1月14日の歩き初め、年始は住吉大社詣りから-2
1月19日 1月14日の歩き初め、年始は住吉大社詣りから-2
近鉄ハイキング 歩程約10㎞
此の日は知人の・I 田さん・O村さんと3名で参加、住吉大社からコースを変えて天王寺へ
戻りアベ地下のカフェでグダグダ・・・此の日の万歩計は、26798歩で約19.8km歩いた・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 大阪阿部野橋駅地下東改札 10時集合
大阪阿部野橋駅(受付・スタート)~安倍寺跡~丸山古墳跡~聖天山公園~聖天山正圓
寺~天神ノ森天満宮(天下茶屋天満宮)~天下茶屋跡~阿部野神社~万代池公園~初
辰さん~住吉大社~阿倍野神社~天神ノ森天満宮~丸山古墳跡~天王寺(アベ地下)
志都美駅
大阪阿部野橋駅(受付・スタート)
大阪阿部野橋駅地下東改札から地上へ出てあべのハルカス
安倍寺跡推定地
阿部氏の氏寺と考えられている。一族には藤原鎌足(かまたり)らと大化の改新を推進した、
左大臣阿部内麻呂がいる。当寺の塔心礎(現在、石の鳥居をもつ松長大明神(松崎町三
丁目6-50)があり、その北側にあった。)から、相当規模の堂塔伽藍が存在していたと思わ
れ、かつてこの付近から白鳳、奈良時代の重弧文軒瓦(じゅうこもんのきがわら)や鬼瓦が
出土している。現在の地名、阿倍野の由来にも阿部氏による説がある。
丸山古墳跡
丸山古墳が在ったとされるこの辺りは現在では住宅地になっており、その面影は全くない。
丸山古墳は1796年(寛政8年)に刊行された『摂津名所図会』では「兼好古墳」とあり、
兼好法師がこの地に隠棲していたとの言い伝えが古くからあったと思われる。
阿倍野区役所のホームページには、その昔には、「円形の古墳の頂きには長方形と宝冠
杉の石塔2基が安置されていたと伝え、一見して貴人の墳墓であることが見取られ、その
形状から丸山古墳と呼ばれていたが、1923年(大正12年)、古墳の表土が鋳物用に好
適の土であるということから採掘され、その折、石棺、香炉など多くの埋葬物が発見され
た、という。しかし、「今日の ように考古学が発達していない時代のこと、調査研究等一切
行われず、丸山古墳はその出土品とともに姿を消してしまった」ということである。
聖天山公園・・・阿倍野区松虫通3丁目の聖天山。
聖天山公園といわれる公園になっています。上町台地の端っこにあたり、小高い丘になっ
ていて、聖天山古墳といわれる古墳だったようです。
聖天山は大阪市内にある「大阪五低山」の一つとされています。聖天山・帝塚山・御勝山・
天保山・茶臼山が「大阪五低山」に指定されているということ。
山頂の碑は、公園に隣接する正圓寺(天下茶屋の聖天さん)の中にありました。
聖天山正圓寺(しょうえんじ)・・・通称「天下茶屋の聖天さん。
正圓寺は、大阪府大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。天慶
2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若
山阿部寺の一坊でしたが、元禄時代(1688年-1703年)に義道見明和尚が寺を移転し、
海照山正圓寺と改めました。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大です。
また、2000年頃までは、大相撲春場所開催のさい相撲部屋の宿舎となっていました。
境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八
本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが祭られています。また、「兼好
法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が境内東側に建っています。吉田兼好は南
北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。
また、この山は聖天山古墳と呼ばれる古墳であることが分かっています。摂津国八十八
箇所第32番。おおさか十三仏霊場2番。
天神ノ森天満宮(てんじんのもりてんまんぐう)別名天下茶屋天満宮
天神ノ森天満宮は、大阪府大阪市西成区にある神社。単に天満宮と言う場合もある。
応永年間(1394年 - 1428年)に北野天満宮の分霊を奉斎。現在の本殿は、1937年
(昭和12年)に落成したものであるが、元は1702年(元禄15年)に建設されたもので
ある。
天下茶屋跡
当地にあった芽木家の跡の一部である。豊臣秀吉が住吉大社や堺に行く途中、紀州
