鉄C57形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の旅客用テンダー式蒸気機関車で
ある。マスコミなどでは「貴婦人(きふじん)」の愛称で紹介されることも多い。鉄道ファ
ン等からは「シゴナナ」と呼ばれている。
1937年(昭和12年)、C55形の63号機として製造が始められた機関車であるが、改良
箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機
関車として誕生をしている。
1947年(昭和22年)までの間に201両が量産された。本形式への信頼も高く、C51形に
始まるライトパシフィック機の決定版となった。
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観音寺橋台
現在も利用されている関西本線の橋台と並んで位置しています。どちらの橋台もほぼ
同時期に造られたものですが、百年以上が経過した今も現役の関西本線と、わずか
6年という短い期間で廃止された大仏鉄道とのコントラストが、大仏鉄道の郷愁を誘う
スポットとなっています。
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鹿背山橋台
石積みの力強さ、形の素晴らしさが一目でわかります。レールを敷けば、すぐに列車
が走れるようです。
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鹿背山橋台~梶ヶ谷隧道
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梶ヶ谷隧道
笠石や帯石と言った装飾がなく、他の遺構に比べてシンプルなデザインの隧道です。
坑門正面はイギリス積み、アーチを形成する部分は長手積みのレンガ造り、下部は花
崗岩の切り石積みです。保存状態が良いため、深紅の機関車がこの隧道の上を走っ
ていた往時と同じように、今も隧道内を行き来することができます。
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赤橋へ向かう
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赤橋
赤橋は、イギリス積みのレンガ造りの橋台で、最上部に笠石、上部に帯石を花崗岩の
切り石で装飾しています。隅石も花崗岩で作られており、切り石の長辺と短辺を交互に
組む算木積みにより橋の強度を堅固にしています。現在、橋台は生活道路を支えてお
り、今も現役で活躍しています。
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城山台公園へ向かう
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城山台公園(昼食休憩)
此処までは、
6月18日の歩こう会 大仏鉄道遺構巡り-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
   https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-06-25
此処では、此の続きの城山台公園での昼食後の午後からについて掲載します。
井関川橋梁跡
現在は道となっていますが、かつて、この場所には大仏鉄道の線路がありました。大
仏線には、線路の高低差を和らげるため、土盛りによる築堤が設けられ、井関川が
流れるこの付近には、川を渡るための橋梁があったものと考えられます。今は、南北
に走る道が当時の軌道の面影を残します。

松谷川隧道へ向かう
大仏鉄道、当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」のモニュメント
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松谷川隧道へ降りる
松谷川隧道
迫石は花崗岩で造られ、石の長辺と短辺を交互に組み合わせた算木積み、レンガの
積み方はイギリス積みです。黒っぽく見えるレンガは、赤レンガよりも高温で焼き上げ
る「焼き過ぎレンガ」で、赤レンガと「焼き過ぎレンガ」とが交互に配置されているのが、
この隧道の特徴です。
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タツタタワーへ向かう
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タツタタワー 木津川市(木津南配水池)
水道施設のネーミングライツ(命名権の売却)としては、全国初の試みとなる『タツタタ
ワー 木津川市(木津南配水池)』。平成27年1月1日から3年間、タツタ電線(株)をスポ
ンサー企業とした新名称《愛称》をスタートしました。また、1月15日には、新銘板の除
幕式及びパートナーシップ協定に調印を行いました。(平成30年1月に3年間延長され
ました)
新銘板は、市の活性化を目指した「地域応援銘板」という役割も併せ持つもの(京都造
形芸術大学の学生によるデザイン)で、敷地周辺にその昔「大仏鉄道」が走っていたと
いう歴史を表現したものです。
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鹿川隧道へ向かう
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鹿川隧道
奈良市内で唯一、当時の姿を今に伝える遺構。農業用水路のために造られた細いトン
ネルです。現在も水路として利用されています。トンネルの上が大仏鉄道の軌道跡で、
現在は市道44号線となっています。※鹿川隧道への見学用の道は設置されておりま
せん。
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降りて来た道を戻る
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黒髪山トンネル跡へ向かう
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黒髪山トンネル跡
黒髪山トンネルは、長さ約86m、幅約5m、高さ約6mで、レンガ製の関西鉄道の社章
が、加茂側の入口には1個、奈良側の入口には2個掲げられていました。この周辺が線
路で最も標高の高い急坂の難所であり、木津駅経由の平坦なルートが開通すると廃線
になりました。
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大仏鉄道記念公園
大仏駅の跡地に、奈良市と地元自治会の協力で、平成4年に造られた公園です。
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※佐保川橋桁跡
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に残る、レンガ製橋脚の基底部です。
今は、川に土砂がたまって見る事は出来ません。
佐保川橋桁跡~近鉄奈良駅(スタンプ貰う)~
JR奈良駅
旧JR奈良駅舎
現在、奈良市総合観光案内所として開所しているJR奈良駅旧駅舎は、国鉄奈良駅の
2代目駅舎として昭和9年に竣工し、JR奈良駅舎として平成15年まで利用されていま
した。駅舎は奈良の諸寺院の特色ある屋根を参考とした寺院風の鉄骨鉄筋コンクリー
ト造の和洋折衷建築物で、近代化産業遺産にも登録されています。
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