3月3日の酒蔵みてある記 大倉本家「大倉」
3月7日 3月3日の酒蔵みてある記 大倉本家「大倉」
近鉄ハイキング 歩程約
此の日は、知人のK場さん・I 田さんと3名で参加、降水確率午前10%午後50%の曇り空
だったが、一度傘を手にしたが広げる事は無く コースは一部変更してのハイキングだった
が多少の速足で?無事に終了、此の日の私の万歩計は、21168歩で約12.7km歩いた・・・
コース 尺土駅10時7分着集合 受付は木戸池公園で10:00~10:30
尺土駅~徒歩10分~木戸池公園(受付10:00~10:30)~市役所當麻庁舎~相撲館~当
麻寺~中将姫墓塔~石光寺~道の駅・二上パーク(昼食場)~大倉本家・試飲・粕汁振舞
い・抽選会・解散~公園~五位堂駅 粕汁が美味しくてついおかわりしてしもうた
志都美駅から
葛城山二上山
高田駅~栄冨大明神
栄冨大明神
石園坐多久虫玉神社(いそのにますたくむしたまじんじゃ)・・・龍王宮
大和高田市唯一の延喜式内社。祭神は建玉依彦命、建玉依姫命の二坐を祀ります。
本社が第三代安寧天皇片塩浮孔宮跡と伝承され、弥生式時代に続く古代農耕の開
拓神として宮跡と神社の結びつきが考えられます。龍王宮と称し、水神・物作りの神と
して信仰されています。
尚、横大路に沿うように、大神神社を龍の頭、当神社を龍の胴、葛城市の長尾神社
を龍の尾とする伝承がある。
近鉄高田市駅
近鉄尺土駅
神社
木戸池公園(受付10時~10時半)
二上山へ向かってあるくぞう
當麻蹶速の塚
日本書記によると、相撲の始まりは、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみの
すくね)の力比べと記されている。
當麻には、當麻蹶速という生まれつき力が強い男がいて、常日ごろから「この世で自分
と互角に力比べができるものは存在しない。もしそのような人物がいた らぜひ、その人
物と力比べを行いたいものだ」と豪語していた。そこで天皇は力が優れている野見宿禰
を出雲の国から呼び寄せ、対戦を行わせた。その結果、蹶速は宿禰に敗れた。
塚の石塔は鎌倉時代の様式で、その脇には昭和に入り建てられた石碑が並んでいる。
案内版には、「勝者必ずしも優ならず時には勝機や時運に恵まれず敗者とな ることも
ある。勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙を涙をそそぐべきではな
いか」と刻まれている。敗者となった蹶速だが、素朴で野性的 な性格が地元の人には
親しまれているのだ。
※相撲館けはや坐
相撲の開祖『當麻蹶速』を顕彰する目的で平成2年の5月にオープンしました。館内に
は本場所と同サイズの土俵があり、小学校の遠足等によく利用されます。 展示土俵
であるために自由に上がることができ、来館者に人気があります。また、所有資料も
約12000点あり、特に書籍類、番付や星取表など充実しており学生のレポートや相撲
愛好家によく利用されます。
當麻寺へ向かう
當麻寺参道
當麻寺
當麻寺は推古天皇二十年(612)に、用明天皇第三皇子麻呂子親王が御兄である
聖徳太子の教えによって創建されました。最初は「萬法蔵院禅林寺」と号しましたが、
親王の孫の代になり「當麻氏」と称したことにより、後生に當麻寺と寺号を改めました。
奈良と大阪の境界をなす二上山の東麗にあり、中将姫ゆかりの蓮糸大曼荼羅や天
平時代の東西両塔、日本最古の白鳳時代の梵鐘や石灯籠などでも知られ、千年も
の歴史を誇る當麻寺練供養会式を今に伝え、毎年の会式には多くの信者や観光客
が境内を埋め尽くす奈良の代表的な名刹です。また、花の寺としても知られ、艶やか
に咲き誇るボタンをはじめ梅や桜、シャクヤクなど四季折々に美しい表情を見せるな
ど、訪れる人たちの心を引きつけてやまない魅力にあふれています。
日本最古の梵鐘
當麻寺の東門を入ってすぐ、左手に見える鐘楼は奈良時代前期の梵鐘が懸けら
れています。ひび割れがあるもの、白鳳時代の鋳造当初の姿をとどめています。
東塔
本堂(曼荼羅堂)
西塔
本堂(曼荼羅堂)&中将姫像
中将姫墓塔を守る仏様
中将姫墓塔
石光寺(染寺)
天智天皇の時(670年頃)に、この地に光を放つ三大石があり、掘ると弥勒三尊の
石像が現れた。勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り、役の小角が開山と
