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3月16日の酒蔵みてある記上田酒造「嬉長」ー2

3月19日          3月16日の酒蔵みてある記上田酒造「嬉長」ー2
                   近鉄駅フリーハイキング 歩程約10km
此の日は、知人の・K場さん・Y田さん・O村さん・I 田さん・M吉さん達と6名で酒蔵みて
ある記に参加よていしてたが、早朝の雨でY田さんが不参加、結果はハイキング受付か
ら天気予報通り雨は完全にやみ、素晴らしいハイキング日和、晴れ間を歩きました。
此の日の私の万歩計は、16663歩で約9.9km歩いたことに・・・
コース   東生駒駅受付(9:30~10:30) 10時40分集合 
東生駒駅受付(10:40)~往馬大社~竹林寺・行基墓・忍性墓~※歓喜の湯(足湯)をパ
スして~行基菩薩の関連で円福寺~往生院~上田酒造・試飲・甘酒・抽選会~一分駅
雨の中、傘を差してバス停~王寺駅へ
王寺駅で近鉄生駒線出生駒駅経由東生駒駅へ
東生駒駅(受付)
雪の生駒山が見えるがハイキングスタート時にはすっかり溶けて
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往馬大社へ向かう
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竜田川
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往馬大社(いこまたいしゃ)
生駒山をご神体とした古社です。広さ3ヘクタールにおよぶ鎮守の森は、奈良県の天然
記念物として指定されているほか、伝統行事の火祭りは県の無形民俗文化財として指
定されています。奈良県生駒市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。生駒神
社(いこまじんじゃ)と通称される。
生駒山の神である伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神、および氣長足比賣命(神功皇后)
・足仲津比古命(仲哀天皇)・譽田別命(応神天皇)・ 葛城高額姫命(神功皇后の母)・息
長宿禰王(神功皇后の父)を祀る。伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神は古代より火を司
る神として信仰されている。大嘗祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々
当社が献上することとなっており、今上天皇の大嘗祭においても当社の火燧木が使用さ
れた。『北山抄』『元要記』『亀相記』などには当社の神が「火燧木神(ひきりぎのかみ)」と
書かれている。10月第2日曜日(元は10月10日)の例祭は「火神祭」と呼ばれ、龍田大社
の風神祭、廣瀬大社の水神祭とともに古来より朝廷の崇敬を受けてきた。
創建の年代は不詳であるが、古代、当地に住みついた人々が生駒山を神体山として祀っ
たのを起源とするものとみられる。文献での最も古い記述は、『総国風土記』の雄略天皇
3年(458年)条に「伊古麻都比古神社」とあるものである。延喜式神名帳では大和国平群
郡「往馬坐伊古麻都比古神社二座」と記載され、大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると
記されている。
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社務所前
すっかり晴れて青空に
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竹林寺古墳
生駒市有里町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。竜田川上流域(生駒谷)
における唯一の前方後円墳で、周辺には他に主だった古墳も存在していないことから、
この地域の首長墓であったと目される。行基や忍性の墓所で知られる文殊山竹林寺境
内にある小規模な前方後円墳である。築造年代は出土した円筒埴輪の特徴から、古墳
時代前期後半の4世紀中頃と比定される。前方部先端と後円部の一部が失われ、後円
部は墳頂に通じる小道が通り、掘削(くっさく)による損傷が生じている。その他の部分は
雑木林に覆われ、開墾による削平(さくへい)を受けておらず、原型を比較的よく留める。
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竹林寺・行基墓・忍性墓
竹林寺
生駒市有里町にある律宗の寺院。奈良時代の僧・行基の墓があることで知られる。山号
は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。竹林寺は生駒山の東麓の山中に位置する。奈良時
代に架橋、治水などの社会事業に奔走し、東大寺大仏の造立にも力のあった僧・行基の
