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11月2日のペガサスフェスタ(文化祭)&紅葉散策-2

11月10日       11月2日のペガサスフェスタ(文化祭)&紅葉散策-2
                    近所のウオーキングコース
近所の知人から、文化祭に陶芸と写真を展示してるから、と情報が入って来てたので
行ってみた、文化祭の展示会場へ行くのは此れが初めての体験、ペガサスホール自体、
行くのが此れで2回目、前に行ったのは古墳で珍しい物が発掘されて展示説明会が開
催された時に初めて入って、今回が2回目、ペガサスホール=中央公民館だと言う事も
知らなかったのだ、こんな町民居る?情報をくれ、誘ってくれたた知人に感謝しなくちゃ・・・
家から滝川遊歩道へ出て、ペガサスホールへ向かう
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紅葉の中にペガサスホールが見えて来た
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建物に上牧町立図書館と書いてある
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上牧町文化祭の立て看板
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知人の出展している陶芸と写真展をみて、町の文化遺産(古墳)展示や、
水彩画&油絵の展示会場等を見て廻った・・・
ペガサスホールを出て
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2000年会館の公園の紅葉
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此処までは、
11月2日のペガサスフェスタ(文化祭)&紅葉散策-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-10  
此処では、続きを、
2000年会館の公園を離れてまほろばコーヒーの前へ
セイタカアワダチソウ
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まほろば咖渄の前、黄色いポストの飾りが
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ヨモギが有ってバス停&ススキ
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第三小学校の前にコスモス&ダリア、ハート型の刈込、キバナコスモス
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畑の向う、遠くに二上山も見える、ダリア、タンポポ他・・・
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介護老人ホームをぐるっと回って
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虹の湯の前をペガサスホールの前を通って帰った
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10月31日・病院の帰りに散歩コースの紅葉散策-2

11月7日      10月31日・病院の帰りに散歩コースの紅葉散策-2
                内科定期検診に向けて事前採血
朝一番に何時もお世話になっている病院へ血液検査の為の事前採血に行き、帰りに
近所の散歩コースの紅葉散策と洒落こんだ、万歩計は10829歩で約7.2km歩いた・・・
先ず、病院を出て役場に向かう、此処にメタセコイヤか?ラクショウ?の大木が有るが
私には解らない。
道中はハナミズキの紅葉
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上牧町健民グランドのペガサス像
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桜並木の紅葉
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町役場のメタセコイヤORラクショウ、私にはどちらか解らない
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県道を越えて田畑の有るところへ
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ハナミズキ並木にセイタカアワダチソウ
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此処で振り返ると田畑の向うに二上山
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タンポポやドングリもある
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ハナミズキ並木
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介護老人ホーム前の花壇
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ハナミズキ並木にススキやヨウシュヤマゴボウ、セイタカアワダチソウ
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二郡水神社 二郡大神
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ハナミズキ並木
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子供達が未だ小さい頃、此の池でよく釣りをした
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此処までは、
10月31日・病院の帰りに散歩コースの紅葉散策-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-07
続きは、桜が丘の銀杏並木
銀杏と桜と楠とが交合に植えられている?
