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10月17日の竜田川紅葉ハイキングコースの下見

10月20日    10月17日の竜田川紅葉ハイキングコースの下見
  歩こう会 11月度特別企画
竜田川紅葉コース(11月21日特別)約6㎞の下見に知人と4人で行って来ました。
雨の中を歩いて、ハイキング終了後 “プチ飲み会“は王寺の餃子の王将で昼食兼
て餃子、唐揚げ、小エビ天麩羅、マーボ豆腐、レバニラ炒め、チャーハンと、4人で
スーパードライ大瓶4本飲んで満腹?雨の中だが実のあるハイキングでした・・・・
コース 王寺駅で9時50分に集合してスタート
王寺駅~神岳神社~三室山~竜田公園~竜田城跡~国道25号バイパス~白山
神社~吉田寺~龍田神社~寺風集会所~業平つれづれの道・道標~竜田川~
竜田公園~国道25号バイパス~国道25号~餃子の王将(昼食&ビール)王寺駅

王寺駅~神岳神社(かみおかじんじゃ)
神岳神社
神岳神社は、三室山の中腹に鎮座する神社で境内の縁起には聖徳太子が斑鳩
宮造営の際に飛鳥の産土神をこの地に安置し、太子之勅願所として祭祀されて
いたといわれます。本尊の地蔵菩薩像と聖観音菩薩像は融念寺(恵宝殿)に安
置されています。

三室山(みむろやま)
三室山は、標高82mの小さな山で、古来より神の鎮座する山とされており、神南備
山とも呼ばれます。平安時代の歌人・能因法師が
     「嵐ふく 三室の山の もみち‘葉は 竜田の川の 錦なりけり」(歌碑)と
詠んでいることでも知られ、春には300本のソメイヨシノが山の半分を覆い桜の名所
ともなっています。
此処には、能因法師の歌と在原業平の歌が・・・
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竜田公園~竜田城跡
竜田公園
竜田川は、在原業平が
  「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(歌碑)と
詠むなど古くより紅葉の名所で、今は遊歩道が整備された都市公園です。
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竜田城跡
室町時代に龍田氏の館があったとも云われる。 慶長6年(1601年)大和国に2万
4千石を領して入部した片桐且元によって陣屋が築かれた。 且元は間もなく摂津
国茨木に移り、且元が没すると孝利が継いだ。 孝利没後は且元の四男為元が
継いだが1万石に減封され、元禄7年(1694年)断絶となった。
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国道25号バイパス~白山神社
白山神社
竜田公園から国道25号バイパスを歩いて10分ぐらいの所にあります。斑鳩町
稲葉車瀬にあり森で囲まれています。創建は不明です。
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吉田寺(きちでんじ)~龍田神社
吉田寺
吉田寺は、清水山を号とする浄土宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来像(奈良県下で
最大)で多宝搭とともに国の重要文化財に指定されています。天智天皇の勅願によ
り恵心僧都(源信)が開基し、恵心僧都が母親の臨終の際、祈願した衣服を着せかけ
たところ安らかに往生したと伝えられており、御本尊に祈ると腰から下の世話をかけず
に往生できるといわれることから「ぽっくり寺」とも呼ばれています。
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龍田神社
当社の神使は鶏。手水鉢に鶏の像が置かれている。
聖徳太子が法隆寺を建立しようとして龍田明神の神誨を受け、この地に堂塔を建立し、
守護神として本宮の分霊を勧請。本宮に対して新宮、または新龍田ともいう。
ただし、法隆寺創建以前から祀られていたとする説もある。
明治以前は法隆寺から当社へ別当をおき、例祭には30人の僧侶を遣わして法会が
行われていたが、明治になって神仏分離により、法隆寺から離れ、龍田大社の摂社と
なったが、大正十年県社に列し、翌年、龍田大社から分離独立した、
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金剛流発祥之地碑
能楽の金剛流は,大和猿楽4座(結崎・円満井・外山・坂戸)の一つ「坂戸座猿楽」が
ルーツで、ここ斑鳩の里を発祥の地とする。 大和4座は、大和一円の大寺に所属した
猿楽座で、外山座と結崎座は 現在の談山神社に、円満井座は興福寺に、坂戸座が
法隆寺に属したといわれ、後にそれぞれ 観世座・宝生座・金春座・金剛座と呼ばれる
ようになった。
坂戸座は 坂戸孫太郎氏勝を流祖とし、6世の三郎正明から「金剛」を名乗った。華麗・
優美な芸風から「舞金剛」、装束や面の名品を多く所蔵することから「面金剛」などとも
呼ばれる。豪快な芸風で知られた 7世金剛氏正は「鼻金剛」の異名を取り、中興の祖
とされる。
江戸初期に金剛流から喜多流が分派し“四座一流”と呼ばれるようになった。
この発祥碑は、斑鳩町制施行50周年を記念して、1997(平成9)年に建立された。
上記の龍田神社から700mほど北西,仙光寺の南側に“春日神社”がある。 神社の社
殿の一つの中に「金剛能発生之地」という木の札が掛かっていて「当神社の由来」とい
う案内板に金剛座(=坂戸座)との関わりが書かれている。
金剛流は斑鳩町が発祥の地とされていて 発祥の地碑は瀧田神社にあるが,当時の
金剛座の本拠地は春日神社にあったということだろう。
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※龍田大社
第十代崇神天皇の頃、国内に凶作・疫病が流行した折、天皇の御夢に「吾が宮を朝日
の日向処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に吾が宮を定めまつりて云々」という
神託があり、造営されたらしく、その後、疫病は退散し、豊作となったという。
また、『日本書紀』によると天武天皇が、小柴美濃王と小錦下佐伯連廣足を派遣して
龍田の立野に風神を祀らしめたという。
天武天皇四年(675)から平安時代まで年に二度、勅使参向のもと祭祀が斎行された
大社で、朝廷奉幣二十二社の中七社に名を連ねたが、鎌倉時代の動乱により社勢は
衰退した。 明治になって神社制度が整備され、明治四年五月官幣大社に列格した。