街道(住吉街道)沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋とい
う名前が付いた。
江戸時代にはこの屋敷に、紀州藩主をはじめとした諸大名も宿泊したと伝えられる。
明治天皇も、住吉行幸の途中立ち寄っている。 約5000平方メートルの敷地に、屋敷
や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。しかし1945年の大阪大空襲で焼失し
た。そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなり、敷地の
大半はマンションや住宅になっている。
大阪市は芽木家から土地の一角の提供を受け、顕彰史跡天下茶屋跡として整備した。
阿部野神社
阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある神社である。南朝方につ
いて各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀る。建武中興十五社の一社で、
旧社格は別格官幣社である。延元3年(1338年)に顕家が足利方に敗れて亡くなったと
伝承される地に1875年(明治8年)地元の有志が顕家を祀る祠を建立したのに始まる。
1878年(明治11年)2月27日[1]、東城兎幾雄・松本楚文ら15人が東成郡阿部野村にあ
る北畠顕家の墓を修繕し、社殿を造営したいと願い出た。
大阪府は、北畠顕家の忠誠は楠木正成・新田義貞・名和長年・菊池武時らと同じだから、
顕家を祭る神社にもしかるべき社格を定めるべきではないか、という内容の伺を同じ年
の11月20日に内務省に出した。内務省は3年後の1881年(明治14年)11月16日に北畠
顕家と北畠親房の二人を祭神とする別格官幣社の阿部野神社を阿部野村に創建する
方針を固め、それが1882年(明治15年)1月24日に太政官の正式決定となった。これに
より、社格と名称が定まった。墓所に記念碑をたてる案は取り止めになった。
その後、住吉郡住吉村藪山への変更を内務省に上申した。翌1883年(明治16年)、内
務省は阿部野神社の宮司と東京で面談した上で、人民の願い通りにするのがよかろう
と賛成し、3月7日に太政官が変更を決定した。
社殿は1887年(明治20年)3月に完成し、鎮座祭は1893年(明治23年)3月に斎行された。
阿倍野神社境内
此処までは、
1月14日の歩き初め、年始は住吉大社詣りから-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-01-19
此処では、続きの阿倍野神社境内~ の詳細を掲載します。
阿倍野神社境内
阿倍野神社を後に
万代池公園へ向かう
万代池公園で昼食
万代池(まんだいいけ)は、大阪市住吉区にある池。池の周辺は万代池公園(まんだいい
けこうえん)として整備されている。
池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止め
て作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」と
いう言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。
明治時代までは灌漑池として利用されていた。大正期、昭和初期には東側に「共楽園」と
いう遊園地があった。
大阪市は池とその周辺4.4ヘクタールを整備し、1940年6月1日に万代池公園として開園
させた。池を取り囲むようにサクラの木が植えられている。万代池公園のサクラは、近隣
では花見の名所として知られている。
万代池公園~住吉大社へ向かう
住吉大社の境内の後ろ最奥の”初辰さん”から入った
住吉大社といえば初辰さん(はったつさん) =商売発達=
住吉大社を代表するお祭りといえば御田植神事と夏祭りそして毎月の初辰の日の初辰
まいりです。初辰まいりの日には商売発達のために遠方から訪れる人も多く、早朝から
大勢の参拝客でたいへんにぎわいます。種貸社、楠くん社、浅沢社、大歳社の四社を
それぞれにお参りするのが慣わしとなっています。
初辰まいりとは
初辰とは、毎月最初の辰の日のことです。この日に参拝すれば、より一層力を与えて守
り助けてくれると信仰されてきました。そして4年を一区切りとして、48回参拝すれば、満
願成就となります。これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたものです。
初辰まいり順路
種貸社(たねかししゃ) 資金調達・子宝安産
昔は、稲種を授かって豊作を祈るという信仰がありました。その後、神から授かった「お
種銭」を資本に加えて商売すれば増殖繁栄すると、大阪商人に親しまれ、多くの参拝客
