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12月23日のまぼろしの大仏鉄道の遺構を巡る-2

2018年1月5日    12月23日のまぼろしの大仏鉄道の遺構を巡る-2
               JRふれあいハイキング 歩程約13㎞
知人と2人で参加(K場さん・田原)、歩こう会&歴史探訪のE本さんも参加していた・・・
コース  JRふれあいハイキング  桜井ウオーキングクラブ主催  参加費用500円
加茂駅(10時集合)~加茂駅構内のランプ小屋~観音寺橋台~鹿背山橋台~梶ケ
谷隧道~赤橋~城山台公園(トイレ休憩)~梅美台公園(昼食・トイレ休憩)~松谷川
隧道~鹿川隧道~黒髪山トンネル跡~鴻ノ池運動場(トイレ休憩)~興福院前~大仏
鉄道記念公園~佐保川鉄橋跡~2人で寄り道(西方寺)して~JR奈良駅(ゴール)
此の日は朝は冷え込んでいたが陽が登るとだんだん暑くなり、暑い暑い、途中から
上着を脱いで歩いた、2年越しの歩きたかったコースを歩けた。参加者は180人・・・
私の万歩計は、25219歩で約18.6km歩いた事に・・・
加茂駅(10時集合・スタート)
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※「大仏鉄道」とは、
明治時代の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の加茂と奈良を最短距離で結んだ、約10
キロの路線のこと。明治31年(1898年)、加茂駅から大仏駅(現在の奈良駅北1.1km)の
区間が開通。大仏駅は、奈良の大仏(東大寺大仏殿)の最寄り駅としてすごく賑わった。
翌年には奈良駅まで延伸している。しかし、起伏の多い路線だったため、明治40年、平
坦なルート(現在のJR関西本線)の開通とともに廃線に追い込まれた。わずか9年と言う
短い歴史と当時の資料の乏しさから、いまは、「幻の大仏鉄道」と呼ばれている。

加茂駅構内のランプ小屋
加茂駅の西側にあるレンガ造りの建物。明治30年(1897)10月に完成した加茂駅開業
当時からの建物です。オランダ積みの赤レンガ造りで切妻屋根の倉庫としては珍しく、
機関車の前照灯や客室の照明用に使用されていたランプの石油類の給油、保管に使
用されていました。
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蒸気機関車が展示されていた
今上天皇・皇后両陛下がご成婚されたとき、この蒸気機関車が、両陛下を乗せた客車
(お召し列車)をひいて伊勢神宮と橿原神宮に行かれた。「貴婦人」と呼ばれた関西本
線の機関車だが、昭和47年に大仏鉄道のレールで運び、ここに展示された。
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観音寺橋台
加茂駅から歩くこと40分、大仏鉄道ひとつめの遺構。石垣は算木積み。
大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高
い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に
木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていました。
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観音寺小橋台
此処へは行けず・・・
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鹿背山橋台へ向かう
竹林野中を進む・・・
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鹿背山(かせやま)橋台
『鉄道廃線跡を歩くII』(宮脇俊三著・JTB刊)の表紙に採用されたこの橋台は、石積
みの力強さ、形の素晴らしさが一目でわかります。レールを敷けば、すぐに列車が
走れるようです。(案内版より)
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梶ケ谷隧道へ向かう
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梶ケ谷隧道
大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。
壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み坑門
はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。保存状態は極めて良く、
大仏鉄道の代表的遺構の一つです。
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赤橋へ向かう
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赤橋
御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリ
ス式です。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が
通っています。
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城山台公園(トイレ休憩)
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此処までは、
12月23日のまぼろしの大仏鉄道の遺構を巡る-1 として
           下記のセカンドブログへも詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-01-05 
続きは、城山台公園~梅美台公園へ向かう~
梅美台公園へ向かう
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梅美台公園(昼食・トイレ休憩)
梅美台公園を出発
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松谷川隧道
交差点下の畑地へ下ると松谷川トンネルの遺構が残っています。
松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
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鹿川隧道
農業用水路の目的で造られた隧道で、今も水路として使われています。細いトン
ネルですが、とてもきれいな石組みでできています。
鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
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鴻ノ池運動場へ向かう
歩こう会と歴史探訪の会に入ってるN本さんの後ろ姿が・・・
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黒髪山トンネル跡
昭和41年頃迄残っていた大仏鉄道唯一のトンネル、道路拡張で取り壊されて
今は残っていない

※大仏鉄道とは-2
急坂すぎて、蒸気機関車のパワーでは登れず、乗客が降りて押したり、線路
沿いの住民が押したりした事もあったと伝えられているほど起伏に富んだ大
仏鉄道の路線。

鴻ノ池運動場(トイレ休憩)
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興福院前~大仏鉄道記念公園へ向かう
小学校の門の横に大人の拳より大きな松ぼっくり・・・
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大仏鉄道記念公園
大仏駅跡を記念する公園「大佛鐵道記念公園」です。機関車の動輪モニュメント
と説明碑があります。
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佐保川鉄橋跡
船橋商店街内、佐保川に架かる下長慶橋の川底より平成19年(2007)大仏鉄道
鉄橋跡の煉瓦橋脚の基底部が発見されました。
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2人で寄り道 西方寺
西方寺
奈良市油阪町の浄土宗寺院『西方寺(さいほうじ)』(山号「草鞋山(そうあいざん)」)
は、行基菩薩によって、神亀年間(724年~729年)に創建されたと伝わる古刹です。
創建の地は、多聞山(現在の若草中学校付近)。室町時代に松永久秀が多聞山城
を築くにあたり、1559年に現在の油阪町へ移転しました。その際に、正親町天皇か
ら「南都総墓所」の綸旨も賜っているという、由緒あるお寺です。
ご本尊は、国の重要文化財に指定されている「阿弥陀如来坐像」。修行中の宮本武
蔵が西方寺に逗留した際、朝夕この阿弥陀さまに祈ったという由来から「心経念仏
の弥陀」とも呼ばれているとか。
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JR奈良駅(ゴール・解散)
旧奈良駅駅舎、今は観光案内所
JR奈良駅の北にある奈良市総合観光案内所。国内外の観光客から重宝される
奈良の観光拠点ですが、実はこの建物、平成15年(2003)までJR奈良駅舎とし
て利用されていました。
日本国有鉄道(現JR西日本)によって昭和9年(1934)に竣工され、その様相は
寺院風和風と鉄骨鉄筋コンクリート造の近代的構成でできた和洋折衷の荘厳な
もの。当時の建築技師が奈良の諸寺院の特色ある屋根を参考して考案したそう
です。.
このような建築は洋風意匠の建物に比べ、数が少なく貴重です。ところが平成13
年(2001)、JR奈良駅付近の連続立体交差事業で駅機能が新駅に移ったことに
より、その存続が危ぶまれます。県民や観光客からの存続を望む声や、文化的
価値を踏まえ、県・市・JR西日本の三者協議の末、保存が決定。駅舎をレールと
鉄の棒(ころ)による曳き家工法で、北東へ18m移動を行い、平成21年(2009)年
に観光案内所として生まれ変わったのです。.
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