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5月4日の浅香山緑道2500株のつつじ祭り-2

5月10日       5月4日の浅香山緑道2500株のつつじ祭り-2
               近鉄駅フリーハイキング 歩程約10km
此の日は知人と3名で参加、残念ながら浅香山緑道のツツジは既に咲き終えて
しまってて見る事は出来なかったが、素晴らしいハイキング日和の中を歩けた事
に大満足の一日だった・・・・
コース  布忍駅受付・スタート M吉さんが足踏み式自家用社で見送りに?
布忍駅~大林寺~布忍神社~船堂公園~華表神社~浅香山稲荷神社~浅香山
公園~旧浅香山浄水場つつじ祭り会場~大和川堤防道~今池水みらいせんたー
~天美商店街~河内天美駅(ゴール)
此の日の私の万歩計は、23920歩で約17.7km歩いたことに・・・
志都美駅
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柏原駅で道明寺線に乗り換えて
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布忍駅(受付・スタート)
布忍山 大林寺
当山はもとは東大饗村(東おわい村:現堺市美原町)にあったが、1878年(明治11年)
当地に移転した。寺院の西側を流れる西除川の西岸にあった永興寺(ようこうじ:明治
6年に廃寺)の本尊であった十一面観音像や「布忍山永興寺略縁起」、「大般若経60
0巻」を蔵する。この「布忍山永興寺略縁起」によると、永興寺は1069年(寛治3年)
永興律師により創建され、弘安年中(1278~88年)に大和西大寺の叡尊が中興した
と伝える。又、近くにある布忍山布忍寺は、この永興寺の塔頭と伝えられ、布忍寺に伝
わる「布忍山東坊縁起」には、東之坊は聖徳太子が薬師如来を本尊として創建。814
年(弘仁5年)空海が再建したが荒廃し、寛治3年に永興律師が再興し、永興寺と名付
けたとあり、平安後期には大伽藍を誇った寺院が存在していたと思われる。なお、この
永興寺の本堂は1887年(明治20年)現柏原市にある壺井寺に移築され、現存する。
大林寺は、旧長尾街道に面してある。長尾街道は飛鳥時代の7世紀頃に創られた難
波・河内と飛鳥を結ぶ官道であったといわれる。西除川を挟んで永興寺の鬼門の守宮
であったと考えられる布忍神社がある。
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布忍神社
布忍神社は速須佐男之尊、八重事代主之尊、武甕槌雄之尊の三神を祀っています。
社伝によると十八町北方の天見丘から、この地に勧請したとき道中に白布を敷いて迎
えたためこの地を布忍といい、村里を向井といいます。
本社の鎮座する「布忍」の地名の由来は日本書紀にもある布忍入姫命(ぬのしいりび
めのみ こと、日本武尊の娘のひとり)にあると言われている。本社の創建年について
は明確でない。
古来より布にまつわる言い伝えがあり、病気平癒、毒虫の退治の神と称えられ、近世
では病気平癒、厄除け、交通安全、商売繁盛のご利益で知られる神社。
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長尾街道を船堂公園へ
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華表神社(かひょうじんじゃ)
御祭神:誉田別命、素盞鳴尊、宇賀之御魂命
境内社:天満宮、太神社、玉屋神社、廣田神社
由緒
社記によれば素盞鳴尊は仲哀天皇九年十二月神功皇后筑紫に凱旋あり。翌年 摂津
国難波に至り給ひしときに鎮座あらしめ給ひ宇賀御魂命は嵯峨天皇の弘仁元年五穀
成就の為め沙門空海之を勧請し後、後醍醐天皇の元享元年山城国男山若宮八幡を
勧請して供料三百石を寄せられ勅願所となれりと。
東光山薬師寺と称する神宮寺の外多門院東之坊明王院威徳院西之坊乾坊無量壽院
の七僧坊ありて、栄えたりしが 織田信長に至り供料は没収せられて衰微せり。
明治維新後の神佛分離に際し寺は廃絶し社は同五年村社に列せられる。同四十一年
附近の数社を合祀せり。
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※社名の「華表」とは、
中国で、宮殿・廟宇・陵墓の前に立てられる石柱。神社の鳥居。(「大辞泉」より)
中国で、宮殿や墓所などの前、あるいは大路がまじわる所に立てられる標柱。漢の丁令
威が死後千年たって鶴に化して帰郷し城門の華表に止まったという故事(捜神後記)で
有名。(「ジャパンナレッジ」より)中国の伝統建築様式に用いられる標柱。概要 一般的に
台座、蟠龍柱(とぐろを巻く龍)、承露盤とその上の蹲獣像で構成される。華表は建築シン
ボルの一種であり、すでに中国を象徴するものの一つともなっている。宮殿や陵墓へ続く
参道の入り口両側に置かれ、神道柱や石望柱などとも呼ばれている。という意味・・・