が訪れるようになっています。
楠くん社(なんくんしゃ) 商売発達・家内安全
お稲荷さんです。境内の奥には、樹齢千年を超える楠(くすのき) の大樹があり、江戸時
代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。その後、根元に設けられていた
社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。
楠くん社の招福猫
楠くん社で親しまれているのは、羽織りを着た愛嬌のある土人形の招き猫です。
偶数月には右手を、奇数月は左手を挙げたものを毎月集め48体そろうと、満願成就の
証として納めていただきます。そして新たに大きな招福猫と交換してもらい、今後のご繁
栄を祈願します。
浅沢社(あさざわしゃ) 芸能美容・女性守護
弁天さんともいわれ、女神として、また芸能・美容の神として親しまれています。住吉に
参拝する女性は、必ず訪れる慣わしがあり、カキツバタの名所でもあります。
大歳社(おおとししゃ) 集金満足・心願成就
稲の収穫の守護神です。大阪商人の間では、特に集金の守護神として信仰されてきま
した。また家の安全、幸福の守護神でもあります。また、境内のおいとぼし社には「おも
かる石」と呼ばれる不可思議な石があります。
住吉大社(すみよしたいしゃ)
住吉大社は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、
二十二社(中七社)の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。
大阪市南部、上町台地基部西端において大阪湾の方角に西面して鎮座する。海の神で
ある筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波
津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社である。古代には遣唐使船にも祀ら
れる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴
族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬された。摂津国の一宮と
して大阪で代表的な神社であるのみならず、旧官幣大社として全国でも代表的な神社の
1つである。
『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討に
おいて皇后に託宣を下し、その征討を成功に導いた。そして神功皇后摂政元年[原 4]、皇
后は大和への帰還中に麛坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭い、さらに難波へ向かうも船が進
まなくなったため、務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸に比定)で占
うと住吉三神が三神の和魂を「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」で祀るよ
うに託宣を下した。そこで皇后が神の教えのままに鎮祭すると、無事海を渡れるようになっ
たという。通説ではこの「大津渟中倉之長峡」が住吉大社の地に比定され、この記事をもっ
て住吉大社の鎮座とされる。『日本書紀』では創祀年を明らかとしないが、『帝王編年記』
では神功皇后摂政11年辛卯としており、現在の住吉大社でもこの年をもって鎮祭とする。
歴史考証上では、神功皇后の伝説的記事は別としても、実際にもかなり早い時期の創祀
とされる。前述のように、上古に関しては住吉津の地主神からヤマト王権の外港守護神に
発展したとする説が挙げられるが、そのヤマト王権の崇敬を背景として神功皇后伝説と住
吉神とが結びつけられたとする説がある。なお「大津渟中倉之長峡」には異説として、本居
宣長が『古事記伝』で摂津国菟原郡住吉郷(現在の神戸市東灘区)に比定した説が知られ
る。この説では、『古事記』仁徳天皇段の「墨江之津を定む」の際に住吉神も菟原郡から住
吉郡に移されたとし、同地の本住吉神社も同様の創建社伝を残すが、現在の通説では住
吉大社の地に比定する見解が有力視される。
チンチン電車道を阿倍野(天王寺)へ向かって歩く
阿倍野神社~天下茶屋天満宮~聖天山~丸山古墳跡~阿倍野警察署~キューズモール
~JR天王寺駅~アベ地下へ
近鉄ハイキング 歩程約10㎞
此の日は知人の・I 田さん・O村さんと3名で参加、住吉大社からコースを変えて天王寺へ
