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1月9日の新年にぎわう十日戎に出かけよう-2

1月13日      1月9日の新年にぎわう十日戎に出かけよう-2
              近鉄駅フリーハイキング 歩程約9km
この日は1人で参加、途中で雪&雨も降り、コースを変えて四天王寺をやめて天王寺
駅へ戻った、此の日の私の万歩計は、17903歩で約13.2km歩いたことに・・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 大阪上本町駅地上コンコース受付 9時半~11時
上本町駅(受付)~生国魂神社~八阪神社~大国主神社~今宮戎神社~四天王寺
~上本町駅(ゴール)の予定だったが、今宮戎神社~四天王寺へ向かう途中で雪&
雨で、新世界&通天閣へ抜けて天王寺駅へ向かう途中で雨がやみ、和気橋~茶臼
山~堀越神社~天王寺駅へ戻り、弁当は家へ持ち帰って、暖かい所で食べた・・・
上本町駅(受付)
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籐次寺・・・今回のコースには無かったが以前訪れた事があったので
藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は
如意山(にょいさん)。藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、
甥(おい)の、任瑞上人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治
める寺であるでゆえに、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つで
ある地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至っている。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した全28
作の作品名が刻まれた石碑も存在する。
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生国魂神社
大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつ
ては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願 寺も建立
され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座さ
れている。この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしま
のかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、
新天皇の即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に
祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとさ
れる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難
波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の
近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大 阪の代表的な古
社の1つである。
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道頓堀
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近鉄 大阪難波駅
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南海 難波駅
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難波八阪神社
創建年月日など詳しい資料は残っていませんが、社伝によれば古来「難波下の宮」
と称し難波一帯の産土神でした。後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃か
ら祇園牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りする古社として世間に知られていました。
もとは神仏混淆でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)
に郷社となりました。現在のご本殿は、昭和49年(1974年)5月に完成。毎年1月の
第3日曜日に行われている綱引神事は当社の御祭神、素盞嗚尊(すさのをのみこ
と)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除かれた故事に基づき
始められたと言われています。。「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介
されています。また、平成13年(2001年)には、大阪市で初めての無形民俗文化財
に指定されました。
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境内には「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」が
建立されており、陸奥の部材の一部が置かれてます。
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八阪神社を後に
大国主神社へ向う
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大国主神社
社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、
そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ
「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治
初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは
明治20年代(1887~96年)である。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、
奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。
「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」
の摂社である。 この大国主神社は江戸時代の1744年(延享元年)に出雲大社か
ら勧請されたと伝えられ、毎年1月9日から11日には大国祭りが行なわれ賑わう。
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境内には木津勘助の銅像と折口信夫の歌碑がある。
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今宮戎神社へ向う
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今宮戎神社
今宮戎神社は、天照皇大神・事代主命・外三神を奉斎しています。創建は推古天
皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに同地西方の鎮護としてお祀
りされたのが始めと伝えられています。戎さまは、ご存知のように左脇に鯛を右手
に釣竿をもっておられます。そのお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸
をもたらす神を象徴しています。当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中
期より朝役として一時中断があるものの宮中に鮮魚を献進していました。またこの
ような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と里の産物、野の産
物とが物物交換される、いわゆる「市」が開かれますが、当社でも四天王寺の西門
に「浜の市」が平安後期には開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎
さまが祀られるようになりました。 時代が経るに従い、市場の隆盛は商業を発展さ
せますので、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰
されるようになりました。室町時代以降庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も
発達し、大阪町人の活躍が始まります。江戸期になると大阪は商業の町としてより
一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護るなると大
阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪
の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました
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此処までは、
1月9日の新年にぎわう十日戎に出かけよう-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-01-13
雪&雨が降り出したのでコース変更して
新世界&通天閣を通って天王寺駅へ向かう~
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新世界&通天閣
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区にある新世界の中心部に建つ展望
塔である。2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった。公式キャラクターは
「ビリケン」。大阪の観光名所として知られる。
1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリの凱旋
門にエッフェル塔の上半分を乗せたような初代通天閣が1912年(明治45年)7月3日
にルナパークと共に建設された。設計は設楽貞雄。建設費用は約9万7000円で、当
時の入場料は10銭。300尺(91m)という触れ込み(実際は250尺/約75m)で、その
当時東洋一の高さを誇っていた。通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれ
人々に親しまれていた。大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置さ
れ評判となった。現在の二代目と同じように塔側面に巨大ネオン広告があった時期
がり(1920年(大正9年)に導入)、当時の広告は「ライオン歯磨」であった(後に阪神
電車の広告も加わる)。
通天閣の電灯工事には当時大阪電灯に勤務していた松下幸之助(後にパナソニック
創業者、当時17歳)が配線工として参加している。
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天王寺公園へ向かう
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和気橋&茶臼山古墳へ寄り道
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和気橋
赤い橋は和気橋という名前がつけられている。788年(延暦7年)和気清麻呂が旧大
和川の流れを変えるため切り開いたといわれる河底池も、この古墳の濠を利用したと
伝わり、現在天王寺区には堀越町や河堀町の地名が残る。
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茶臼山古墳
大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天
王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真
田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われてい
る。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では徳川家康がここに本陣を構えた。大塚城
の山頂部に家康の寝所、番士の多くは北方向の一心寺に駐屯していたと記されてい
る。翌1615年(元和元年)の大坂夏の陣の決戦の際は、豊臣軍の真田信繁がここに
着陣した。茶臼山砦や茶臼山陣城としても有名である。
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茶臼山 標高26m
登頂証明書Get(100円)
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堀越神社(ほりこしじんじゃ)
堀越神社は、大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。 聖徳太子が四天王寺を創建し
た際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝
わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。
かつて創建当初から明治中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣
したのが社名の由来だといわれる。また、古くから「一生に一度の願いを聞いてくださ
る」と、尊崇を集めている。
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天王寺駅へ向かう
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天王寺駅
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