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11月14日の秋の風を感じながら大阪城へ- 2

11月24日         11月14日(水) 秋の風を感じながら大阪城へ-2
                    近鉄駅フリーハイキング  約9㎞
此の日は知人と二人で参加、格好のハイキング日和、近鉄鶴橋駅東改札口で合流して
此の日の私の万歩計は、20290歩で約15km歩いたことに・・・
コース 近鉄ハイキング 鶴橋駅 東口受付 9時半~11時    10時集合
近鉄鶴橋駅東口(受付・スタート)~真田山公園~三光神社~玉造稲荷神社~大阪城~
難波宮跡(昼食休憩)~玉造稲荷神社分社~どんどろ大師(善福寺)~心眼寺~興徳寺
~真田丸顕彰碑~円珠庵(釜八幡)~産湯稲荷神社~JR鶴橋駅へ
志都美駅
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近鉄鶴橋駅東口(受付・スタート)
真田山公園の紅葉
真田山公園は、1939年(昭和14年)大日本帝国陸軍騎兵第4連隊跡地を整備して開園
した。1889年(明治22年)から1932年(昭和7年)の南河内郡金岡村移転まで、当地には
騎兵第4連隊の兵営が置かれていた。現在は大阪府立天王寺スポーツセンター(真田山
プール・アイススケート場)、大阪市立真田山野球場、真田山庭球場が設置されている。
公園周辺は、1614年の大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が活躍した古戦場として知られ、
公園の北側には旧真田山陸軍墓地がある。
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三光神社
当神社は大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原
の遺称)と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神
社となった。創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創
建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。
当神社は古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ毎年恒例の神事とし
て六月一日を祈願の初日と定め七日間往古より今に至るまで変わることなくとり行われ
全国各地からの参拝者が絶えない。
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真田の抜け穴
大坂城の出城のあった処で慶長元和の大阪合戦の頃真田幸村が此の地に偃月城
(えんげつじょう)と名付ける塁を定め本城よりここに至るまで地下に暗道を設けたと
言い伝えられ今なおその跡を三光宮鎮座の階下にあり。
真田幸村の像
真田の抜け穴脇に真田幸村公の陣中指揮姿の銅像を建立(昭和62年5月5日)、
その台座に信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石(名付けて
真田石)が置かれている。
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玉造稲荷神社へ向う
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玉造稲荷神社
当神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇
3年に改築。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣
を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたと
ころ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれています。
その後、天正4年の兵乱により本・末社、旧記等ことごとく焼失しましたが、慶長8年に
豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)が再建されました。大坂の陣で、当地は再び戦
地となり被害をうけましたが、元和5年に徳川幕府の大坂城代 内藤紀伊守を始め、
氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代
を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが、史料に残っています。江戸時代に
は伊勢参りの出発点とされた。文久3年(1863年)11月の大坂大火(新町焼)で焼失
するが、1871年(明治4年)に再建。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもの
で、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
豊臣家奉納鳥居
慶長8年(1603年)、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。阪神・淡路大
震災により基礎に損傷を受け、現在は上部・脚部に分け、境内に置かれている。
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大阪城公園&豊国神社
大阪城公園
大坂城特別史跡地に所在する広大な歴史公園である。
公園内には樹木が多く植えられ、二の丸市正曲輪の梅林、北外曲輪の桃園、西
の丸庭園の桜など、花見シーズンには梅・桃・桜の名所となっている。また、杉山
地区は森林公園となっており、外濠の水辺に集まる野鳥を眺めて家族連れが憩
う姿も見られ、都会のオアシスとして市民から愛されている。