戻りアベ地下のカフェでグダグダ・・・此の日の万歩計は、26798歩で約19.8km歩いた・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 大阪阿部野橋駅地下東改札 10時集合
大阪阿部野橋駅(受付・スタート)~安倍寺跡~丸山古墳跡~聖天山公園~聖天山正圓
寺~天神ノ森天満宮(天下茶屋天満宮)~天下茶屋跡~阿部野神社~万代池公園~初
辰さん~住吉大社~阿倍野神社~天神ノ森天満宮~丸山古墳跡~天王寺(アベ地下)
志都美駅
大阪阿部野橋駅(受付・スタート)
大阪阿部野橋駅地下東改札から地上へ出てあべのハルカス
安倍寺跡推定地
阿部氏の氏寺と考えられている。一族には藤原鎌足(かまたり)らと大化の改新を推進した、
左大臣阿部内麻呂がいる。当寺の塔心礎(現在、石の鳥居をもつ松長大明神(松崎町三
丁目6-50)があり、その北側にあった。)から、相当規模の堂塔伽藍が存在していたと思わ
れ、かつてこの付近から白鳳、奈良時代の重弧文軒瓦(じゅうこもんのきがわら)や鬼瓦が
出土している。現在の地名、阿倍野の由来にも阿部氏による説がある。
丸山古墳跡
丸山古墳が在ったとされるこの辺りは現在では住宅地になっており、その面影は全くない。
丸山古墳は1796年(寛政8年)に刊行された『摂津名所図会』では「兼好古墳」とあり、
兼好法師がこの地に隠棲していたとの言い伝えが古くからあったと思われる。
阿倍野区役所のホームページには、その昔には、「円形の古墳の頂きには長方形と宝冠
杉の石塔2基が安置されていたと伝え、一見して貴人の墳墓であることが見取られ、その
形状から丸山古墳と呼ばれていたが、1923年(大正12年)、古墳の表土が鋳物用に好
適の土であるということから採掘され、その折、石棺、香炉など多くの埋葬物が発見され
た、という。しかし、「今日の ように考古学が発達していない時代のこと、調査研究等一切
行われず、丸山古墳はその出土品とともに姿を消してしまった」ということである。
聖天山公園・・・阿倍野区松虫通3丁目の聖天山。
聖天山公園といわれる公園になっています。上町台地の端っこにあたり、小高い丘になっ
ていて、聖天山古墳といわれる古墳だったようです。
聖天山は大阪市内にある「大阪五低山」の一つとされています。聖天山・帝塚山・御勝山・
天保山・茶臼山が「大阪五低山」に指定されているということ。
山頂の碑は、公園に隣接する正圓寺(天下茶屋の聖天さん)の中にありました。
聖天山正圓寺(しょうえんじ)・・・通称「天下茶屋の聖天さん。
正圓寺は、大阪府大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。天慶
2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若
山阿部寺の一坊でしたが、元禄時代(1688年-1703年)に義道見明和尚が寺を移転し、
海照山正圓寺と改めました。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大です。
また、2000年頃までは、大相撲春場所開催のさい相撲部屋の宿舎となっていました。
境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八
本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが祭られています。また、「兼好
法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が境内東側に建っています。吉田兼好は南
北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。
また、この山は聖天山古墳と呼ばれる古墳であることが分かっています。摂津国八十八
箇所第32番。おおさか十三仏霊場2番。
天神ノ森天満宮(てんじんのもりてんまんぐう)別名天下茶屋天満宮
天神ノ森天満宮は、大阪府大阪市西成区にある神社。単に天満宮と言う場合もある。
応永年間(1394年 - 1428年)に北野天満宮の分霊を奉斎。現在の本殿は、1937年
(昭和12年)に落成したものであるが、元は1702年(元禄15年)に建設されたもので
ある。
天下茶屋跡
当地にあった芽木家の跡の一部である。豊臣秀吉が住吉大社や堺に行く途中、紀州
街道(住吉街道)沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋とい
う名前が付いた。
江戸時代にはこの屋敷に、紀州藩主をはじめとした諸大名も宿泊したと伝えられる。
明治天皇も、住吉行幸の途中立ち寄っている。 約5000平方メートルの敷地に、屋敷
や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。しかし1945年の大阪大空襲で焼失し