お寺風の集会場
すぐ近くに「鹿塚」が有ります。
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※鹿塚
昔、聖徳太子が多くの家臣とこの辺りを通った時、家臣の飼い犬が鹿と喧嘩をして、
犬が鹿の足に噛み付き、それを見た太子が鹿の手当てをして逃がしまし たが、数日
後、また犬が鹿を噛み殺したので、太子がこの事を深くお考えになり、これは前世の
宿業によるもので、恨みの恐ろしさを悟り、それを忘れない様に鹿塚を造りました。

業平つれづれの道・道標
在原業平のロマンあふれる伝説の道、平安時代の恋心に触れるつれづれの道です。
セイタカアワダチソウが満開・・・
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竜田川~竜田公園
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国道25号バイパス
国道25号~餃子の王将~王寺駅で解散

おまけ
10月18日は天気良かった
サガリバナは部屋に入れて、高さ50cmに伸びている
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駐車場の琉球朝顔も未だ未だ元気に咲いている
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コメント 4

hatumi30331

雨の中、お疲れさまでした。
毎日雨だと・・・
散歩に行く気にもなれず・・・
引きこもってます。^^;
by hatumi30331 (2017-10-21 09:28) 

taharas

hatumi30331さん
お早うございます。
コメント有難う御座います!(^^)!
雨で鬱陶しい日が続いていますが、17日も19日も雨の中、
傘を持って歩いて来ました、期日前投票も済ませて22日にも
ハイキング予定、此れは台風の影響で行けないかも知れない・・・
by taharas (2017-10-21 10:25) 

mamu7010

 餃子の王将って、いいなぁー。
開店からずーっと行ってましたが、今はなかなかチャンス無し。
折角の下見のときに雨?、ま・みんなで飲めたからいいか?
出来れば昼食予定場所の1ショット、欲しいような、、、
by mamu7010 (2017-10-21 11:13) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
餃子の王将は4人でスーパードライ大瓶4本、餃子2、唐揚2、
マーボー豆腐、レバニラ、小海老天、チャーハン等で満足・・・
19日も雨の中、大倉本家利き酒行ってきましたよ、11月7日
は、生駒の菊司酒造へKさん、Mさんと3人決まってるが如何
ですか?予約申込みは24日迄・・・
by taharas (2017-10-21 13:51) 

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