8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキング-2
8月21日 8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキングー2
てくてくマップ奈良1 約13㎞
此の日は知人と3名で近鉄てくてくマップ奈良1の矢田寺・松尾寺コースハイキングに挑戦、
しかし矢田寺~松尾寺への道路が崩落して歩く事が出来ず、矢田寺へ戻り、近鉄郡山駅
行きのバスに乗って大和郡山市へ出てお茶して知人二人は近鉄郡山駅へ、私はJR郡山
駅へ、此の日の私の万歩計は、20854歩で約15.4km歩いたことに・・・
コース てくてくマップ 南生駒駅~平群駅だったが平群駅へは道路崩落で歩けず・・・
南生駒駅(スタンプ)~足湯~榁木峠~榁木山大師堂~矢田山遊び森~東明寺~矢田寺
~尾根道~松尾寺~三重搭~石仏群・竹林~地蔵堂~千手観音石仏~地蔵堂~平群駅
矢田寺~松尾寺へ向かう途中の山道が崩落していて歩く事が出来ず、矢田寺から・・・
バス停留所前の
レジャービル(ボーリング&カラオケ&ダンススタジオ&ファミレス等々)
王寺で近鉄生駒線に乗る
南生駒駅(スタンプ)スタート
富雄川&生駒山
足湯へ向かう
足湯
小瀬保健福祉ゾーンの中にある無料の足湯、歓喜の湯
いつも多くの人で賑わっており、なかなか足をつける隙間が空いていることが少ない。
夏の暑い日か、天気の悪い日には空いてる?このひは丁度良く空いてた・・・
泉質も正真正銘の温泉で、美人の湯と言われるアルカリ性温泉。
この施設内には、温泉自動販売機という珍しい施設もあり、100リットル100円で
温泉を持ち帰って、家の湯船に入れて楽しめるという仕組み。
榁木峠へ向かう
榁木峠(むろのきとうげ)・榁木山大師堂
榁木峠に立つ五尺地蔵石仏とも称される峠の地蔵さん。奈良街道八体の石仏の1つ。
榁木山大師堂(むろのきざんたいしどう)
昔は法隆寺の当頭寺院でしたが、明治29年ここ榁木山へ門と共に移転して、本尊は秘
仏の「弘法大師修行成道立像」で、榁の木の「お大師さん」として広く庶民に親しまれる。
矢田山遊びの森へ向かう
少し下り坂
矢田山遊びの森
芝生一面でピクニックやちょっとしたボール投げ程度の遊びならOK。ゴルフの練習や野
球は禁止になってるので、小さいお子さんでも安心して遊べると思います。とにかく芝生
一面で、ちょっと山の中に入るとハイキングコースになっています。
管理棟でトイレ休憩して
池の間を東明寺へ向かう
暫らく登り道が続く
此処から下り道
此処までは、
8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキング-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-21
此処では、続きの東明寺~の詳細を掲載します。
東明寺(とうみょうじ)
東明寺は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院である。山号は鍋蔵山。
矢田寺(金剛山寺)の北方、矢田丘陵の中腹に位置する。当寺は、持統天皇7年(693年)、
舎人親王により開基されたと伝わっている。
矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を江戸時代には勤めていた。
本堂の西側には九・六騒動で活躍した郡山藩家老の都筑云成の墓が現存している。
※舎人親王(とねりしんのう)
舎人親王は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記さ
れる。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父。
天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力と
して権勢を振るう。『日本書紀』の編集も総裁した。子孫の清原氏は高市皇子裔の高階氏
と共に、天武系後裔氏族として長く血脈が続いた。
天武天皇5年(676年)、天武天皇の皇子として誕生。母は新田部皇女。
持統天皇9年(695年)、浄広弐に叙せられ、大宝元年(701年)の大宝令の制定に伴う位階
制度への移行を通じて二品となる。
養老2年(718年)、一品に昇叙される。翌養老3年には元正天皇より異母弟の二品・新田部
親王とともに皇太子・首皇子(のち聖武天皇)の補佐を命じられ、また皇室の年長者として褒
賞されそれぞれ内舎人・大舎人・衛士・封戸を与えられた。養老4年(720年)5月に自らが編
集を総裁した『日本書紀』(紀30巻・系図1巻)を奏上する。同年8月には当時の朝廷最大の
実力者であった右大臣・藤原不比等の薨去に伴って、舎人親王は知太政官事に就任して太
政官の首班に立ち、知五衛及授刀舎人事・新田部親王および右大臣(のち左大臣)・長屋王
とともに皇親政権を樹立する。
没後20年以上たった天平宝字2年(758年)に、第七王子の大炊王が即位(淳仁天皇)するに
及び、翌天平宝字3年(759年)、天皇の父として崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)と
追号されている。
矢田寺へ向かう
矢田寺(やたでら)
矢田寺は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を
金剛山寺(こんごうせんじ)という。
別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。
さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流(ようしんごりゅう)華道の家元として、華道研
究も盛んに行われている。
なお、京都寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺
伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。
寺伝によれば天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通が開基。七堂伽藍四十
八坊を造営、十一面観音菩薩と吉祥天を安置したという。その後の戦乱などにより多くを焼
失し、現在は矢田寺北僧坊・矢田寺大門坊・矢田寺念仏院・矢田寺南僧坊の4つの僧坊を
