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12月14日~18日の鹿児島訪問ー2

12月22日      12月14日~18日の鹿児島訪問ー2
             LCC Peachでの旅
旅の初めは、12月14日の関西空港第2ターミナル~鹿児島空港へ・・・
関空第2ターミナルへ入ると屋外の景色は飛行機に乗る時しか見る事が無い。
此れから搭乗
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12月15日
天文館アーケード街を照国神社へ
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照国神社(てるくにじんじゃ)
照国神社は、鹿児島県鹿児島市照国町にある神社。旧社格は別格官幣社。江戸時代
後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。照国大明神(島津斉
彬)を祀る。祭神は薩摩藩第11代藩主の島津斉彬。
祭神は島津家28代当主で安政5年(1858年)7月に50歳で急逝するが、文久2年(18
62年)に祭神の遺志を継いだ弟久光と甥忠義が鹿児島城内西域の南泉院郭内に祭神
を祀る社地を選定し、翌3年5月11日に孝明天皇の勅命による「照国大明神」の神号
授与を受けて祠を造営したのが創祀で、翌元治元年(1864年)に改めて東照宮が建
っていた地に社殿を造営し、照國神社と称した。
明治6年(1873年)に県社に列し、同15年(1882年)には別格官幣社に昇格。明治
維新における祭神の功績と薩摩藩の役割が考慮されたと考えられる。
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島津斎彬像
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照国神社を出て鶴丸城跡へ向かう
島津忠義像・・・島津忠義は島津久光の三男
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西郷隆盛像
鹿児島市の鹿児島市立美術館近くに立つ郷土の彫刻家・安藤照が1937年(昭和12
年)に作成した西郷の銅像は軍装(陸軍大将)である。明治より時代が下って鹿
児島市に建てられた銅像が、陸軍大将の正装で直立不動の姿勢である。
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鶴丸城跡
石垣等が 残っている。
鹿児島城は、薩摩国鹿児島城山麓(現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた
江戸時代の日本の城である。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」。鹿児島では一
般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が鶴が
羽を広げたようであったことによる。
1601年(慶長6年)に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏
の居城であった。城跡は鹿児島県史跡に指定されている。
石垣
遺構として石垣や堀、西郷隆盛の私学校跡地である出丸跡、大手門との間に架か
る石橋が現存している。私学校の石垣には西南戦争の際についたといわれる弾痕
が数多く残っている。
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アコウの大木が・・・
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黎明館案内版
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石垣と堀
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横へ廻って
中へ入って見る
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立派な石垣
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天璋院篤姫像
花嫁の名は天璋院篤姫。13代将軍・徳川家定の正室である。
薩摩藩第11代藩主・島津斉彬の養女となって江戸に輿入れ、若き未亡人となっ
てからも徳川家を守り、江戸城明け渡しの活躍などよく知られるところだ。
はるばる薩摩から遠い江戸に嫁いだ篤姫、どのような思いで旅立ったのだろう
か。その背景とは。その少女時代とは。さまざまな想いが薩摩へ誘う。
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桜島が見える
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御楼門建設現場に入る
大手門にあたる御楼門は現在、鶴丸城御楼門復元委員会によって進められた復元
プロジェクトが、官民の連携による民間が主導する事業として「鶴丸城御楼門建
設協議会」が平成27年(2015年)2月に設立され、平成29年(2017年)9月28日
から2020年3月31日までの工期で建設工事が行われている。
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後ろの山は城山
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此処までは、
12月14日~18日の鹿児島訪問ー1 として
      下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。 
     https://nara-amami-shiba.blog.ss-blog.jp/2019-12-22
此処では、続きの 御楼門の工事現場を覆う
壁のアートを見ながら反対側の出口へ向かう~ の詳細を掲載します。
壁のアートを見ながら
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山形屋へ向かう
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山形屋へ昼飯を食べに向かうが長打の列
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山形屋の昼めしを諦めて
鹿児島港へむかう
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ドルフインフインポートで昼食を済ませて
ホテルへ戻る・・・この日(15日)の私の万歩計は、14798歩で約8.8㎞歩いた。
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12月16日は、鹿児島市立病院・・・
翌12月17日
朝、ホテルの部屋から城山の方向を見ると左手にワシントンホテルプラザが・・
ホテルで朝食バイキングを済ませてリムジンバスで鹿児島空港へ
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鹿児島空港~奄美空港へ叔母を見送り
霧島市に住む知人のY丸さんを待つ 
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鹿児島空港展望デッキ&航空展示室をうろうろ?
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知人が空港へ迎えに来て・・・
空港の近くの知人の畑の果樹と立派な野菜
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塩浸温泉龍馬公園
坂本龍馬が新婚旅行で訪れた際、逗留したという温泉が塩浸温泉。園内には
「龍馬資料館」や「龍馬とお龍の縁結びの足湯」、「坂本龍馬・お龍新婚湯
治碑」、龍馬が入ったとされる湯舟があります。