浅香山稲荷神社・・・「浅香山稲荷神社案内板」
昔、この辺り住之江の浦と連なる小さな湾で、そこに小島が出来、遠く推古天皇の御代
(590年代)聖徳太子御巡遊の折、白髪の老翁が太子に、昔より比処に埋る香木有り、
と伝えて去る。太子が不思議に思い、掘らせたところ、果せるかな地中より幾千年も経
たと思われる朽木が出で、これを焼かせたところ馥郁優なる香りたなびき、その時太子
が「浅からぬ香り」と仰せられて、以後この地を”浅香の浦”と呼び、その香木で老翁の
像を刻みここに祀られたのがこの神社の創始と言われています。
後、ここに城を築いて、この神像を稲荷大神と仰ぎ祭られてきた。この稲荷大神とは宇
迦之御魂大神と言い。生活の大本を司り福徳盛運の守護神として伊勢外宮にいます豊
受大神と異名同神と言われます。
時移り世が代わって宝永年間(1704)、旧大和川の水害から流域を守るために大久保
大隈守宰領として流れを変える工事の折、この地の狐塚の所に至り、どうしても工事が
進まず、前日掘った所が翌日は又元に復し、人夫達は恐怖におののき手だしも出来ず、
宰領奉行も神威を畏み、計画を変えこの狐塚を避けることによって大工事を完成させる
に至りました。
後、宰領大隈守は神威を怖れこの狐塚の所に神殿を建立し、現在に至っております。
尚、現神殿は、昭和五十一年七月に改築完成されたものです。
神前の一対の石灯籠は大久保大隈守の寄進にかかり、又自然石の大手洗鉢は当時
の川口奉行等の寄進によるものです。   以上「浅香山稲荷神社案内板」より
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浅香山公園へ向かう
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浅香山公園
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浅香山緑道~浅香山
堺市水道事業発祥の地
旧浅香山浄水場
1910年(明治43年)4月通水。近代水道としては全国18番目である。当初は大和 川
から原水を取水していたが、大和川の水質の悪化に伴って1978年(昭和53年)11月
に取水は中止されている。また、かつての浄水施設も撤去が進み、事実上 「浄水場」
ではなく「配水場」である。厚生労働省の「近代水道百選」に選ばれている。
現在は、淀川から取水した大阪広域水道企業団村野浄水場から送水された浄水や堺
市内の他の配水場からの送水をいったん浅香山浄水場で受水したのち、堺区内に配
水している。配水池容量は高架配水池2池と地下1池で24,000m3。
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此処までは、
5月4日の浅香山緑道2500株のつつじ祭り-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-05-10
此処では、続きの旧浅香山浄水場~
旧浅香山浄水場つつじ祭り会場・・・テントの中で昼食
テントが張られてテーブルとイスが容易されていたが観客は少なく
つつじの花は全く無い状況だった・・・
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緑道へ出て、栴檀の花が満開
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大和川堤防道路を河内天美駅へ向かう
草藤やれんげも・・・
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此処の方が未だツツジが残っている
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狭間川と大和川の合流地点をぐるっと回って
大和川の河川敷を眺めながら堤防道を歩く
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南海電車の鉄橋
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JRの鉄橋
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大和川
草藤
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西除川と大和川の合流地点をすぎて
大和川の河川敷きを眺めながら堤防道を歩く
草藤、タンポポ、ツツジ
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水門の阪を右手へおりて今池水みらいセンターを歩く
今池水みらいセンター
大和川下流流域下水道今池処理区は、大和川に流入する西除川、東除川の下流域
を処理区とした流域下水道です。これらの河川の水質保全と大和川沿いの低地の浸
水防除を目的とし、大阪市・堺市・八尾市・富田林市・松原市・羽曳野市・藤井寺市・大
阪狭山市の計8市にまたがり計画されています。
本流域下水道は昭和41年度より計画調査を行い、昭和45年度に事業着手された。
平成25年度末の処理能力は138,000m3/日となっています。

西除川堤防へ出て
西除川堤防を歩く
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天美商店街を通り河内天美駅へ向かう
下高野街道の看板が・・・
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此の天美商店街を抜けると河内天美駅
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コメント 2

mamu7010

 浅香山緑道2500株のつつじ祭り、良い時も悪い時も、、普通?
理由はどうあれ、連休中空いてる場所で良かったようナ。
でも、後半の大和川→西除川コースがちょっとネ?

by mamu7010 (2018-05-12 20:04) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
by taharas (2018-05-15 02:35) 

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