た。そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなり、敷地の
大半はマンションや住宅になっている。
大阪市は芽木家から土地の一角の提供を受け、顕彰史跡天下茶屋跡として整備した。
阿部野神社
阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある神社である。南朝方につ
いて各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀る。建武中興十五社の一社で、
旧社格は別格官幣社である。延元3年(1338年)に顕家が足利方に敗れて亡くなったと
伝承される地に1875年(明治8年)地元の有志が顕家を祀る祠を建立したのに始まる。
1878年(明治11年)2月27日[1]、東城兎幾雄・松本楚文ら15人が東成郡阿部野村にあ
る北畠顕家の墓を修繕し、社殿を造営したいと願い出た。
大阪府は、北畠顕家の忠誠は楠木正成・新田義貞・名和長年・菊池武時らと同じだから、
顕家を祭る神社にもしかるべき社格を定めるべきではないか、という内容の伺を同じ年
の11月20日に内務省に出した。内務省は3年後の1881年(明治14年)11月16日に北畠
顕家と北畠親房の二人を祭神とする別格官幣社の阿部野神社を阿部野村に創建する
方針を固め、それが1882年(明治15年)1月24日に太政官の正式決定となった。これに
より、社格と名称が定まった。墓所に記念碑をたてる案は取り止めになった。
その後、住吉郡住吉村藪山への変更を内務省に上申した。翌1883年(明治16年)、内
務省は阿部野神社の宮司と東京で面談した上で、人民の願い通りにするのがよかろう
と賛成し、3月7日に太政官が変更を決定した。
社殿は1887年(明治20年)3月に完成し、鎮座祭は1893年(明治23年)3月に斎行された。
阿倍野神社境内
此処までは、
1月14日の歩き初め、年始は住吉大社詣りから-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-01-19
此処では、続きの阿倍野神社境内~ の詳細を掲載します。
阿倍野神社境内
阿倍野神社を後に
万代池公園へ向かう
万代池公園で昼食
万代池(まんだいいけ)は、大阪市住吉区にある池。池の周辺は万代池公園(まんだいい
けこうえん)として整備されている。
池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止め
て作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」と
いう言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。
明治時代までは灌漑池として利用されていた。大正期、昭和初期には東側に「共楽園」と
いう遊園地があった。
大阪市は池とその周辺4.4ヘクタールを整備し、1940年6月1日に万代池公園として開園
させた。池を取り囲むようにサクラの木が植えられている。万代池公園のサクラは、近隣
では花見の名所として知られている。
万代池公園~住吉大社へ向かう
住吉大社の境内の後ろ最奥の”初辰さん”から入った
住吉大社といえば初辰さん(はったつさん) =商売発達=
住吉大社を代表するお祭りといえば御田植神事と夏祭りそして毎月の初辰の日の初辰
まいりです。初辰まいりの日には商売発達のために遠方から訪れる人も多く、早朝から
大勢の参拝客でたいへんにぎわいます。種貸社、楠くん社、浅沢社、大歳社の四社を
それぞれにお参りするのが慣わしとなっています。
初辰まいりとは
初辰とは、毎月最初の辰の日のことです。この日に参拝すれば、より一層力を与えて守
り助けてくれると信仰されてきました。そして4年を一区切りとして、48回参拝すれば、満
願成就となります。これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたものです。
初辰まいり順路
種貸社(たねかししゃ) 資金調達・子宝安産
昔は、稲種を授かって豊作を祈るという信仰がありました。その後、神から授かった「お
種銭」を資本に加えて商売すれば増殖繁栄すると、大阪商人に親しまれ、多くの参拝客
が訪れるようになっています。
楠くん社(なんくんしゃ) 商売発達・家内安全
お稲荷さんです。境内の奥には、樹齢千年を超える楠(くすのき) の大樹があり、江戸時
代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。その後、根元に設けられていた