総称して矢田寺と呼ばれている。
矢田寺の名は万葉の昔からの地名が矢田の里であったことに由来する。
松尾寺へ向かう
山道が崩落(奈良県の立て看板 道路崩落の為行けない)
矢田寺へ引き返す
大門坊
矢田寺から市街地へ下り、バス停留所「横山口」でバスに乗る
全国金魚すくい大会が開催されていた・・・
横山口バス停の向日葵
大和郡山市
金魚の形をした椿の葉(金魚葉椿)
※松尾寺・・・今回は行けなかったが奈良に移り住んでから毎年初詣に行く場所だ
松尾寺は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀
洛山(ふだらくさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。
日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。
境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつの
おさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。
矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。慶長11年(1606年)成立
の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺
は天武天皇の皇子・舎人親王が養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完
成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡
山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。
『続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧に
ついての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは
奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であること
は間違いないと思われる。
てくてくマップ奈良1 約13㎞
此の日は知人と3名で近鉄てくてくマップ奈良1の矢田寺・松尾寺コースハイキングに挑戦、
しかし矢田寺~松尾寺への道路が崩落して歩く事が出来ず、矢田寺へ戻り、近鉄郡山駅
行きのバスに乗って大和郡山市へ出てお茶して知人二人は近鉄郡山駅へ、私はJR郡山
駅へ、此の日の私の万歩計は、20854歩で約15.4km歩いたことに・・・
コース てくてくマップ 南生駒駅~平群駅だったが平群駅へは道路崩落で歩けず・・・
南生駒駅(スタンプ)~足湯~榁木峠~榁木山大師堂~矢田山遊び森~東明寺~矢田寺
~尾根道~松尾寺~三重搭~石仏群・竹林~地蔵堂~千手観音石仏~地蔵堂~平群駅
矢田寺~松尾寺へ向かう途中の山道が崩落していて歩く事が出来ず、矢田寺から・・・
バス停留所前の
レジャービル(ボーリング&カラオケ&ダンススタジオ&ファミレス等々)
王寺で近鉄生駒線に乗る
南生駒駅(スタンプ)スタート
富雄川&生駒山
足湯へ向かう
足湯
小瀬保健福祉ゾーンの中にある無料の足湯、歓喜の湯
いつも多くの人で賑わっており、なかなか足をつける隙間が空いていることが少ない。
夏の暑い日か、天気の悪い日には空いてる?このひは丁度良く空いてた・・・
泉質も正真正銘の温泉で、美人の湯と言われるアルカリ性温泉。
この施設内には、温泉自動販売機という珍しい施設もあり、100リットル100円で
温泉を持ち帰って、家の湯船に入れて楽しめるという仕組み。
榁木峠へ向かう
榁木峠(むろのきとうげ)・榁木山大師堂
榁木峠に立つ五尺地蔵石仏とも称される峠の地蔵さん。奈良街道八体の石仏の1つ。
榁木山大師堂(むろのきざんたいしどう)
昔は法隆寺の当頭寺院でしたが、明治29年ここ榁木山へ門と共に移転して、本尊は秘
仏の「弘法大師修行成道立像」で、榁の木の「お大師さん」として広く庶民に親しまれる。
矢田山遊びの森へ向かう
少し下り坂
矢田山遊びの森
芝生一面でピクニックやちょっとしたボール投げ程度の遊びならOK。ゴルフの練習や野
球は禁止になってるので、小さいお子さんでも安心して遊べると思います。とにかく芝生
一面で、ちょっと山の中に入るとハイキングコースになっています。
管理棟でトイレ休憩して
池の間を東明寺へ向かう
暫らく登り道が続く
此処から下り道
此処までは、
8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキング-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-21
此処では、続きの東明寺~の詳細を掲載します。
東明寺(とうみょうじ)
東明寺は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院である。山号は鍋蔵山。
矢田寺(金剛山寺)の北方、矢田丘陵の中腹に位置する。当寺は、持統天皇7年(693年)、
舎人親王により開基されたと伝わっている。
矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を江戸時代には勤めていた。
本堂の西側には九・六騒動で活躍した郡山藩家老の都筑云成の墓が現存している。
※舎人親王(とねりしんのう)
舎人親王は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記さ
れる。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父。
天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力と
して権勢を振るう。『日本書紀』の編集も総裁した。子孫の清原氏は高市皇子裔の高階氏
と共に、天武系後裔氏族として長く血脈が続いた。
天武天皇5年(676年)、天武天皇の皇子として誕生。母は新田部皇女。
持統天皇9年(695年)、浄広弐に叙せられ、大宝元年(701年)の大宝令の制定に伴う位階
制度への移行を通じて二品となる。
養老2年(718年)、一品に昇叙される。翌養老3年には元正天皇より異母弟の二品・新田部
