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5月6日の大和郡山市・城下町ぶらっと散策-2

5月23日         5月6日の大和郡山市・城下町ぶらっと散策-2
                  JRふれあいハイキング(予約)
5月6日の大和郡山市観光ボランティアガイド協会主催のJRふれあいハイキングに
事前予約申込みをして参加した、参加者19名、10名と9名の2班に分かれぶらっと?
コース JRふれあいハイキング 大和郡山市観光ボランティアガイド協会主催
JR郡山駅(受付・スタート)~日本紡績工場跡~外堀緑地公園・北門(冠木門:かぶき
もん)~四阿(あずまや)~高麗門(こうらいもんl)~町屋物語館(旧川本邸:遊郭)~
源九郎稲荷神社~郡山市観光案内所~春岳院~郡山城・鉄御門(くろがねもん)址~
大手門(根来寺の山門を移築)~奈良公園の図書館を移築~堀の向うに天守閣跡を
~野点茶室~柳沢文庫~柳沢神社~天守閣跡・さかさ地蔵~三の丸緑地~柳御門跡
~百寿橋~菊屋(創業400余年)~金魚葉椿~紺屋川~こちくや(金魚すくい道場)~
薬園(やくおん)八幡神社~JR郡山駅(解散)
「秀長の城下町 大和郡山市散策」歩程約5kmをボランティアガイドの案内で散策・・
此の日の私の万歩計は、14309歩で約10.5km歩いたことに・・・
JR郡山駅(受付・スタート)
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大日本紡績工場跡
現在のユニチカの前身である大日本紡績の 大和郡山工場の跡地 は、JR郡山駅前
の公団住宅になっている。
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※現在のユニチカの前身である大日本紡績の高田工場が大和高田市にありましたが、
1977(昭和52)年に閉鎖されました。

外堀緑地公園・北門(冠木門:かぶきもん)
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四阿(あずまや)
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高麗門(こうらいもん)
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町屋物語館(旧川本邸:遊郭)
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源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)
奈良県大和郡山市に鎮座する、源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で有名な神社
である。童謡『やまとの源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では「源九郎さ
ん」の呼び名で親しまれている。小さな稲荷であるが、日本三大稲荷の一つに数えら
れ、北向きの本殿に『白狐源九郎』が祀られている。五穀豊穣・商売繁盛の御利益が
あり、4月の第一日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く『源九郎稲荷春季大
祭』が行なわれる。
源義経が兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九
郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている。
翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を
祀ってくれたら城の守護神になろうと告げたので、宝譽は豊臣秀長にこのことを告げ、
城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。
享保4年(1719年)、現在地に遷座。大正14年(1925年)、現社殿が完成している。
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※数々の伝説
忠臣狐伝説
義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御
前を守り通した。義経はその白狐の忠義に感服した。狐の意中の物は、親の皮で出
来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗
ることを許した。
妖刀子狐丸伝説
菅田明神の境内に住む小狐が、近くの淵で村人を苦しめている大蛇を源九郎狐の
加勢を得て退治した。大蛇の尾から宝剣が見つかり、村人はこの宝剣を「小狐丸」
と名づけ、天理の石上神宮へ奉納した。
元和の鎮火伝説
元和元年(1615年)、豊臣方大野治房による郡山城攻撃が行われた際城下も焼け、
その中心へと火が迫ってきたのを見た洞泉寺住職天誉和尚が、源九郎狐に祈願を
したところ、突然大雨が降り大火を免れた。
綿帽子を買った狐伝説
大和郡山の柳三丁目に帽子屋があり、ある冬の夜婦人が綿帽子を三つ買いに来た。
代金を源九郎神社へ取りに来て欲しいと言われたが、神社では誰も心当たりがないと
いう。主人が不審に思っていると、境内から綿帽子をかぶった三匹の小狐が現れた。
大和郡山市観光案内所~春岳院
春岳院
元は東光寺と号しましたが、秀長の菩提所となった後、その戒名からとって春岳院と
改めました。本堂は正徳元年(1711)の再建と伝わり、狩野貞信筆の秀長画像、箱
本制度で使われた御朱印箱をはじめ、秀長時代の郡山を知る資料を数多く伝えま
す。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音があり、また、境内の七重石塔は聖武
天皇造立との伝承もあります。
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踏切を渡って
郡山城・鉄御門(くろがねもん)址
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大手門へ向かう
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大手門(根来寺の山門を移築)
修理に使用した樹齢1400年の台湾檜
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奈良公園の図書館を移築
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堀の向うに天守閣跡を
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此処までは、
5月6日の大和郡山市・城下町ぶらっと散策-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-05-23
此処では、続きの野点茶室~の詳細を・・・
野点茶室、柳澤家家紋
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柳澤文庫
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柳澤神社へ向かう
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柳澤神社
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天守閣跡・さかさ地蔵
石材不足を補うため、天守台の石垣には寺院の石碑や墓石、平城京羅城門の礎石
までが用いられた。なかでも有名なのが「さかさ地蔵」。石垣の隙間からのぞくと、高
さ90cmほどの石地蔵が逆さに埋まっているのが見える。
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さかさ地蔵
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三の丸緑地
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柳御門跡~百寿橋
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菊屋(創業400余年)
天正13年(1585)創業の本家菊屋。豊臣秀長より秀吉をもてなす御茶会のための
珍菓を作るよう命じられた店祖・菊屋治兵衛が、粒餡を餅で包んできな粉をまぶし
たお菓子を献上。秀吉はこれをたいそう気にいり、「鶯餅」と命名しました。その菓
子は時代を経て、お城の入口で売っている餅ということから「御城之口餅(おしろの
くちもち)」の名になり、現代も愛されています。
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天井に型菓子の木型が・・・
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金魚葉椿
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商店街
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紺屋川~こちくや(金魚すくい道場)
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薬園八幡神社(やくおんはちまんじんじゃ)
八幡大神、比咩神をお祀りしている。当社の創建は奈良朝孝謙天皇、天平勝宝元年
にして今より1230年前(昭和62年まで)勅命を以って従四位上石川朝臣年、従五位
上藤原魚名等が豊前国宇佐神宮より平城の宮南梨子原(内侍原を云う往昔近衛府の
領地にして今の郡山城内一円なり。)の清地に神殿を造営してここに迎え祀りしを同2
年9月清澄庄藥園(今のお旅所なり)の地に遷座あり後再び移しかへて延徳3年以来
南藥園なる現社地に鎮祀せられたるなり。蓋藥園八幡神社は聖武天皇の勅定にして
常に朝廷の御崇敬厚く勅額神階神領を給ひ、或は奉幣に預り或は社殿の造修を受け
つつ在りしが星霜を経て幕府の政権に入り遂に絶へ僅かに藩主等の尊敬を受け天井、
本庄、塩庄の総社として存ししを明治維新とともに当町産土神社として鎭り給ふもの。
(御霊験と藥園)聖武天皇天平年間に悪疫流行し諸民多く臥して辛苦を嘗めしかば天
皇深く御燐悠ましまし諸国の神祗に幣を奉じて為民祈祷(きとう)なさしめ給ふ時に宇佐
八幡大神の御帳記によりて宮南なる塩の庄の野山に生ずる薬草を湯薬として疫民に給
ふれば服する者は悉く救療せられ全く安寧(あんねい)を得るに至りぬ。是より奈良朝の
施藥院は起り典藥寮の藥園ここに始まるなり。この地は勝宝元年11月25日大嘗会を
行ひ又翌2年春正月朔群臣に饗癒を給ひし所なるべし。
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JR郡山駅(解散)

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