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第二小学校の下の紅葉が綺麗
つたの紅葉、カエデが5本、他はハナミズキと南京ハゼ
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片岡台団地の下、葛下川沿いの道路
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高速道路の裏道を通って帰る
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10月27日・大阪生野区の歴史ある寺社巡り-2

11月1日      10月27日・大阪生野区の歴史ある寺社巡り-2
              毎月恒例の昼飲み会&ハイキングと銭湯
今回のハイキングは、以前雨の中を歩いた近鉄駅フリーハイキングのコースを少し
変えて、阿倍野へ戻って銭湯で汗を流してから月一回の昼飲み会に行ける様に・・・
コース    此の日の私の万歩計は22395歩で約15km歩いたことに
近鉄今里駅~清見原神社~難波寺~田島神社~生野商店街~生野八坂神社~
生野神社~舎利尊勝寺~御勝山古墳~平野川沿い~コリアタウン(公園で昼食)
~御幸森天満宮~彌栄神社~桃谷商店街~桃谷駅 →環状線で 天王寺駅~
キューズモール~銭湯 湯処・あべの橋・・・・居酒屋 甘太郎
志都美駅
曇り空で二上山が全く見えない
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天気も良くなって
俊徳道駅で近鉄に乗り換え
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今里駅で知人と落ち合い、清見原神社へ
清見原神社
清見原神社(きよみはらじんじゃ)は、大阪府大阪市生野区にある神社である。
天武天皇を主祭神とし、明治の神社合祀により素盞嗚尊・大山咋命・天水分神・國水
分神を合わせ祀る。 水害により社記等が流失したため創建の詳細は不詳である。
口伝によれば、 天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に現在の当
社鎮座地で休憩したという。現在の社名はこの伝承によるものであり、このとき天武
天皇が吉野の方をかえり見たとのことから、附近の地名「吉野見」が生まれた。天武
天皇の歿後、一帯を本拠としていた大伴氏が天武天皇を祀る神社を創建し、天武天
皇宮と称したと伝えられる。以降、旧大友村の氏神として崇敬された。
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難波寺
難波寺(なにわじ)は、大阪府大阪市生野区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山 号は
月江山。本尊は十一面観音。この寺は、736年(天平8年)聖武天皇の勅命により行
基によって、奈良東大寺の大仏開眼法要のため、遣唐使の船にて来日したベトナム
の僧侶を宿泊させる為、現在の天王寺区東高津町に創建されたと伝えられ、当初、
三井寺の直末として天台宗に属していた。室町時代に入ると荒廃し、江戸時代に
入って妙心寺塔頭後花園院の卓同和尚により中興され臨済宗に改められた。1925
年(大正14年)現在地に移された。
境内には、浄瑠璃・歌舞伎の演目に「茜染野中隠井」(あかねそめのなかのかくれい)
縁の、井戸と弘法大師作の墨掛け地蔵がある。 また、難波寺形と呼ばれる手水鉢が
現存する。
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難波寺形と呼ばれる手水鉢
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墨掛け地蔵尊
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田島神社
古い記録は洪水などで紛失していますが、残った石灯籠などに刻まれた文言によれば、
少なくとも貞享元(1684)年にはすでに神社があったことがわかります。その頃、菅原大
神(すがはらのおおかみ)を主神とし、事代主命(ことしろぬしのみこと)・八幡大神を相
殿として天満宮といわれていました。 寛政4(1792)年には、少彦名命(すくなひこなの
みこと)を主神として天神社といわれ、明治42(1909)年に現社号の田島神社と改称し
ました。その後、平成2(1989)年に御大典記念として本殿を改築し、石鳥居や『天神さ
まの牛』が新設されました。
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境内に眼鏡レンズ発祥の地碑
眼鏡レンズ発祥之地
「田島神社」の参道の真ん中に 大きな「石田太次郎顕徳碑」と「眼鏡レンズ発祥之地」
碑が並んで建っている。
田島地区は 明治から昭和にかけて, 国内有数の「眼鏡レンズ」生産拠点だった。後に
「レンズの始祖」と呼ばれた石田太次郎は ここ田島村で生れ, 丹波の国でレンズ研磨
の技術を習得。 1857(安政4)年に 田島村にその技術を紹介し, 田島の家内産業に発
達した。1913(大正2)年に 農村だった田島村に電力が引かれると, 眼鏡レンズ専門工
場が生まれ, 最盛期には 200軒を超える業者が集まり, 日本一の眼鏡生産地となった。