親王とともに皇太子・首皇子(のち聖武天皇)の補佐を命じられ、また皇室の年長者として褒
賞されそれぞれ内舎人・大舎人・衛士・封戸を与えられた。養老4年(720年)5月に自らが編
集を総裁した『日本書紀』(紀30巻・系図1巻)を奏上する。同年8月には当時の朝廷最大の
実力者であった右大臣・藤原不比等の薨去に伴って、舎人親王は知太政官事に就任して太
政官の首班に立ち、知五衛及授刀舎人事・新田部親王および右大臣(のち左大臣)・長屋王
とともに皇親政権を樹立する。
没後20年以上たった天平宝字2年(758年)に、第七王子の大炊王が即位(淳仁天皇)するに
及び、翌天平宝字3年(759年)、天皇の父として崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)と
追号されている。
矢田寺へ向かう
矢田寺(やたでら)
矢田寺は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を
金剛山寺(こんごうせんじ)という。
別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。
さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流(ようしんごりゅう)華道の家元として、華道研
究も盛んに行われている。
なお、京都寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺
伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。
寺伝によれば天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通が開基。七堂伽藍四十
八坊を造営、十一面観音菩薩と吉祥天を安置したという。その後の戦乱などにより多くを焼
失し、現在は矢田寺北僧坊・矢田寺大門坊・矢田寺念仏院・矢田寺南僧坊の4つの僧坊を
総称して矢田寺と呼ばれている。
矢田寺の名は万葉の昔からの地名が矢田の里であったことに由来する。
松尾寺へ向かう
山道が崩落(奈良県の立て看板 道路崩落の為行けない)
矢田寺へ引き返す
大門坊
矢田寺から市街地へ下り、バス停留所「横山口」でバスに乗る
全国金魚すくい大会が開催されていた・・・
横山口バス停の向日葵
大和郡山市
金魚の形をした椿の葉(金魚葉椿)
※松尾寺・・・今回は行けなかったが奈良に移り住んでから毎年初詣に行く場所だ
松尾寺は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀
洛山(ふだらくさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。
日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。
境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつの
おさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。
矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。慶長11年(1606年)成立
の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺
は天武天皇の皇子・舎人親王が養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完
成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡
山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。
『続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧に
ついての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは
奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であること
は間違いないと思われる。
2018-08-21 01:26
nice!(59)
コメント(6)
お元気そうですね〜♪
矢田寺、行ったことあります。
今日は、暑かったね〜
疲れます!
by hatumi30331 (2018-08-21 23:59)
私は街場も山も歩くのが大好き
いまはできませんが、また歩いてみたいです
自然の中で過ごす時間は何にもまして良いものですね
足湯も好きです
by majyo (2018-08-22 06:56)
hatumi30331さん
コメント有難う御座います!(^^)!
涼しい日々が続いていたのに又暑さがぶり返して来ました。
矢田寺~松尾寺への尾根道を歩くのを楽しみにコースを選んだ
のに矢田寺から尾根道へ登る道が崩落していて矢田寺へ引き
返す羽目になり残念だったが午前の矢田山遊びの森~東明寺
~矢田寺への山道を歩けたのでまあま?満足しました・・・
by taharas (2018-08-22 09:47)
majyoさん
コメント有難う御座います!(^^)!
昨夜は、面白い記事を拝読させて頂き有難う御座います、
私には思ってても書けないが読むのは好き、頑張って下さい。
読んでいて気分爽快になります・・・
by taharas (2018-08-22 09:58)
矢田寺~松尾寺への尾根道は、僕も好きなコースの一つです。
そ~ですか、残念な日もあるのですネ。
矢田山遊びの森~東明寺~矢田寺への山道を歩けた?って、
これまたかったですネ。
by mamu7010 (2018-08-22 20:36)
mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
でもスタンプは南生駒駅で先に貰ってあったので・・・
全国金魚すくい大会の会場前を通ったが見に入る気力も
無く、郡山市では源九郎稲荷餅屋も21日迄休業で買えず?
26日の阿倍野~大念佛寺には本吉さんもスタンプ貰いに来ますよ。
by taharas (2018-08-25 10:47)