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12月9日の酒蔵みてある記 稲田酒造「稲天」-2 

12月12日       12月9日の酒蔵みてある記 稲田酒造「稲天」-2 
                近鉄 酒蔵みてある記ハイキング
いよいよ始まる近鉄の酒蔵みてある記ウオーク、甘酒の飲める季節になりました。
此の日はひとりで参加、416番・・・先着1000人様に甘酒ふるまい有り
近鉄駅フリーハイキング 天理駅受付10時~11時  10時集合  歩程約10㎞
天理駅(受付)~市座神社~西山古墳~西乗鞍古墳~東乗鞍古墳~夜都岐神社
(やつぎじんじゃ)~天理観光農園~内山永久寺~石上神宮~天理参考館~稲田
酒造・甘酒ふるまい・試飲・抽選会(解散)~天理駅
日本酒の苦手な私が唯一飲める日本酒、天理の稲田酒造「稲天」、正月のお屠蘇
用に「稲天」純米吟醸酒を購入して帰った。何時もの事ながら甘酒も美味しかった。
此の日の私の万歩計は、19127歩で約14.1km歩いた事に・・・
志都美駅から葛城山二上山
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天理駅(受付)
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市座神社へ向う
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市座神社
参道の入口左側には丹波から遷されたという恵美須神社、また本殿の右側には妙
見社があります。創祀は不明ですが、事代主命を祀り、今も丹波市の名にふさわし
く市場の守護神として尊崇されています。
奧の境内は広く、一角には明治時代まで橋として使われていた大きな石が立てかけ
られており、この石は緑色をしており、もともとは古墳に収められた石棺の蓋でした。
橋として近代まで転用されていただけあって、とても大きなものです。今では面影が
ありませんが、近くには古墳がたくさんあったそうです。この石もその中の一つの古
墳で使われたものと考えられます。
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西乗鞍古墳へ向かう
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※西山古墳
杣之内町に所在する全長約190メートルの前方後方墳で、墳丘は3段築成だが、上段
を前方後円形、下段を前方後方形に築く独特な墳形である。前方後方形の古墳として
は、全国でも最大の墳丘規模である。年代は、4世紀に築造された古墳時代前期後半
の古墳である。国指定史跡。

西乗鞍古墳
杣之内町に所在する全長約118メートルの前方後円墳である。1981年の発掘調査で
は、古墳南側の濠が発見され、多量の埴輪が出土している。年代は、6世紀前半に築
造された古墳時代後期の古墳である。
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夜都岐神社の鳥居へ向かう(鳥居で左折)
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※東乗鞍古墳
杣之内町に所在する全長約75メートルの前方後円墳です。後円部には長さ9メートル
ほどの横穴式石室があり、内部には石棺が遺存しています。6世紀前半に築造された
古墳時代後期の古墳です。