墓所がある寺である。行基が壮年期に営んだ小庵が後に寺院とされたものと思われる。
行基は文殊菩薩の化身と信じられており、寺号は文殊菩薩の聖地である中国の五台山
大聖竹林寺にちなむ。明治時代以降は廃寺同然となり、本山の唐招提寺が管理していた
が、20世紀末から境内の整備が進められている。
竹林寺は、奈良時代の僧・行基(668年~749年)の基礎を築いたと伝えられています。
行基は 749年に奈良市菅原寺(すがはらでら)において82歳で生涯を終え生駒山で火
葬され竹林寺に埋葬されています。本堂に向かって右手に行基の墓が、左手の墓地
に忍性(にんしょう)の墓(五輪塔)が建っています。忍性は文殊菩薩と行基を強く尊敬
しており行基と同じように自らも慈善事業に努めました。遺言により遺骨は竹林寺・極
楽寺(鎌倉市)・額安寺(大和郡山市)に分骨されています。
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行基菩薩墓
河内国大鳥郡に生まれる。682年に15歳で出家し、飛鳥寺(官大寺)で法相崇などの
教学を学び、集団を形成して畿内を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活
動した。704年に生家を家原寺としてそこに居住した。その師とされる道昭は、入唐し
て玄奘の教えを受けたことで有名である。行基は奈良時代、貴族の為のものとなって
いた仏教を民衆に広め、橋や溜池を作るなど民衆の為に社会事業を行ったとされてい
る。その行基がこの近くに一時期居を構え、母親の最期をみとったそうだ。その後、聖
武天皇より大仏建立の為に招聘( しょうへい)されるが、82歳で人生を終えると母親の
近くに眠りたいと、この地に埋葬されたという。行基(ぎょうき/ぎょうぎ)668年~749年
は、奈良時代の日本の僧。僧侶を国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への
仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず
広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。また、道場や寺院を多く建立しただけで
なく、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、困窮者のための布施屋9所等の設立など数々の
社会事業を各地で成し遂げた。朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な
支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正
の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏造立の実質上の責任者と
して招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。
東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」
と呼んで いる。
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忍性菩薩墓
良観房忍性は、建保5年(1216)に大和国城下郡屏風里(現在の奈良県磯城郡三宅
町)で生まれた。早くに亡くした母の願いを受けて僧侶となり、西大寺の叡尊を師として、
真言密教や戒律受持の教えを授かり、貧者や病人の救済にも身命を惜しまぬ努力をし
ました。特にハンセン病患者を毎日背負って町に通った忍性の人柄がうかがえます。
後半生は活動の拠点を鎌倉に移し、より大規模に戒律復興や社会事業を展開します。
忍性は行基の大ファン?16歳の忍性は額安寺(奈良県大和郡山市)に入った。忍性は
19歳から6年間毎月竹林寺に参詣したという。参詣を始めた年に竹林寺で行基の舎利
が発見された。行基は奈良時代の僧で、貧民救済や土木事業などの社会事業を行い、
大仏建立にも尽力したことが知られ、平安時代以降に文殊菩薩の化身とされた。忍性
が竹林寺へ6年間参詣し、その生涯を文殊信仰に基づく救済に捧げたのは、行基を範
とするとするところが大きいと云われる。忍性は、鎌倉・極楽寺で87歳で臨終を迎えた。
遺言により遺骨は三分され、額安寺、竹林寺、極楽寺に埋葬された。人々の救済に努
めた忍性に、後醍醐天皇は「菩薩」号を追贈した。
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※ 歓喜の湯(足湯)をパスして行基菩薩関連で円福寺と往生院へ
歓喜の湯(足湯)
小瀬保健福祉ゾーンの中にある無料の足湯、歓喜の湯
いつも多くの人で賑わっており、なかなか足をつける隙間が空いていることが少ない。
夏の暑い日か、天気の悪い日には空いてる?このひは丁度良く空いてた・・・
