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10月19日の磐城駅からふたがみパーク&大倉本家へ

10月21日     10月19日の磐城駅からふたがみパーク&大倉本家へ
                 歴史探訪の会 ハイキングコース下見
雨の中、来年3月度の歴史探訪の会ハイキングのコース下見に行って来ました。
コースは、磐城駅~長尾神社~当麻寺~石光寺~ふたがみパーク&道の駅(昼)
~大倉本家(試飲) 酒蔵 大倉本家13:00~13:30頃 利き酒3種類 500円予約
帰りは 近鉄南大阪線 当麻寺駅へ15分
ガイド予約・・・9時55分に葛城市観光ボランティアガイド(松下さん)と待ち合わせて
長尾神社~ふたがみパーク迄案内して貰いました。 雨の中を有難う御座いました。
来年の3月に 又宜しくお願いします。
 
ふたがみパークで昼食後、道の駅を覗いて大倉本家へ、45分あるいて到着・・・
大倉本家で利き酒を楽しんで当麻寺駅前へ、中将堂で煎茶セットを、美味しかった!
当麻名物の中将餅を土産に、私の万歩計は、17890歩で約12km歩いた事に・・・
来年3月14日(水)の大倉本家での利き酒と葛城市観光ボランティアガイドを予約。
磐城駅~長尾神社
大和の大蛇の尾っぽに当たる長尾神社。
その社名からも長い尾っぽが想像されるわけですが、その昔、三輪山を何重にも
取り巻く大蛇がいたことから、蛇の頭を大神神社、尾っぽが長尾神社に相当する
と伝えられます。長尾は交通の要所、竹之内街道と長尾街道の交わる場所。

長尾神社
葛城市長尾に鎮座する長尾神社では、御祭神は水光姫命(みひかひめのみこと)
と白雲別命(しらくもわけのみこと)が祀られています。
当社の創建は明らかではありませんが、平安時代の書物である「三代実録」や「延
喜式(えんぎしき)」神名帳(927年)にも記載される葛下郡の式内社で、とても古い
歴史を持つ神社です。
また放光寺古今縁起(ほうこうじここんえんぎ)(1443年)には、飛鳥時代に天武天
皇が壬申の乱で勝利したことから、その報賽(ほうさい)としてこの地を神地と定めら
れたと記されています。
古代においてこの長尾神社の場所は、大阪方面から竹内街道を通って大和へ入り、
飛鳥の藤原京に至る古代の大道「横大路」の西側の入口となる所であり、重要な場
所に社地を構えていました。
そして現代に至っても、この長尾の地は竹内街道や長尾街道などの主要な街道が
集まり交差する、交通の要衝であることから、この街道を行き交う人々の守護神、
いわゆる交通安全の神様としても、厚く信仰されています。
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此の神社最古の絵馬
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竹之内街道
大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、長尾神社付近に
至る約26kmの街道で、推古天皇21年に開通した飛鳥の都と難波を結ぶ、最古の
官道です。沿道には古社寺や旧跡が多く、かつては旅人を泊めるための宿場町と
して栄えました。松尾芭蕉が訪れた地として有名で、沿道の綿弓塚には芭蕉の歌
碑が建立されており、俳人の憩いの場となっています。また司馬遼太郎(しばりょ
うたろう)氏の母の実家が竹内にあったため、氏は幼少期をこの地で過ごしました。
その著書『街道をゆく』の中でも竹内街道のことを語っています。
二上山の南麓を通って、大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路の一つ。日本
最古の官道といわれる。大阪府堺市大小路から竹内峠を通り、奈良県葛城市に
所在する長尾神社までの約26 kmの道が現存しているが、両端の難波、飛鳥とも
市街地になっていることから、かつて幅30 mあったとされる飛鳥時代の大道の面
影は残されていない。街道沿いには、応神天皇陵、仁徳天皇陵、推古天皇陵をは
じめとする古墳が多数あることから、物資輸送路、文化伝達路として重要な役割を
果たした幹線通りと考えられている。古市古墳群と百舌鳥古墳群のほぼ中央部を
走る東西道路であり、2つの古墳群を繋ぐ道路であったとも考えられる。長尾街道
より遅れて敷設されたと考えられる。また、この街道を直線道路として東西に延長
すれば誉田山古墳南端の後円部に、大山古墳の南東端部の前方部に接して通っ
ていることになる。つまり、この二つの巨大古墳は地図上の北緯線上に造られて
いることが分かる。竹内街道の名は、奈良県葛城市にある竹内集落を通って竹内
峠を越えていくことに由来する。
竹内街道は『日本書紀』の推古天皇21年(613年)の条に「難波(大阪)より京(飛
鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた難波大道などと同様、日本最古の
「官道」である。一説には、聖徳太子が小野妹子らが中国大陸への使者として派
遣された遣隋使が帰国の際に同行してくる大陸からの使者が通るために、立派な
道路が必要だと考えて整備したものだといわれる。現在の竹内街道は、大部分は
推古天皇時代の官道と重なっている。東側は奈良盆地南部を東西に横切る官道
横大路に繋がっている。 かつては丹比道(たじひみち)と言われた。丹比野を横断
するのでその名が付いたと推定されている。天武天皇元年7月1日(672年)の条
に「会明に、西の方を臨み見れば、大津・丹比、両の道より、戦の衆多に至る」とみ
え、壬申の乱にも使われていたことが分かり、長尾街道と竹内街道であると推定さ
れている。
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長尾街道
長尾街道は、日本書紀の推古天皇二十一年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に
至る大道(おおじ)を置く」と記されていた日本最古の「官道」である「竹内街道」の北
1,908m(但し計画値)に平行して整備された。 古くは「大津道」と呼ばれた。大津の
名は、羽曳野市北宮にある式内大津神社に由来するといわれるが、大和川と石川
の合流地点が大津と呼ばれた時期があったことがあり、その大津に至る道という意
味で大津道といい、細長い海岸浜堤を長狭(ながお)といい、その特徴から長尾街
道と名が付いたという。
奈良時代以降になると、その北側に「竜飛道」(のちの奈良街道)が整備された。河
内国府(現在の土師ノ里駅付近)で本道と合流し、国分(現在の河内国分駅前)で分
かれた、難波京・住吉津と飛鳥・平城京を結ぶ重要な経路となった。