龍馬お龍の銅像や龍馬資料館「この世の外」が・・・天の逆鉾レプリカ見たヨ!
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途中で昼食を済ませ
小雨の中、霧島神宮へ向かう
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霧島神宮
欽明天皇の御代(6世紀)、慶胤(けいいん)上人という僧侶が高千穂峰と火常
峰(御鉢)の間の「瀬多尾(せたお)(背門丘・瀬戸尾)」に社殿を造られたの
が始まりとされ、欽明天皇元年(540年)に創建されたともいわれている。高千
穂峰が日本神話の天孫降臨の伝承地とされる事から、現在は日向三代にまつわる
神々が祀られているが、元々は高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰か
ら始まった神社であると考えられる。
しかし元の社地の瀬多尾は、火口に近い場所であったため社殿は噴火でたびたび
炎上し、延暦7年(788年)7月の火常峰(御鉢)の噴火で焼失した。その後天
慶3年(940年)、あるいは村上天皇の御代の天暦4年(950年)に性空上人に
より瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に再興されるが、ここもたびたび噴
火の巻き添えで炎上し、文暦元年(1234年)の火常峰(御鉢)の大噴火により社
殿、僧坊等がことごとく焼失したため、霧島市田口の待世(霧島中学校の隣、霧
島町グランドとの境)に「仮宮」を建てて、約250年間祭っていた。文明16
年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶上人が再興したのが、現在の霧島神宮で
ある。但、社殿はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島
津吉貴の奉納により再建した物である。
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また一説には、文暦元年(1234年)の噴火で社殿を焼失し、社殿を霧島山の東の
長尾山(現在の東霧島神社の地)に移した後、文明16年(1484年)、島津忠昌
がこれを「東社」(霧島東御在所権現、現在の霧島東神社)と「西社」(西御在
所霧島権現、現在の霧島神宮)の2社に分けたとも、あるいは霧島山の東の長尾
山に移した後、現在の霧島岑神社と霧島東神社の2社に分け、更に霧島東神社か
ら霧島西神社(現在の霧島神宮)を分けたともいわれている。
歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中
に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向
国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣
わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰い
でいる。
また、坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことが知られ
るが、その頃にはすでに山頂には天津日高彦火瓊瓊杵尊が突き刺したという天の
逆鉾があった。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一
面観音。別当寺に華林寺を有する。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権
現信仰の中心的役割を果たしていた。

御神木に仏像が・・・
神木の杉
神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。
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17日の夜は、知人宅でご馳走になり昔話に・・・
此の日の私の万歩計は、5600歩で約3.3㎞とほとんど車やバス・・・
翌18日は、朝7時に知人宅を出発、空港迄送って貰い
空港でモーニング、お土産迄貰って至れりつくせり、お世話になりました。
関西空港到着
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南海電車で新今宮駅へ
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WAKIのトンボの目

お帰り!鹿児島の風景堪能させていただきました。また飛行機の写真もありがとう。西郷どんを観ていたせいか懐かしいです。
私が家内と鹿児島へ行ったのは2009年10月でした。指宿の山水館に泊まり知覧にも行きました。このときのトンボの目はバックナンバーで観ていただきますとごらんいただけます。ぜひご覧ください!!
by WAKIのトンボの目 (2019-12-24 07:09) 

taharas

WAKIのトンボの目 さん
コメント有難う御座います!(^^)!
2009年10月の鹿児島の記事、読ませて頂きました。
優雅な九州一周旅行で鹿児島も行かれたんですね、羨ましいかぎりです。
私は鹿児島県人ですが此れまでは、川内市藤川と姶良市餅田と鹿児島市清水町、近くの仙巌園だけで今回初めて中心の天文館通り周辺と鹿児島空港と知人の住む霧島市へ行ってきました。1月は故郷の奄美へも行きます。

by taharas (2019-12-25 00:55) 

WAKIのトンボの目

追記
指宿で泊ったのは白水館でした。私のBlog第一号は社友会旅行で上高地行ったとき、2004年11月でした。こうしてBlogは記録として残り、検索できるのがいいですね。鹿児島も見どころいっぱいですね。
ご覧ありがとうございました。
by WAKIのトンボの目 (2019-12-25 07:58) 

taharas

WAKIのトンボの目さん
再度のコメント有難う御座います!(^^)!
今日、12月26日から関西空港⇔奄美空港もLCCが再就航、
格安料金で帰省出来る様になり、後は世界自然遺産登録
を願っているところです。。。
by taharas (2019-12-26 12:04) 

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