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7月18日の「聖武天皇の紫香楽之宮跡を訪ねて」-2

7月21日        7月18日の「聖武天皇の紫香楽之宮跡を訪ねて」-2
                    7月度 歴史探訪の会
此の日は、7月度の歴史探訪の会「聖武天皇の紫香楽之宮跡を訪ねて」に参加した。
参加者13名、大阪に比べると暑さが少し凌ぎ易かったのかな?と思えたが暑い暑い
中を私の万歩計は、10408歩で約7.7km歩いたことに・・・
コース
信楽高原鉄道 紫香楽宮跡駅(受付・スタート)~甲賀寺~鍛冶屋敷跡~新宮神社
跡~宮町遺跡・宮町会館(昼食)~宮町展示室~(タクシー)紫香楽宮跡駅(解散)
出かけの朝
我家の蘇鉄の新葉&琉球朝顔
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草津駅~貴生川駅へ
草津駅で電車に乗る
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草津駅 → 貴生川駅への車窓 
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貴生川駅 → 信楽高原鉄道へ乗り換え紫香楽宮跡駅へ向かう
貴生川駅の信楽高原鉄道?忍び電車
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今度は此の電車で
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紫香楽之宮跡駅(受付・スタート)
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紫香楽之宮跡駅~甲賀寺へ向かう
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紫香楽宮跡(甲賀寺跡) 
信楽高原鐵道の紫香楽宮跡駅から北西へ約lkm、松林に覆われた丘陵地に残る、
国指定の史跡です。 紫香楽宮跡は、奈良時代の天平14年(742)、現在の京都
府木津川市(きづがわし)に恭仁宮(くにのみや)を造営中であった聖武(しょうむ)
天皇が、恭仁宮から東北への道を開いてこの地に造営した離宮であり、たびたび
の行幸の後、3年後に改めて首都と定められました。
緑の松林に囲まれた緩い坂の参道をたどると、金堂跡があり、背後を囲むように
僧坊跡・経堂跡・鐘楼跡・塔院跡などの礎石(そせき)が並び、東大寺とよく似た
建物配置の寺院跡であることがわかります。この寺院は、聖武天皇が紫香楽宮
で大仏造立をはじめた甲賀寺跡だと考えられています。
東西90m・南北110mにわたる広い丘陵地には、建造当時の335個の礎石が残り、
はるか天平時代の雅やかな雰囲気が偲ばれます。
また、ここから北へ約1.5kmの宮町地区にある紫香楽宮跡関連遺跡群調査事務
所(宮町事務所 展示室併設)では、紫香楽宮跡から出土した遺物などを展示し
ています。
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階段を上がって
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僧坊跡
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搭跡へ
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此処までは、
7月18日の「聖武天皇の紫香楽之宮跡を訪ねて」-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-07-21
此処では、続きの塔院からの詳細を掲載します。
塔院
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鍛冶屋敷跡へ向かう
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鍛冶屋敷跡
紫香楽宮跡(鍛冶屋敷遺跡)・・紫香楽宮跡鍛冶屋敷地区
鍛冶屋敷遺跡(かじやしきいせき)または紫香楽宮跡 鍛冶屋敷地区(しがらきのみ
やあと かじやしきちく)は、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬(きのせ)にある古代鋳造所
遺跡。国の史跡に指定されている(史跡「紫香楽宮跡」のうち)。
奈良時代に聖武天皇が営んだ紫香楽宮(信楽宮/甲賀宮)の関連遺跡で、内裏野
地区と宮町遺跡の間に位置する。
銅製品を鋳造した大規模な官営工房群が確認され、坩堝(るつぼ)などが多数出土
していることや、紫香楽宮跡のある場所から少し山を下った所にあることから、甲賀
寺の幻の紫香楽(信楽)大仏建立に使われる銅を供給していたと考えられている。
当遺跡は、新名神高速道路の信楽IC建設工事中に本線と料金所を結ぶランプ上に
発掘された。遺跡が位置する場所は、当初の計画では盛土構造で遺跡は完全に喪
失する工法であった。しかし、滋賀県教育委員会と当時の信楽町教育委員会が200
4年(平成16年)9月に「古代史を理解する上で欠くことができない」として、遺跡の現
地保存を旧日本道路公団(JH)に要請、2005年(平成17年)4月20日に両教育委員
会とJHが、当初の計画からあった隼人川と市道を跨ぐ140mの橋梁を遺跡側に50
m延長し、橋梁で遺跡を跨ぐ橋梁構造に工法変更することで合意した。これにより