なり弥勒如来を本尊としてまつったのがはじまり。聖武天皇の時(750年頃)に、
蓮糸曼荼羅を織った中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染め、桜の木に
かけて乾かしたというので、この桜を「糸かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を
「染寺」ともいう。
平成3年、弥勒堂建て替え工事の際に言い伝えられていたその石像の弥勒像が
見つかっており、日本最古の石仏とされています。
道の駅&二上パークへ向かう
道の駅で
コンニャクを食べて二上パークへ
二上パーク(昼食)
背後に綺麗な二上山
大倉本家へ向かう
大倉本家・・・HPより
明治29年(1896年) 大倉勝治商店として創業。
以来、吟醸酒には「速醸酒母」も用いますが、それ以外は普通酒に至るまで、すべて
山廃酒母で仕込んでいます。
昭和7年頃より 奈良県神社庁の委託を受け、「御神酒」造りが始まりました。
戦時中 原料米を入手するのが困難な状況においても、品質第一のお酒のご提供を
させて頂き、戦後2代目勝治のもと、販路を拡大させて頂けたと聞いております。
酒蔵へ入る
蔵を出て試飲会場
入口で熱燗の試飲があり中へ
中で
冷酒を試飲
販売所
知人がお酒を購入
販売所前を通り粕汁振舞い場へ。
お酒の飲めない私には粕汁が美味しかった・・・
近鉄ハイキング 歩程約
此の日は、知人のK場さん・I 田さんと3名で参加、降水確率午前10%午後50%の曇り空
だったが、一度傘を手にしたが広げる事は無く コースは一部変更してのハイキングだった
が多少の速足で?無事に終了、此の日の私の万歩計は、21168歩で約12.7km歩いた・・・
コース 尺土駅10時7分着集合 受付は木戸池公園で10:00~10:30
尺土駅~徒歩10分~木戸池公園(受付10:00~10:30)~市役所當麻庁舎~相撲館~当
麻寺~中将姫墓塔~石光寺~道の駅・二上パーク(昼食場)~大倉本家・試飲・粕汁振舞
い・抽選会・解散~公園~五位堂駅 粕汁が美味しくてついおかわりしてしもうた
志都美駅から
葛城山二上山
高田駅~栄冨大明神
栄冨大明神
石園坐多久虫玉神社(いそのにますたくむしたまじんじゃ)・・・龍王宮
大和高田市唯一の延喜式内社。祭神は建玉依彦命、建玉依姫命の二坐を祀ります。
本社が第三代安寧天皇片塩浮孔宮跡と伝承され、弥生式時代に続く古代農耕の開
拓神として宮跡と神社の結びつきが考えられます。龍王宮と称し、水神・物作りの神と
して信仰されています。
尚、横大路に沿うように、大神神社を龍の頭、当神社を龍の胴、葛城市の長尾神社
を龍の尾とする伝承がある。
近鉄高田市駅
近鉄尺土駅
神社
木戸池公園(受付10時~10時半)
二上山へ向かってあるくぞう
當麻蹶速の塚
日本書記によると、相撲の始まりは、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみの
すくね)の力比べと記されている。
當麻には、當麻蹶速という生まれつき力が強い男がいて、常日ごろから「この世で自分
と互角に力比べができるものは存在しない。もしそのような人物がいた らぜひ、その人
物と力比べを行いたいものだ」と豪語していた。そこで天皇は力が優れている野見宿禰
を出雲の国から呼び寄せ、対戦を行わせた。その結果、蹶速は宿禰に敗れた。
塚の石塔は鎌倉時代の様式で、その脇には昭和に入り建てられた石碑が並んでいる。
案内版には、「勝者必ずしも優ならず時には勝機や時運に恵まれず敗者とな ることも
ある。勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙を涙をそそぐべきではな
いか」と刻まれている。敗者となった蹶速だが、素朴で野性的 な性格が地元の人には
親しまれているのだ。
※相撲館けはや坐
相撲の開祖『當麻蹶速』を顕彰する目的で平成2年の5月にオープンしました。館内に
は本場所と同サイズの土俵があり、小学校の遠足等によく利用されます。 展示土俵
であるために自由に上がることができ、来館者に人気があります。また、所有資料も
約12000点あり、特に書籍類、番付や星取表など充実しており学生のレポートや相撲