しかし 1960年代以降, プラスチックレンズの技術が開発され, 軽くて割れにくい優れた
特性から ガラスレンズに取ってかわり, また 工場で大規模に量産されるようになった
ため, 田島のレンズ製造は急激に減少していった。
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こがねもちの大木が御神木に
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生野商店街(得する商店街 どりー夢)
どりー夢商店街
生野銀座商店街は、生野本通り商店街(国道25号線側から)を通り抜け、横断歩道
をわたった先の商店街です。なので、駅からも遠く、本当に地元の商店街という感じ
です。しまっているお店も多いですが、日中は地域のおばさまたちで活気があります。
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生野八坂神社
東成郡誌第三編、生野村第四神社の項に『素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社、大字
林寺字林に鎮座せり…』とあり、その創祀は諸書に『元禄二巳(1689)年勧請』とありま
すが、他にも説があって定かではありません。東成郡林寺村(旧地名)の氏神様として
崇敬されていましたが、明治41(1908)年に天王寺区の河堀稲生神社に合祀され、境
内地も『河堀稲生神社御旅所(おたびしょ)』となりました。その後、氏子有志の熱誠な
る努力によって復興造営が完成し、昭和30(1955)年御神霊の還御を仰ぎ『生野八坂
神社』の認証を受け、 『生野の祇園様』として今日に至っています。
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此処までは、
10月27日の大阪生野区の歴史ある寺社巡り-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿しました。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-01
続きは、生野神社~
生野神社
木瓜(もっこう)を神紋とする生野神社の古名は、牛頭(ごず)天王宮という神号を用い、
明治5(1872)年村社、明治42(1909)年素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社を経て、戦後
の昭和22(1947)年に生野神社と改称。 神社の鳥居は小振りながら宝永7(1710)年の
刻銘があり、区内では最も古い貴重なもので、鳥居より背の高い大きな歌碑と榎・いち
ょうの古木が景観を添えています。
また、拝殿前の一対の狛犬は天保4(1833)年のもので、お伊勢参りが大流行した江戸
期の貴重な記念物です。これは村の氏神さんへの崇敬を疎かにしなかった証拠品とな
っています。
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舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)
南岳山舎利尊勝寺と呼ばれ禅宗の一派に属し、本尊は釈迦如来です。約1400年前、
用明天皇のころ、生野長者と呼ばれる長者に言葉の不自由な子が生まれました。
長者が、四天王寺伽藍を設立するために来ていた聖徳太子にすがると、太子はその
子に向かい「わたしが前世に預けた3つの仏舎利を返しなさい」といいました。すると
3つの仏舎利を吐き出し、それからは普通に話せるようになりました。太子はそのうち、
ひとつを法隆寺に、ひとつを四天王寺に、残った一つを長者に渡しました。長者が、お
堂を建てて、この仏舎利を奉ったのが、舎利寺の起源と言われています。
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御勝山公園・御勝山古墳
御勝山(おかちやま)古墳
もとは岡山と呼ばれ、元和元(1615)年夏の陣の大坂落城のとき、徳川秀忠が此 処で
戦勝の宴を催したことから御勝山の名で知られるようになりました。
南北112m、東西55m、高さ約8mの前方後円墳で現在は前方部が道路(勝山通)と勝
山南公園になっており、後円部を残すのみです。
市内では、茶臼山古墳(天王寺区)と帝塚山古墳(住吉区)と並んで重要な史跡の一つ
です。中臣氏の祖『大小橋命(おおおはせのみこと)』の墓であるといわれていますが明
らかではありません。
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コリアタウン
コリアタウン・・・HPより
御 幸通の3商店街(通称:生野コリアタウン)は1600年の歴史ある御幸森神社のお膝
元、東西500m程に約120店舗が軒を連ねる商店街です。大正時代にかつて猪飼野と
呼ばれたこの近隣が人口の増加に伴い市街化していく中、大阪市立鶴橋公設市場が
開設され、旧市電「猪飼野駅」に続く一条通商店街と交差する位置であったことから国
内にある他と同様な商店街として発展していきました。 生活の苦しかった朝鮮半島の
人々は既に韓国併合が行われていたことにより、日本に職を求めて移住するようにな
ります。 特に大正時代末期に就役した「君が代丸」により、済州島からの移住者が増大
します。その人々こそ経済成長著しい大阪の中小零細企業にあって特に避けられがち