夜都岐神社(やつぎじんじゃ)
夜都岐神社は、奈良県天理市にある神社である。旧社格は村社。夜都伎神社とも書
かれ、「やつき」「やとぎ」などとも読まれる。乙木(おとぎ)集落の北端に鎮座する。式
内小社「大和国山辺郡 夜都伎神社」の論社である(他の論社は同市竹之内町の十
二神社と田井庄町の八剣神社)。夜都岐は、於都岐(乙木)の誤写とする説もある。
全国にある八剣神社との関係の可能性も考えられる。
祭神は、武甕槌命・姫大神・経津主命・天児屋根命。
乙木には元は夜都伎神社と春日神社の2社があったが、夜都伎神社の社地を約400
m東南の竹之内の三間塚池(現在の十二神社の社地)と交換し、乙木は春日神社1
社のみとして社名を夜都伎神社に改めたものと伝えられる。
乙木村は、古くは興福寺大乗院及び春日大社領の乙木荘で、そのため春日大神を当
地に勧請したものとみられる。約200m北に東乗鞍古墳、約300m北西に西乗鞍古墳
があり、当地も宮山(たいこ山)と呼ばれ、古墳を削平して神社を造営したと言われて
いる。春日大社との関係が深く、江戸時代末期まで「蓮の御供」という神饌を献上して
いた。春日大社からは、古くなった社殿・鳥居を60年毎に夜都岐神社に下賜して使用
させる伝統があり、応永13年(1406年)には春日大社の第四殿を下賜されている(春
日大社文書)。また、寛正2年(1461年)4月6日には大乗院の尋尊が参詣に訪れてい
る(大乗院寺社雑事記)。現在の本殿は明治39年に春日大社から移された建物。拝殿
はこの地方では珍しい萱葺である。
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天理観光農園へ向かう
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正月桜?冬桜?10月桜
家の近所の介護老人ホームに有る「10月桜」と同じに見える
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天理観光農園
天理市の観光名所「山の辺の道」沿いに立地。約1ヘクタールの園内に早生温州みかん
約800本が植林。みかん狩りがたっぷり楽しめます。カフェ、あわ餅つき、バーベキュー、
部屋の貸し出し等。利用方法は自由自在。ご相談下さい。
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内山永久寺跡へ向かう
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此処までは、
12月9日の酒蔵みてある記 稲田酒造「稲天」-1 として 
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-12-12
続きは、内山永久寺跡~
内山永久寺跡展望台
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内山永久寺跡
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は天理市杣之内町にかつて存在した廃寺です。平安
時代後期の永久2(1114)年に鳥羽天皇の勅願により興福寺僧頼実が創建したと伝えら
れ、往時は壮麗な大伽藍を誇ったといわれます。しかし、明治年間の廃仏毀釈より徹底
的な破壊を受け、いまは境内の池などにわずかに面影を残すに過ぎません。
内山永久寺は院号を金剛乗院といい、真言宗(古義派)に属し、阿弥陀如来を安置して
いたとされます。創建時の年号によって永久寺と称し、その地が五鈷杵(ごこしょ)の形を
して内に一つの山があったので内山と号したといわれています。
鎌倉時代の古文書によって寺運の隆盛が偲ばれ、延元元(1336)年には後醍醐天皇も
吉野に行幸する際に当寺に立ち寄っています。室町時代には「大乗院寺社雑事記」にし
ばしば金剛乗院または内山永久寺のことが記載されています。寺領は最盛期には971
石に達し、境内は五町四方の広大な地域をしめたといわれます。江戸時代末期まで40
有余坊の伽藍があり、上街道の浄国寺北側より永久寺西門に至る間に石畳を敷き、参
詣者が常に絶えなかったといいます。元治元(1864)年には勤王派の絵師冷泉為恭(れ
いぜいためちか)も一時この寺に身を寄せた記録が残っています。
明治維新後に寺領の返還、境内の土地や伽藍の売却などの変事があり、明治9(1877)
年までに「大和の日光」ともうたわれた豪華な堂坊が礎石から瓦一枚に至るまでとりのぞ
かれました。現在は本堂池がわずかに当時の面影を残すのみとなっています。貴重な仏
像、障壁画、仏画等は散逸し、一部は国外にも流出しています。
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石上神宮へ向かう
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石上神宮
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代
信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神
として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7
年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」
「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふ
つのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮
中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
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天理参考館へ向かう
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天理参考館
当館は世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示する博物館です。
各地の資料を通して、それぞれの地域に住む人々の生活や歴史を知り、お互いのここ
ろを理解することを目的としています。
当館は、1930年(昭和5年)、天理外国語学校(天理大学の前身)の中に設けられた海外
事情参考品室を活動のはじめとします。創設者の中山正善・天理教二代真柱は、天理
教を海外に広める人材を育てるためには言葉の習得だけではなく、現地の風俗・習慣
もあわせて学ぶことが必要だと考えられたのです。
そして現在では、約30万点にも及ぶ資料を収蔵する博物館となり、一般に広く公開して
います。2001年(平成13年)11月、当館は新築の建物が完成し、装い新たに再オープン
しました。収蔵資料の中から約3000点を「世界の生活文化」・「世界の考古美術」の2部
門にわけて展示しています。
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天理教本部へ向かう
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天理教本部
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖
とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人
天理教)およびその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義に
は中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。
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稲田酒造へ向かう
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稲田酒造・・・HPより
稲田酒造合名会社はJR・近鉄天理駅から東西に伸びる三島本通り商店街にある創業
130年余りの酒蔵です。 小さな蔵元ですが造り手、売り手、飲み手が一本の糸で結ば
れ、それぞれの顔が見える状況にあること、人と人との繋がりを大切にすることをモット
ーに営業しております。
また昭和45年より造り酒屋のおいしい奈良漬けとして白瓜、きゅうり、スイカ、守口大根、
生姜等の奈良漬けを製造・販売させていただいております。
・甘酒ふるまい・試飲・抽選会・販売等・・・甘酒が美味しかった
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天理駅へ向かう
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正月のお屠蘇用に購入
日本酒の苦手な私が唯一飲める「稲天」純米吟醸酒 720mL
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mamu7010

 むかしから天理観光農園は好きな場所の一つで裏のトイレの前
駐車場に車を入れるたび新しいもの・遊び場所を見つけました。
売店もさま変わりしていきましたが、今は?

by mamu7010 (2017-12-14 07:42) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
天理観光農園は今回もすどおり、此れまでにも
私は、トイレ以外には入った記憶が無く、何とも・・、
by taharas (2017-12-15 00:47) 

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