4月26日の大和川河川敷&堤防散策他-2
5月2日 4月26日の大和川河川敷&堤防散策他-2
急遽代替えハイキング
此の日4月26日は東岸和田駅~ブナ愛樹クラブに参加させて貰う予定だったが
JR大和路線の踏切トラブルによるダイヤの乱れで、東岸和田駅(8時54分着)に
真に合わず、2名参加予定してたがM吉さん1名参加して貰い、私は断念・・・
急遽近鉄ハイキングに切り替えて、王寺駅へ戻り、近鉄生駒線の信貴山下駅へ、
信貴山下駅で改札スタンプを貰い三郷町&王寺町の大和川河川敷&堤防や近
くの久度神社や多聞地蔵迄足をのばして昼過ぎ以家へ帰り昼食を済ませた・・・
此の日の私の万歩計は、11500歩で約8.5㎞歩いたことに・・・
信貴山下駅で
あみま倶楽部手帳にスタンプを貰ってスタート
三郷町役場前を通り
大和川堤防へ出る
振り返ると右手に信貴山、
左手に大和川下流と明神山が・・・
大和川の堤防を上流へ向かって歩く
草藤(くさふじ)・・・マメ科ソラマメ属の多年草
日本の各地をはじめ、北半球の温帯地域に広く分布しています。日当たりのよい
山地に生え、蔓状です。名前は、そのかたちが藤の花に似ているところから。葉
は「からすのえんどう(烏野豌豆)」に似た羽状複葉で、先端は巻き髭になっていま
す。よく似た「つるふじばかま」は小葉が少なくて幅が広く、赤みが強い花色です。
5月から9月ごろ、上向きに総状花序をだし、紫色の花を咲かせます。
クローバーや草藤
大和川の上流へ向かって歩く
途中で河川敷に下りて歩く
振り返って
わかくさ橋(人専用橋)の手前で堤防へ上がり
わかくさ橋を王寺町へ渡る
此の続きは、
4月26日の大和川河川敷&堤防散策他-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、わかくさ橋を王寺町へ渡った大和川の堤防を歩く~
大和川の堤防を下流へ向かって歩く
白花の草藤?
大和川の堤防を下流へ向かって
久度神社の近く迄堤防を歩く
堤防道を降りて久度神社へ
久度神社・・・王寺町HPより
久度の氏神で、誉田別命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀っています。『続
日本紀』の延暦2年(783)12月の記事に「大和国平群郡久度神」と見えることか
ら、すでにこのころからあった神社であることがわかります。久度神は、「久度」と
いう言葉が竈を意味するクドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさ
いに現京都市北区の平野神社に遷されたと考えられています。境内には南北朝
時代の暦応元年(1338)12月に奉納された石灯籠があり、文明8年(1476)8月の
箱書をもつ春日曼荼羅が奈良国立博物館に寄託されています。
久度神社~出て堤防へもどる
近鉄生駒線の鉄橋の踏切を渡り堤防を下流の多聞橋へ
多聞橋を渡り、三郷町の多聞地蔵へ向かう
多聞橋
多聞橋は、はじめ木製の 橋でした。度重なる川. の氾濫で流され石製になり、
コンクリート製、そ. して今の鋼鉄製 の橋へと変遷しました。地蔵堂の. 前に
細長い石が置かれていますが、これは石橋の. 石材の一部で多聞橋の歴史
を物語る貴重な資料と. なっています。
多聞地蔵
多聞橋の近くの小さなお堂の中にお地蔵さんがおられます。 前掛けには大き
すぎるくらいの豪華な布をかけられお顔だけをのぞかせて立っておられました。
ここから 信貴山に参拝に向かう際の道中安全を祈願して建てられたそうです。
多聞橋を王寺町側へ戻り、王寺駅へ向かう
堤防をおりて王寺駅へ向かう
草藤真っ盛り
王寺駅
急遽代替えハイキング
此の日4月26日は東岸和田駅~ブナ愛樹クラブに参加させて貰う予定だったが
JR大和路線の踏切トラブルによるダイヤの乱れで、東岸和田駅(8時54分着)に
真に合わず、2名参加予定してたがM吉さん1名参加して貰い、私は断念・・・
急遽近鉄ハイキングに切り替えて、王寺駅へ戻り、近鉄生駒線の信貴山下駅へ、
信貴山下駅で改札スタンプを貰い三郷町&王寺町の大和川河川敷&堤防や近
くの久度神社や多聞地蔵迄足をのばして昼過ぎ以家へ帰り昼食を済ませた・・・
此の日の私の万歩計は、11500歩で約8.5㎞歩いたことに・・・
信貴山下駅で
あみま倶楽部手帳にスタンプを貰ってスタート
三郷町役場前を通り
大和川堤防へ出る
振り返ると右手に信貴山、
左手に大和川下流と明神山が・・・
大和川の堤防を上流へ向かって歩く
草藤(くさふじ)・・・マメ科ソラマメ属の多年草
日本の各地をはじめ、北半球の温帯地域に広く分布しています。日当たりのよい
山地に生え、蔓状です。名前は、そのかたちが藤の花に似ているところから。葉
は「からすのえんどう(烏野豌豆)」に似た羽状複葉で、先端は巻き髭になっていま
す。よく似た「つるふじばかま」は小葉が少なくて幅が広く、赤みが強い花色です。
5月から9月ごろ、上向きに総状花序をだし、紫色の花を咲かせます。
クローバーや草藤
大和川の上流へ向かって歩く
途中で河川敷に下りて歩く
振り返って
わかくさ橋(人専用橋)の手前で堤防へ上がり
わかくさ橋を王寺町へ渡る
此の続きは、
4月26日の大和川河川敷&堤防散策他-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、わかくさ橋を王寺町へ渡った大和川の堤防を歩く~
大和川の堤防を下流へ向かって歩く
白花の草藤?