愛好家によく利用されます。
當麻寺へ向かう
當麻寺参道
當麻寺
當麻寺は推古天皇二十年(612)に、用明天皇第三皇子麻呂子親王が御兄である
聖徳太子の教えによって創建されました。最初は「萬法蔵院禅林寺」と号しましたが、
親王の孫の代になり「當麻氏」と称したことにより、後生に當麻寺と寺号を改めました。
奈良と大阪の境界をなす二上山の東麗にあり、中将姫ゆかりの蓮糸大曼荼羅や天
平時代の東西両塔、日本最古の白鳳時代の梵鐘や石灯籠などでも知られ、千年も
の歴史を誇る當麻寺練供養会式を今に伝え、毎年の会式には多くの信者や観光客
が境内を埋め尽くす奈良の代表的な名刹です。また、花の寺としても知られ、艶やか
に咲き誇るボタンをはじめ梅や桜、シャクヤクなど四季折々に美しい表情を見せるな
ど、訪れる人たちの心を引きつけてやまない魅力にあふれています。
日本最古の梵鐘
當麻寺の東門を入ってすぐ、左手に見える鐘楼は奈良時代前期の梵鐘が懸けら
れています。ひび割れがあるもの、白鳳時代の鋳造当初の姿をとどめています。
東塔
本堂(曼荼羅堂)
西塔
本堂(曼荼羅堂)&中将姫像
中将姫墓塔を守る仏様
中将姫墓塔
石光寺(染寺)
天智天皇の時(670年頃)に、この地に光を放つ三大石があり、掘ると弥勒三尊の
石像が現れた。勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り、役の小角が開山と
なり弥勒如来を本尊としてまつったのがはじまり。聖武天皇の時(750年頃)に、
蓮糸曼荼羅を織った中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染め、桜の木に
かけて乾かしたというので、この桜を「糸かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を
「染寺」ともいう。
平成3年、弥勒堂建て替え工事の際に言い伝えられていたその石像の弥勒像が
見つかっており、日本最古の石仏とされています。
道の駅&二上パークへ向かう
道の駅で
コンニャクを食べて二上パークへ
二上パーク(昼食)
背後に綺麗な二上山
大倉本家へ向かう
大倉本家・・・HPより
明治29年(1896年) 大倉勝治商店として創業。
以来、吟醸酒には「速醸酒母」も用いますが、それ以外は普通酒に至るまで、すべて
山廃酒母で仕込んでいます。
昭和7年頃より 奈良県神社庁の委託を受け、「御神酒」造りが始まりました。
戦時中 原料米を入手するのが困難な状況においても、品質第一のお酒のご提供を
させて頂き、戦後2代目勝治のもと、販路を拡大させて頂けたと聞いております。
酒蔵へ入る
蔵を出て試飲会場
入口で熱燗の試飲があり中へ
中で
冷酒を試飲
販売所
知人がお酒を購入
販売所前を通り粕汁振舞い場へ。
お酒の飲めない私には粕汁が美味しかった・・・
2019-03-07 16:04
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コメント(4)
尺土駅・木戸池公園、懐かしい!。
何とか天気もって&粕汁にありつけて、良かったですネ。
実は心配してました。
金鼓かぁ、、、まっ、40年位前から知ってました。
by mamu7010 (2019-03-08 08:16)
mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
歴史探訪の会で一度20名位で予約して行きましたが
次回は歩こう会でも酒粕詰め放題イベント等も提案して
交渉して見たいと思います、粕汁が好きです。
by taharas (2019-03-08 12:27)
いつもニコニコ現金払いですか\(^o^)/
知人の実家が地方で酒屋さんを営んでいます。店先でおつまみと
お酒を出してぃますが、お勘定は盆暮れの支払いです
地方は顔なじみで帳面つけのところがまだあります。
by クッキー (2019-03-09 15:07)
クッキーさん
コメント有難う御座います!(^^)!
私はお酒が飲めないので酒屋さんの事は解りませんが、
確かに此の酒蔵の販売所には酒類は現金取引で、と書か
れた看板が有りました、掛け売りは無しと言う事でしょうね。
by taharas (2019-03-10 16:28)