な労働や雇用需要を担ったのです。出稼ぎ労働者が増えてくると、今度は同胞を相手
に商売(といってもゴザに物品・食品を並べる程度)を行う人々が現れ始め、その界隈
が朝鮮市場と呼ばれるようになります(現在の御幸通の裏手)
戦 争が激化し大阪にも空襲が行われると、それまで御幸通で商売をしていた旧日本
人店主たちが疎開を始めるようになります。 疎開の際、「店舗は空襲の被害にあうか
もしれない」「ほうっておいては店舗・家屋が痛む」と考えた旧店主達は、それらを安く
貸したり売ったりするようになりました。この時、御幸通の裏手で商売をしていた人た
ちを始めとして在日韓国・朝鮮人達が御幸通で店舗を構えるようになります。この頃
を境に御幸通商店街が特異な商店街としての発展を見せ始めます。
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昭 和30年代から50年代前半にかけては日本の高度経済成長もあり、韓国・朝鮮の
食品や物品がひとところに集まる商店街としてその隆盛期を迎えます。ところが昭和
50年代後半頃から陰りを見せ始めます。最初期の渡航者から数えると50年程経つ
中で、在日韓国・朝鮮人の生活様式の変化、日本経済の成熟、後継者の不在等い
くつかの要因が重なり、来街者が目に見えて減少していきました。そんな時危機感を
覚えた当時の商店主たちが、"コリアタウン構想"を掲げます。しかし当初コリアタウン
構想を立ち上げたとはいえ、新しい来訪者の方への対応に商店主達が戸惑いを見せ
るような状態が続きましたが、特徴的な門や舗装道路が完成し、その後日韓共催ワー
ルドカップ、冬のソナタに始まる韓国文化への関心が高まり、コリアタウンとして注目
が集まるようになり現在に至ります。
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御幸森天神宮
御幸森天神宮(みゆきもり天神宮)
仁徳天皇・少彦名命(すくなひこなのみこと)・押坂彦命(おさかひこのみこと)を主祭神
としています。江戸時代には『御幸宮』または『天皇天神社』と称していました。
社頭に立てられた由来碑によると、仁徳天皇のとき百済野の北端にあった小丘に鷹を
放って天皇がそれをご覧になったところから御幸森の名が起こったと刻まれています。
また、境内にある5本のムクノキ(椋)の老樹は『まちの貴重な緑をみんなの力で守って
いこう』との願いから、市の保存樹林に指定されています。
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彌栄神社
神祖素盞嗚命(すさのおのみこと)を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分
霊奉還したのがはじまりと旧記にあります。その当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、
創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座(みやざ)を設けて奉仕し、明治5
(1872)年村社に列せられ、社号もこの時に彌栄神社と改められました。
明治43(1910)年、氏子協議のうえ大字岡村(現勝山北4丁目)の御館(みたて)神社を
合祀しました。その御館神社は、旧岡村の生土神(うぶすながみ)でいばらの神と呼ば
れ、仁徳天皇の的殿(まとどの)の旧跡で、現在は彌栄神社の御旅所(おたびしょ)と
なっています。
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桃谷商店街
桃谷駅前商店街は庶民の味方。懐かしいもん、珍しいもん、安いもんやら、 楽しいもん。
何でも揃うから、ほんま便利やで~。 散歩がてらに、いっぺん遊びにおいでや!
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桃谷駅
桃山御陵が出来るときに、桃山駅から桃谷駅へ駅名変更させられた・・・
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天王寺駅~キューズモール~銭湯
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銭湯 湯処・あべの橋・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
    源泉名 龍宮温泉 1号 大阪市港区2丁目3番33号  深さ 1,500m
    泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
    効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身
        ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進
        ・切り傷・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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昼飲み会
居酒屋 甘太郎
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