豊国神社(ほうこくじんじゃ)
豊國神社は、大阪府大阪市中央区大阪城に鎮座する神社。
京都府京都市東山区に鎮座する豊国神社の大阪別社として創建された。のちに京
都・豊国神社から独立して豊國神社に改称。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、
豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊
臣秀長も配祀する。
現在の鎮座地である大坂城二の丸は陸軍省の所管だったため、現在の大阪市北区
中之島においての創建となったが、のちに城内(現・大阪城公園)へ遷座された。
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天守閣前広場へ
大阪城(おおさかじょう)
大阪城は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築
された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在する。別称は錦城(き
んじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。
「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれることもあるが、1583年(天正11年)か
ら1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣氏大坂城)の遺構は、
現在全て埋没している。現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元
和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川氏が実質的な新築に相当する修築を
施した大坂城(徳川氏大坂城)の遺構である。1959年(昭和34年)の大阪城総合学
術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府による
ものであることが確認された。
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極楽橋から御座船
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此処までは、
11月14日の秋の風を感じながら大阪城へ-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-11-24
此処では、続きの極楽橋を渡って京橋口へ向かう~の詳細を掲載します。
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大手門へ向かう
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大手門
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難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)の
上町台地の先端付近にあった古代宮殿。
前期難波宮
乙巳の変ののち、645年に孝徳天皇は難波(難波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652
年に完成した。天皇制の始まり、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治
はこの宮でおこなわれた。この宮は建物がすべて掘立柱建物から成り、草葺屋根で
あった。『日本書紀』には「その宮殿の状、殫(ことごとくに)諭(い)ふべからず」と記さ
れており、ことばでは言い尽くせないほどの偉容をほこる宮殿であった。
孝徳天皇を残し飛鳥(現在の奈良県)に戻っていた皇祖母尊(皇極天皇)は、天皇が
没した後、655年1月に飛鳥板蓋宮で再び即位(重祚)し斉明天皇となった。
683年(天武12年)には天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都とした
が、686年(朱鳥元)正月に難波の宮室が全焼してしまった。
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玉造稲荷神社分社
現在、玉造稲荷神社分社の地は江戸時代に玉造を代表する町人である松屋甚四郎、そ
の手代源助が「浪花講」を設立した場所にあたる。甚四郎は唐弓弦師として全国を行商
した経験から、当時の旅は安全性が乏しく、旅人に安全で信頼のおける旅を提供しようと
この組織を設立した。
この「浪花講」は、現在の協定旅館・旅行斡旋業の祖とされ全国へと広がった。全国各地
の旅籠などの軒先には「大坂・浪花講」の看板が掲げられ、旅人らはそれを目印に安心な
宿をとる事が出来た。
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どんどろ大師(善福寺)
善福寺(ぜんぷくじ)は、高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。
山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。鏡如庵大師堂(きょう
にょあんだいしどう)は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の
陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を弔うために創建されたと言う。
鏡如庵とも称する。鏡如庵大師堂のあった付近は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)
では、真田幸村が真田丸を築き、激戦があった。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。
どんどろ大師は浄瑠璃『傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)』に登場し、お弓とお鶴
の母子再会の舞台としても有名です。
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境内のミツマタ
冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科のミツマタ属に属する。中国
中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月ごろにかけて、三つ叉(また)に分
かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春
(啓蟄〔3月6日ごろ〕から清明の前日〔4月4日ごろ〕まで)の季語とされている。皮は和紙
の原料として用いられる。
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心眼寺・・・真田幸村・大助親子のゆかりの地に立つお寺
大阪城の出城である「真田丸」の跡地横に真田幸村・大助父子と深く関係するお寺があ
り、名前を心眼寺といいます。
1622年(元和8年)、大坂夏の陣から7年後に、白牟(はくむ)和尚が戦国武将真田幸村・
真田大助父子の冥福を祈るために建立されました。この白牟和尚は、真田家の祖先滋
野氏の一族だと言われています。
創建から寺の定紋は真田家の家紋である六文銭が使われ、山号は真田山と称します。
門には六文銭が付いています。
入口には「真田幸村出丸城跡」碑がありますが、最近の調査の結果で、出丸城で は無
かったことがわかりました。
境内に「従五位下真田左衛門佐豊臣信繁之墓」が2014年に新たに建立されており、そ
れによると、三日月の形をしていたことから偃月城とも呼ばれていたと書かれています。
真田丸は大坂冬の陣の講和条件により破却されました。
戦国時代とは関係ないが、江戸時代の幕末、坂本龍馬を暗殺したことで有名になった
京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎のお墓もここにあります。
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興徳時
興徳寺(こうとくじ)は大阪府大阪市天王寺区餌差町にある 高野山真言宗 の仏教寺
院。天平年間(729年~749年)行基の開創。度々の兵火に火災を罹り、古記を失う。
天正年間(1573年~1592年)の頃、祐乗上人が再興。大正4年(1915年)6月1日の
火災で本堂・庫裏を失い、わずかに土蔵のみが残った。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲では山門を残して全焼す。その後再興。
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真田丸顕彰碑(さなだまるけんしょうひ)
真田幸村(信繁)が大坂冬の陣の際に築いた砦「真田丸」があったとされる天王寺区
餌差町に「真田丸顕彰碑」が建立され、平成28年2月1日(月)に天王寺区役所主催
の除幕式が行われました。 碑に組み込まれた陶板には、大阪城天守閣所蔵の「大
坂三郷町絵図」と、「大坂冬夏 陣立図」のうち「冬の陣図」が載っています。
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円珠庵(釜八幡)
かつてこの場所には、古くから人々の信仰を集めていた大きな榎の霊木があり ました。
約400年前の大阪冬の陣の折、この地に陣所を構えた真田幸村がその話を聞き、慣習
にならってその木に「鎌八幡菩薩」と称して鎌を打ち込み祈祷したところ、大いに戦績を
上げることができたと言われて、これが鎌八幡の由来。
その後江戸時代初期、国文学者として著名な契沖が境内に居を構え、円珠庵と称して
研究と同時に信仰してきました。この頃からこの寺は必勝祈願の祈祷寺として信仰され
ています。 鎌八幡が悪縁切りとして有名になったのは昭和に入ってから。 大空襲で御
神木を始め境内の多くが失われたものの、見事な再生を遂げました。
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産湯稲荷神社
当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社となっている。
現地に掲げられていた社記によると「当地の開拓神である大小橋命(おおおばせのみこ
と)は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代(4世紀頃?)、ここ味原郷
に誕生した。その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」と
いう。 父は神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人兄弟の長男である」
としている。すなわち、大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣鎌足の先祖に当る人で
ある。 この誕生のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比売許曽神社の近くにある。
また、一説では生野区にある御勝山は大小橋命の墓であるとも言われ、この地には大
小橋命に関わる伝承は多い。
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JR鶴橋駅~天王寺駅
天王寺駅ホームからあべのハルカス
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mamu7010

 大阪城周辺探索、この時期何度行ってもgoo!
今回のベストショットは、三光神社の柿の生る(本?)殿?
それにしても、大阪城も秋深まってますネ。
僕は、興徳寺の鯉の餌やりも楽しいです。
by mamu7010 (2018-11-25 13:12) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
最近は近所の紅葉もすげー綺麗になって来ました。
車で通るだけで歩く機会が無くて撮れませんが良い感じです。
by taharas (2018-11-26 01:44) 

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