當麻寺
當麻寺は、612年に用明天皇の第3皇子麻呂子王が河内国に建てた万法蔵院に始まり、
その後、麻呂子王の孫當麻真人国見が役行者ゆかりの現在地に移したものといわれま
す。681年に弥勒仏を本尊として金堂が創建され、以後、講堂・千手堂(現・曼荼羅堂)・
東西両塔などの諸堂宇と、中院(現・中之坊)をはじめとする塔頭寺院が順次完成してい
きました。 創建当初は三論宗を奉じる学問寺院でありましたが、823年(弘仁14年)に空
海が当寺に参籠してから真言宗となり、當麻曼荼羅を中心として修法・観想・祈祷など
の仏道実践を重んじる密教寺院に転化した。この當麻曼荼羅は中将姫が一夜で織りな
した伝説とともに全国的に広まり、多くの参詣者を迎えて浄土信仰の霊場として栄えた。
この浄土信仰の高まりによって、南北朝時代には京都知恩院が當麻寺境内地に往生
院(現・奥院)を建立することになり、後に浄土宗が参入する契機となりました。この結果、
現在は真言宗と浄土宗の併立となっています。
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ゆうあいステーション(葛城市の福祉施設)
雨天の場合の昼食場所に・・・・
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石光寺へ向かう
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石光寺
石光寺(せっこうじ)は、奈良県葛城市にある浄土宗の寺院である。山号は慈雲山。本尊
は阿弥陀如来。出土遺物等から飛鳥時代後期(白鳳期)の創建とみられる古寺で、中将
姫伝説ゆかりの寺院である。境内には中将姫が蓮糸曼荼羅を織成する際に蓮糸を染め
たという井戸「染めの井」と、糸を干したという「糸掛桜」があり、「染寺」と通称されている。
観光的にはボタンの寺として知られ、境内にはボタン、シャクヤク、アジサイ、サクラ、サル
スベリなどが植えられている。関西花の寺二十五霊場20番札所である。
役小角の開山と伝えられる。『元亨釈書』等に記載される縁起によれば、天智天皇(在位
668〜671年)の時代、霊光を放つ大石が見つかり、天皇の勅命を受けてこの石に弥勒如
来を彫らせ、堂宇を建立したのが始まりとされる。1991年(平成3年)には弥勒堂改築に伴
う発掘調査の結果、飛鳥時代後期(白鳳期)の石造如来坐像、瓦、塼仏が出土した。この
時の発掘調査で、平面五間x四間の堂跡が検出され、前述の石仏はこの堂に安置されて
いたものとみられる。また、境内に飛鳥時代後期といわれる塔の心礎がある。
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染の井
中将姫が蓮糸曼荼羅を織成する際に蓮糸を染め
たという井戸「染めの井」と、糸を干したという「糸掛桜」
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境内に飛鳥時代後期といわれる塔の心礎がある
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ふたがみパーク(二上山ふるさと公園)
ここでボランティアガイドの松下さんと別れて弁当タイム
二上山のふもとに広がる自然公園で、ピクニックに最適な広い芝生広場があります。夏に
なると水遊び場に変身する水辺のテラス、木製コンビネーション遊具、ログハウス調のおも
ちゃ館など子どもたちが大喜びする自然遊びがたくさんあります。
また奈良盆地が一望できる456段の石段を上るとそこは国見の丘?ぜひ一度登って・・・
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昼食後に道の駅を覗いて大倉本家へ向かう
此処で雨もあがって、振り返ると二上山が・・・
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大倉本家(試飲)酒蔵 
大倉本家・・・HPより引用