遺跡の喪失は免れることになったが、インターチェンジの工費が約1億円増加して
いる。遺跡域は、2010年(平成22年)に新宮神社遺跡・北黄瀬遺跡とともに国の史
跡「紫香楽宮跡」に追加指定されている。
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新宮神社跡
新宮神社遺跡(しんぐうじんじゃいせき)または紫香楽宮跡 新宮神社地区(しがらき
のみやあと しんぐうじんじゃちく)は、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬(きのせ)にある古代
道路遺跡。国の史跡に指定されている(史跡「紫香楽宮跡」のうち)。
奈良時代に聖武天皇が営んだ紫香楽宮(信楽宮/甲賀宮)の関連遺跡で、鍛冶屋敷
遺跡と宮町遺跡の間に位置する。
新名神高速道路の本線工事中に発掘され、2001年2月に滋賀県教育委員会と信楽
町教育委員会が旧日本道路公団(JH)に保存を要請、2001年11月28日に両教育委
員会とJHが信楽ICのランプ橋脚計3本を東に20mずつ、遺跡西側の本線にある紫香
楽橋の橋脚2本を東に10mずつずらすことで合意した。これにより遺跡の喪失を免れ
ることができたが、工費が4000万円増加し、工事の着工も1年遅れている。
2002年(平成14年)の滋賀県甲賀市・鍛冶屋敷遺跡調査の結果では、掘立柱建物三
棟のほか、橋脚遺構と2本の道路遺構を発見。この道路遺構は朱雀路、掘立柱建物
は朱雀路を管理する役所の付随施設であったと推考されている。
遺跡域は、2010年(平成22年)に鍛冶屋敷遺跡・北黄瀬遺跡とともに国の史跡「紫香
楽宮跡」に追加指定され、2015年(平成27年)に一部が追加指定されている。なお、
現在も新宮神社は新名神高速道路の南側に鎮座する。
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宮町遺跡へ向かう
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宮町遺跡・宮町会館(昼食)
宮町遺跡(みやまちいせき)または紫香楽宮跡 宮町地区(しがらきのみやあと みやま
ちちく)は、滋賀県甲賀市信楽町宮町にある古代宮殿遺跡。国の史跡に指定されてい
る(史跡「紫香楽宮跡」のうち)。
奈良時代に聖武天皇が営んだ紫香楽宮(信楽宮/甲賀宮)跡に比定する説が確実視さ
れる。1980年から1982年度にかけて実施された遺跡分布調査とその際の聞き取り調
査で昭和40年代前半に実施された圃場整備事業の時に柱根や遺物が出土していたこ
とが判明したため遺跡の存在が明らかになり、1984年(昭和59年)から発掘調査が進
められている。
その出土した柱根は地元住民の自宅に保管されていたが、1986年(昭和61年)に奈
良国立文化財研究所(現在の奈良文化財研究所)の光谷拓実が開発した年輪年代
測定法によって、伐採年が天平14年(742年)秋から15年(743年)冬の間であること
が判明し、宮町遺跡は聖武天皇の紫香楽宮(742 - 745)の候補地として一躍注目さ
れることになった。2000年(平成12年)の調査で中心部分の巨大な建物跡が検出され、
宮町遺跡が紫香楽宮の宮殿部分であることが判明した。それ以前は、内裏野地区
(1926年紫香楽宮跡として国の史跡に指定)が宮跡とされていたが、上記調査によっ
て宮町遺跡が実際の紫香楽宮跡であると考えられるようになった。現在では、内裏野
地区は聖武天皇の大仏造立に伴って建立された甲賀寺(甲可寺)跡とする説が主流
である。2005年(平成17年)3月には、宮町遺跡を含む19.3haが国の史跡「紫香楽宮
跡」に追加指定され保存が図られている。
当遺跡の確認とほぼ同時期に新宮神社遺跡・鍛冶屋敷遺跡が確認されたため、紫
香楽宮跡周辺の再調査が行われた。また、内裏野地区で発掘された遺物を展示す
る資料室も、宮町遺跡の関連として1998年(平成8年)から開設された。また、遺跡
周辺の施設(公衆トイレ、案内板等)の整備も行われた。ただし、一部の施設は東海
自然歩道の施設に属している。
なお、この遺跡の一部の朱雀大路にあった橋の遺構は、新名神高速道路建設時に
橋梁の場所と重なるため、失われた。
囚われの狸ではありません、ボール遊び等で壊されない様に保護
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宮町展示室へ向かう
宮町展示室
紫香楽宮跡関連遺跡群調査事務所の出土遺物展示室では、 紫香楽宮跡関連遺跡
で出土した遺物等の一部を展示しています。
紫香楽宮跡の概要を解説するDVD(約20分)もご覧いただけます。

宮町展示室~(タクシーで)紫香楽之宮跡駅
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mamu7010

 この時期の歴史探訪の会、参加者13名は妥当?
「聖武天皇の紫香楽之宮跡」は、成程ネって理解できましたか?
ホントに自然いっぱい、それに信楽高原鉄道は良くなってますネ。
by mamu7010 (2018-07-26 08:55) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
遠いからね?奈良方面からは車で来ていました(3台)
電車だと2時間半はかかるが車だと早く来れるからね・・・

by taharas (2018-07-27 22:19) 

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