大和川の堤防を下流へ向かって
久度神社の近く迄堤防を歩く
堤防道を降りて久度神社へ
久度神社・・・王寺町HPより
久度の氏神で、誉田別命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀っています。『続
日本紀』の延暦2年(783)12月の記事に「大和国平群郡久度神」と見えることか
ら、すでにこのころからあった神社であることがわかります。久度神は、「久度」と
いう言葉が竈を意味するクドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさ
いに現京都市北区の平野神社に遷されたと考えられています。境内には南北朝
時代の暦応元年(1338)12月に奉納された石灯籠があり、文明8年(1476)8月の
箱書をもつ春日曼荼羅が奈良国立博物館に寄託されています。
久度神社~出て堤防へもどる
近鉄生駒線の鉄橋の踏切を渡り堤防を下流の多聞橋へ
多聞橋を渡り、三郷町の多聞地蔵へ向かう
多聞橋
多聞橋は、はじめ木製の 橋でした。度重なる川. の氾濫で流され石製になり、
コンクリート製、そ. して今の鋼鉄製 の橋へと変遷しました。地蔵堂の. 前に
細長い石が置かれていますが、これは石橋の. 石材の一部で多聞橋の歴史
を物語る貴重な資料と. なっています。
多聞地蔵
多聞橋の近くの小さなお堂の中にお地蔵さんがおられます。 前掛けには大き
すぎるくらいの豪華な布をかけられお顔だけをのぞかせて立っておられました。
ここから 信貴山に参拝に向かう際の道中安全を祈願して建てられたそうです。
多聞橋を王寺町側へ戻り、王寺駅へ向かう
堤防をおりて王寺駅へ向かう
草藤真っ盛り
王寺駅
4月23日(絵手紙クラブ)&27日(明日香の筍堀)
5月2日 4月23日(絵手紙クラブ)&27日(明日香の筍堀)
色々日記
4月23日(絵手紙クラブ)
月に一度の絵手紙クラブ(久宝寺駅~社友会事務所へ向かう)
帰って
我家の鉢植えの花
4月27日(明日香の森へ筍堀)
竹林の保全活動やブルーベリー狩りに出かけた事はあるが筍は初めて
万葉文化館の無料駐車場へ車を停めて明日香の森へ向かう
棚田を見ながら
竹林へ向かう
竹林へ到着
25日の雨で、雨後の筍とおもいきや??
土嚢に筍を入れて
帰り道、ノビルを引いて帰った
持ち帰った
筍らしき大きさは2本~4本で後は小ぶり
糠であく抜きをして
筍料理三昧??
数十年ぶりに
ノビルで玉子とじ、写真は無いが 美味しかった
色々日記
4月23日(絵手紙クラブ)
月に一度の絵手紙クラブ(久宝寺駅~社友会事務所へ向かう)
帰って
我家の鉢植えの花
4月27日(明日香の森へ筍堀)
竹林の保全活動やブルーベリー狩りに出かけた事はあるが筍は初めて
万葉文化館の無料駐車場へ車を停めて明日香の森へ向かう
棚田を見ながら
竹林へ向かう
竹林へ到着
25日の雨で、雨後の筍とおもいきや??
土嚢に筍を入れて
帰り道、ノビルを引いて帰った
持ち帰った
筍らしき大きさは2本~4本で後は小ぶり
糠であく抜きをして
筍料理三昧??
数十年ぶりに
ノビルで玉子とじ、写真は無いが 美味しかった