明治29年(1896年) 大倉勝治商店として創業。
以来、吟醸酒には「速醸酒母」も用いますが、それ以外は普通酒に至るまで、すべて山廃
酒母で仕込んでいます。「酒は本来、素朴・端正をもって極上とする」、此れが家訓。
昭和7年頃より 奈良県神社庁の委託を受け、「御神酒」造りが始まりました。
戦時中 原料米を入手するのが困難な状況においても、品質第一のお酒のご提供をさせて
頂き、戦後2代目勝治のもと、販路を拡大させて頂けたと聞いております。
3代目勝彦のときに 特定名称酒醸造を開始しました。地元で強い地盤を持たさせていただ
け、最盛期は年間6000石近い販売量がありました。この間 全国新酒品評会で金賞をいた
だいたこと数回。しかし、諸々の事情で平成12年秋の濁酒の仕込みを最後に、休造を決断
します。創業以来はじめて 蔵は酒造りのない冬を経験することになりました。
その後 横浜より隆彦(現4代目蔵元)が戻り、酒造り再開に向けて先代と話合いを繰り返し
ます。何とか再開を了承していただき、長年「金鼓」で指揮をとって下さっていた杜氏の皆さ
んが蔵入り。3年ぶりに酒造りを再開させて頂くことになりました。
現在の蔵のキーワードは「山廃」と、「自家栽培米ひのひかり」、そして「水もと仕込み濁酒」。
創業以来 頑なに守り続けてきた山廃仕込み、それこそは「金鼓」「大倉」の味を形成するも
の。蔵復活にあたり、その伝統の秘技を余すことなく継承するのが、責務と考え、地の水・
空気・太陽で育った「ひのひかり」を使用することで、本来の地酒屋を目指します。 
※【地酒】その土地でできた酒(風土 米 すべてにおいてMade in 鎌田の酒)
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この3種類の利き酒を500円で・・・
下戸の私は、最初の”陽の光”が飲み易く美味しくて、酔ってしまい残り2杯は知人達に・・・
3人とも各々好みのお酒を購入して、表で集合写真を撮って貰って當麻寺駅へ
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当麻寺駅前でよく立ち寄る中将餅屋?
中将堂本舗・・・HPより引用
中将堂本舗の中将餅(よもぎ餅)は、葛城の里に昔から伝わる掌大のあんつけ餅を
一口の大きさにし、ぼたんの花びらを型どったものです。
よもぎの香りと甘味を押さえた独特のあんとの調和、優れた品質のものをと思い、材
料の餅米も当店で丹精込めて実らせた物を使用し、葛城の里に自生するよもぎをふ
んだんに活用しております。あんは、さらっとしたこしあんに大納言の粒を少量加え
あっさりした中にも、こくのある味わいに仕上げております。 だそうです・・・・

4人の内1人は、奈良で用が有ると言う事で先に帰り、残った3人で店内に・・・
中将餅と煎茶セット@300円を頼んで小休止、お土産に中将餅@700円買って帰った。
3人とも お土産に中将餅を買っていた・・・
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hatumi30331

雨の中、お疲れさま。
お酒、利き酒くらいなら飲んでみたい!^^
最後のお寺、行った事あるような気が・・・へへ;
あやふや〜

明日も、通常運転じゃないよ〜
南海は・・・
樽井から和歌山は止まってる。
バスで振替らしいです。
台風の影響、今回は酷かったよ。
by hatumi30331 (2017-10-23 20:12) 

taharas

hatumi30331さん
コメント有難う御座います!(^^)!
和歌山行って来ました、参加者65人、南海本線沿線
からも5人、遅れ馳せながらも出て来てくれました・・・
急遽、昨日午後、天王寺~JR阪和線利用の案内して良かった。

最後のお寺、石光寺(牡丹寺)、1月の寒牡丹が有名かな?
by taharas (2017-10-24 20:14) 

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