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12月7日の心和む寺社巡りと大阪城を目指して-2

12月10日        12月7日の心和む寺社巡りと大阪城を目指して-2
                  近鉄 駅フリーハイキング 
コース  近鉄 駅フリーハイキング 今里駅受付9時半~11時  9:40集合
今里駅(受付)~熊野大神宮~妙法寺~玉造稲荷神社~大阪城~難波宮跡~
三光神社~心眼寺~真田山公園~鶴橋駅(ゴール)
此の日の私の万歩計は、21418歩で約15.8km歩いたことに・・・
今里駅(受付)~熊野大神宮へ向かう
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熊野大神宮(くまのだいじんぐう)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか五柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇
2年の創建と伝えられます。石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17
世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社
で、熊野権現と称し、明治5年(1872)に現社号に改め、同44年(1911)旧東今里村
氏神八剣神社を合祀しました。
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妙法寺(みょうほうじ)
妙法寺は、正保2年(1645年)に日嚴上人(本興寺第二十二世)を開基と仰ぎ開創
されております。現住職日優まで三十一世代を連綿と法燈を継承して、実に350年
の歴史を有する法華宗の寺院であります。当山は他宗寺院のように山川に囲まれた
中にあるのではなく民衆の中にあり、市井において正しい教えである法華経を弘め
ねばならないという立場から山号は用いておりません。
創建当時には幹の周り1丈2尺、東西に張った枝の長さ10丈7尺、高さ3丈9尺とい
う「妙法寺の松」と呼ばれる名高い松の木があり、天保年間(1830年頃)には庶民
に通称「松の寺」と呼ばれて親しまれていたようです。
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今里一番街
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振り返って
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玉造稲荷神社へ向う
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玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇3年に
改築。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣を
敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願された
ところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれています。
その後、天正4年の兵乱により本・末社、旧記等ことごとく焼失しましたが、慶長8
年に豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)が再建されました。
大坂の陣で、当地は再び戦地となり被害をうけましたが、元和5年に徳川幕府の
大坂城代内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲
荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたこと
が、史料に残っています。しかし、文久3年11月の大坂大火(新町焼)を経て、明
治4年氏子・崇敬者により再建。国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和
20年6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けましたが、戦後は新
憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となりました。
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森ノ宮 キューズモール
大阪府中央区にある「もりのみやキューズモールBASE」は、スポーツをテーマに
したエアトラックのあるとても珍しいショッピングモールです。
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大阪城公園
大坂城特別史跡地に所在する広大な歴史公園である。
公園内には樹木が多く植えられ、二の丸市正曲輪の梅林、北外曲輪の桃園、西
の丸庭園の桜など、花見シーズンには梅・桃・桜の名所となっている。また、杉山
地区は森林公園となっており、外濠の水辺に集まる野鳥を眺めて家族連れが憩
う姿も見られ、都会のオアシスとして市民から愛されている。
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此処までは、
12月7日の心和む寺社巡りと大阪城を目指して-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-12-10/
続きは、豊国神社~
豊国神社(ほうこくじんじゃ)
豊國神社は、大阪府大阪市中央区大阪城に鎮座する神社。
京都府京都市東山区に鎮座する豊国神社の大阪別社として創建された。のちに京
都・豊国神社から独立して豊國神社に改称。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、
豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊
臣秀長も配祀する。
現在の鎮座地である大坂城二の丸は陸軍省の所管だったため、現在の大阪市北区
中之島においての創建となったが、のちに城内(現・大阪城公園)へ遷座された。
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大阪城(おおさかじょう)
大阪城は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築
された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在する。別称は錦城(き
んじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。
「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれることもあるが、1583年(天正11年)か
ら1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣氏大坂城)の遺構は、
現在全て埋没している。現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元
和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川氏が実質的な新築に相当する修築を
施した大坂城(徳川氏大坂城)の遺構である。1959年(昭和34年)の大阪城総合学
術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府による
ものであることが確認された。
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大坂城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の
本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でも
あった。元々は古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初
期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。『信長公記』
によると信長はこの立地を高く評価しており、跡地にさらに大きな城を築く予定であったと
いう。石山合戦終結後は織田信長の命令で丹羽長秀に預けられた後、四国攻めを準備
していた津田信澄が布陣し「千貫矢倉」もあった(『細川忠興軍功記』)が信澄は本能寺の
変の際に、丹羽長秀に討たれた。その後、清州会議で池田恒興に与えられるも、ただち
に美濃へ国替えとなり、秀吉によって領有された。そして秀吉によって大坂城が築かれ、
豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡ととも
に焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め
再建した。その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠
点となった。文献等にもよるが、日本三名城のひとつに数えられる場合もある。