社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。
楠くん社の招福猫
楠くん社で親しまれているのは、羽織りを着た愛嬌のある土人形の招き猫です。
偶数月には右手を、奇数月は左手を挙げたものを毎月集め48体そろうと、満願成就の
証として納めていただきます。そして新たに大きな招福猫と交換してもらい、今後のご繁
栄を祈願します。
浅沢社(あさざわしゃ) 芸能美容・女性守護
弁天さんともいわれ、女神として、また芸能・美容の神として親しまれています。住吉に
参拝する女性は、必ず訪れる慣わしがあり、カキツバタの名所でもあります。
大歳社(おおとししゃ) 集金満足・心願成就
稲の収穫の守護神です。大阪商人の間では、特に集金の守護神として信仰されてきま
した。また家の安全、幸福の守護神でもあります。また、境内のおいとぼし社には「おも
かる石」と呼ばれる不可思議な石があります。
住吉大社(すみよしたいしゃ)
住吉大社は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、
二十二社(中七社)の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。
大阪市南部、上町台地基部西端において大阪湾の方角に西面して鎮座する。海の神で
ある筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波
津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社である。古代には遣唐使船にも祀ら
れる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴
族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬された。摂津国の一宮と
して大阪で代表的な神社であるのみならず、旧官幣大社として全国でも代表的な神社の
1つである。
『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討に
おいて皇后に託宣を下し、その征討を成功に導いた。そして神功皇后摂政元年[原 4]、皇
后は大和への帰還中に麛坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭い、さらに難波へ向かうも船が進
まなくなったため、務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸に比定)で占
うと住吉三神が三神の和魂を「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」で祀るよ
うに託宣を下した。そこで皇后が神の教えのままに鎮祭すると、無事海を渡れるようになっ
たという。通説ではこの「大津渟中倉之長峡」が住吉大社の地に比定され、この記事をもっ
て住吉大社の鎮座とされる。『日本書紀』では創祀年を明らかとしないが、『帝王編年記』
では神功皇后摂政11年辛卯としており、現在の住吉大社でもこの年をもって鎮祭とする。
歴史考証上では、神功皇后の伝説的記事は別としても、実際にもかなり早い時期の創祀
とされる。前述のように、上古に関しては住吉津の地主神からヤマト王権の外港守護神に
発展したとする説が挙げられるが、そのヤマト王権の崇敬を背景として神功皇后伝説と住
吉神とが結びつけられたとする説がある。なお「大津渟中倉之長峡」には異説として、本居
宣長が『古事記伝』で摂津国菟原郡住吉郷(現在の神戸市東灘区)に比定した説が知られ
る。この説では、『古事記』仁徳天皇段の「墨江之津を定む」の際に住吉神も菟原郡から住
吉郡に移されたとし、同地の本住吉神社も同様の創建社伝を残すが、現在の通説では住
吉大社の地に比定する見解が有力視される。
チンチン電車道を阿倍野(天王寺)へ向かって歩く
阿倍野神社~天下茶屋天満宮~聖天山~丸山古墳跡~阿倍野警察署~キューズモール
~JR天王寺駅~アベ地下へ
2019-01-19 22:48
nice!(15)
コメント(2)
天王寺→住吉大社、コースが良いですね!。
万代池で昼食!!!も又、昔叔母の家がその近所に有り?
懐かしい公園です。
チンチン電車もいつまでも走っていてほしい、風景かな?
by mamu7010 (2019-01-22 19:40)
mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
歩こう会、達磨寺で年始祈祷&座禅体験して来ましたよっ!
参加者は79名と年々減少・・・
by taharas (2019-01-23 00:05)