泉質も正真正銘の温泉で、美人の湯と言われるアルカリ性温泉。
この施設内には、温泉自動販売機という珍しい施設もあり、100リットル100円で
温泉を持ち帰って、家の湯船に入れて楽しめるという仕組み。

円福寺・・・真言律宗(しんごんりつしゅう)
本尊は阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
奈良時代に僧行基ぎょうきが開創したと伝えられていますが、詳細は不明です。安永3
年(1774)に書かれた『十一ヶ村村鑑むらかがみ』には、「真言宗 上醍醐報恩院(かみ
だいごほうおんいん)末寺」と記載されており、もとは真言寺院であったと思われます。
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円福寺本堂・・・重要文化財
桁行3間・梁間3間 一重 入母屋造 向拝1間 背面下屋附属 本瓦葺 室町時代 
応安4年(1371)造立 来迎壁額縁裏面墨書銘「応安二二(四)年ウルウ三月廿五日
春カウ五郎」
方3間の規模に周囲に縁を廻らし正面全てを蔀戸とします。来迎柱を立て十二天図
を描いた来迎壁に須弥壇を設け、中央小組格天井を組み上げる和様建築です。
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宝篋印塔 2基(重要文化財)・・・生駒市デジタルミュージアムより
総高(残存値)240.0cm 石造 鎌倉時代 塔身に四方仏を彫り込み、笠石下部と基礎上
部に蓮弁れんべんを刻みます。
総高(残存値)244.0cm 石造 鎌倉時代 永仁元年(1293)造立 塔身に金剛界こんごう
かい四仏(阿しゅく如来にょらい・宝生ほうしょう如来・阿弥陀あみだ如来・不空成就ふく
うじょうじゅ如来)の梵ぼん字を刻んでいます。
銘「右志者 為自他滅罪生善往生浄利 七世四恩法界庶衆平等利益 造立如件永仁
元年壬辰十二 月十六日元祖□於 [(不読)沙弥 [(不読)尼浄阿弥陀佛 近真□」
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往生院(おうじょういん)・・・華厳宗けごんしゅう
輿山こしやま古墓群の中にあり、奈良時代の僧行基ぎょうきが天平21年(749)に没した
とき火葬された生駒山の東陵にあたると伝えられています。本尊は行基菩薩坐像で、
境内には宝篋印塔(重要文化財)などが残っています。
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往生院・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・・・生駒市デジタルミュージアムより
重要文化財
総高(残存値)206.5cm 石造 相輪上部欠損 鎌倉時代 正元元年(1259)造立
塔身に金剛界こんごうかい四仏(阿しゅく如来にょらい・宝生ほうしょう如来・阿弥陀あ
みだ如来・不空成就ふくうじょうじゅ如来)の梵ぼん字を刻んでいます。
銘「(東面)南無當□ 導師 弥勒佛 釈迦入滅(南面)一千八百 六十七年 正元々年
十月日 勧進[(不読)」
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此処までは、
3月16日の酒蔵みてある記上田酒造「嬉長」ー1 として 
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-03-19
此処では、続きの上田酒造へ向かう~ についての詳細を掲載します。
公園出昼食を終えて上田酒造へ向かう
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上田酒造・試飲・甘酒・抽選会
上田酒造
清酒:生長 (セイチョウ)と嬉長(キチョウ)の上田酒造
創業以来400有余年。「酒に心あり」を胸に酒造りに対する杜氏達の技によって、生駒
の名水と良質の米が見事に調和し、芳醇な香りと、上品な味わいを持ったお酒が生ま
れます。 生駒の長ならんとの思いから付けられた「生長」と、嬉しい事が長く続くように
と名付けられた「嬉長」の2銘柄です。 新しいことにも挑戦し、近年では完全無農薬有
機米を使用した「嬉長」有機純米酒を発売しました。
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もう一度
甘酒を・・・
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上田酒造を後に
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生駒線一分駅ホームで
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王寺駅前・バス停前
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