極楽橋から
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京橋口から
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西外堀
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難波宮跡へ向かう
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難波宮跡(なにわのみやあと) 昼食休憩
大阪市中央区法円坂の一帯に広がっている史跡公園。昭和36年(1961)、大阪市立大
学教授の山根徳太郎博士の発掘調査により、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難
波宮跡が確認された。現在では、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲
が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられている。史跡は2種類の方法
で示されていて、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが神亀3年(726)か
ら造営された後期難波宮、一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、
サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新」による難波遷都の後、白雉(びゃ
くち)元年(650)から造営が始められた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)
=前期難波宮となっている。また、公園の中央北寄りには、天皇が国家の公式行事をお
こなう際に使用したとされる大極殿も復元されており、その上からは大阪城を眺望するこ
とができる。
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三光神社(さんこうじんじゃ)
大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原の遺称)
と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神社となっ
た。創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後
神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。当神
社は古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ毎年恒例の神事として六
月一日を祈願の初日と定め七日間往古より今に至るまで変わることなくとり行われ全
国各地からの参拝者が絶えない。
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善福寺・・・どんどろ大師
どんどろ大師 善福寺は、大阪市天王寺区にある真言宗の寺院である。 どんどろ大師は、
鏡如庵大師堂として江戸時代の宝暦年間(1751-1764)に開創されたもので、弘法 大師
を祀っている。 天保5年(1834年)、大坂城代として赴任した土井利位(としつぐ)が 弘法
大師を深く信仰し参拝していたことから、「土井様のお大師様」とよばれ、それが訛っ て
「どんどろ大師」となった。 明治42年(1909年)に、摂津国能勢郡木代(大阪府豊能町 )
から善福寺が当地に移転してきた。
「お弓 おつる 歌舞伎[傾城阿波の鳴門]どんどろ大師 門前の場」。 歌舞伎の演目の場
面となった場所。
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心眼寺(しんがんじ)
元和8年(1622)4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立した
のを嚆矢(こうし)とする。境内地は幸村が戦捷(せんしょう)をおさめた大坂冬の陣の大
阪城出丸城郭跡で、幸村鎧掛けの松の木もあったが、昭和20年(1945)の大阪大空襲
により堂宇ともども焼失した。創建から寺の定紋は真田家家紋の六文銭とされ、山号は
真田山と称する。復興をみた現在の山門扉にも、定紋の浮彫が鮮やかである。
山門前に立つまんなおし地蔵尊が開運を導く地蔵として古来信仰を集めてきた。幕末
見廻組の武士で坂本龍馬らを襲撃した桂早之助・渡邊吉太郎の墓がある。
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真田丸顕彰碑
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興徳寺・・・ 隆法山 興徳寺  高野山 真言宗
聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)
に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界
大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。元禄
年間(1688~1704)に作製された「大坂三郷町絵図」(大坂城天守閣蔵)では現在地にお
寺が存在していた事が確認できます。現在の本堂は昭和27年に再建。たくさんの方々
のご協力により、今に至っています。
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真田山公園
真田山公園は、1939年(昭和14年)大日本帝国陸軍騎兵第4連隊跡地を整備して開園
した。1889年(明治22年)から1932年(昭和7年)の南河内郡金岡村移転まで、当地には
騎兵第4連隊の兵営が置かれていた。現在は大阪府立天王寺スポーツセンター(真田山
プール・アイススケート場)、大阪市立真田山野球場、真田山庭球場が設置されている。
公園周辺は、1614年の大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が活躍した古戦場として知られ、
公園の北側には旧真田山陸軍墓地がある。
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鶴橋駅(ゴール)

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コメント 6

tarou

お早うございます、香積寺(香嵐渓)に
コメントを有難うございました。

お寺、神社をめぐりながら、大阪城を見物、
お堀の紅葉がとても綺麗ですね。
by tarou (2017-12-11 07:33) 

mamu7010

 お堀の屋形船?良いですネ。
いつか乗りたいですね。
こうしてみると眞田さん、大阪では大人気です。
でもやっぱり大阪で偉いのは、太閤さんですか?
by mamu7010 (2017-12-11 08:21) 

hatumi30331

大阪城に行って来たんですね。^^
観光客多かったでしょう?
屋台舟や、いろいろ〜
大阪城も観光客目当てに変わって来たよね。^^
by hatumi30331 (2017-12-11 08:43) 

taharas

tarouさん
コメント有難う御座います!(^^)!
♪松をいろどるかえでやつたは山のふもとのすそ模様♪
つい、口ずさむ今日この頃です、モミジがきれいですよね・・・
by taharas (2017-12-11 10:29) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
9日は天理の稲田酒造、10日は地元の健康イベント、
ササユリウオークで片岡城跡を歩いてきましたよっ・・・・
by taharas (2017-12-11 10:38) 

taharas

hatumi30331さん
コメント有難う御座います!(^^)!
9日は近鉄ハイキングで酒蔵、天理の稲田酒造の甘酒へ?
昨日10日は地元の健康イベント、ササユリウオークで町内
の片岡城跡へ落ち葉の感触を楽しみに歩いてきました・・・
元総理細川のお殿様の先祖の出世の始まりと松永久秀と其の
子孫の墓参の話で片岡城跡で盛り上がった、近くにこんな城が?
by taharas (2017-12-11 10:52) 

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